第8話 王女殿下と廃屋で

 何故か御礼にアリシア王女を誘拐する事になってしまった俺は、そのまま彼女と共に歩き出す。

 まだ行先は決めていないが、とりあえずはこの場所から離れた方が良いだろう。さすがに河川敷で王族風の女と傭兵風の男が二人で佇んでいるのは、夜と言えども目立つ(膝枕してもらっておいて……とかは言わないように)。

 金の問題に関しては、当面はアリシア王女が持ってきたものに頼る他ない。

 無論、仮住まいしている家や王都の両替商には俺の預金も幾何かはあるのだけれど、まだ俺の死体が見つかってない事もあり──こうして生きているので当然だが──怪鳥騎士団レイブンナイツの連中が張っている可能性もある。彼らに見つかる事だけは避けたいので、俺のへそくりと両替商の預金については諦める他ないだろう。

 逃げるのが俺一人であれば、昔の傭兵仲間や金貸しの友人達を頼っても良いのだが、今はアリシア王女も一緒だ。彼女の存在を明るみにするわけにはいかないので、昔の仲間達を頼るわけにも行かない。万が一にも周囲に情報が漏れる事だけは避けなければならないのだ。


 ──目立つからなぁ、この子。


 俺はちらりと隣を歩く銀髪の少女を見た。

 彼女は聖衣に身を包んでおり、更には特徴的な白銀髪と浅葱色の瞳、そして天使かと見紛う程の美しい容姿である。広いモンテール王国と言えども、これだけの女はそういない。とりあえず国を出るまでは、フードを被せるなどした方が良いのかもしれない。

 幸い、金の方はアリシア王女が持ってきているみたいなので、何とかなりそうだ。本当は自分の分は自分で、といきたいところなのだが、今はリスクの方が大きい。隠密に行動したい身からすると、このまま寄り道せずにとりあえず国外に逃げ出したかった。

 ちなみに、王女は馬には乗っていなかった。どうやら王宮からは歩いて抜け出してきたらしい。馬小屋には警備兵がいるので、その目を盗んで馬に乗って王宮から抜けるのは難しかったようだ。どこかで馬を買い入れるか、或いは荷馬車に乗せてもらう他あるまい。

 一応彼女が持っている装備も見せてもらったが、旅ができそうな程度には物を買い集めていた。一応下調べと下準備をした上での家出だったようだ。

「王女様の事だから、てっきり思い付きで脱走したのかと思った」と漏らすと、「バカにしないで下さい」と頬を膨らまされたものだ。

 そういう反応を見ていると、聖女だ王女だと言われる彼女も年相応の少女なのだな、と思わされるのだった。


「とりあえず、ちょっと日が出るまでは身を隠せる場所が欲しいかな」

「どうしてでしょう? 夜中の方が隠密に移動できそうですが……」

「馬を買うにせよ、誰かの荷馬車に乗せてもらうにせよ、夜中はまず人と出くわさないからな。それに、まだこのあたりは怪鳥騎士団レイブンナイツが探しているかもしれない。朝までどこかに身を隠して、他の人達の中に紛れながら移動した方が安全なのさ」


 俺がそう説明すると、「なるほど」とアリシア王女はぽんと手を叩いて、どこか安堵した様な笑みを浮かべる。


「……? なんか面白い事でもあったか?」


 笑うところなどあっただろうかと疑問に思い、訊いてみた。彼女は柔和に微笑んだまま、首を横に振った。


「シャイロがいてくれてよかった、と思っていただけです。一念発起してお城を抜け出したまでは良かったんですけど、本当の事を言うと、ちょっと心細かったので」


 何故か信用に満ちた眼差しを向けて、そんな事を言う。

 その笑顔に思わずどきりとしてしまったが、俺はそれを誤魔化すように小さく息を吐いて、視線を前に向けた。

 それから暫く歩いた後、隠れるにはちょうど良い廃屋を見つけた。それほど古いわけでもなく、数時間過ごすにはちょうど良い場所だ。

 廃屋に入ってみると、中は暗く、外の月明りだけでは視界が悪い。気配はないので、中に不埒者やならず者が隠れていたり、魔物が住んでいたりするわけではなさそうだが、一息吐くにして落ち着かない場所だった。


「大地母神リーファよ……光を燈せ。〈聖灯ホーリーライト〉」


 背後からアリシア王女の声が聞こえてきたかと思うと、廃屋の中に光が満ちた。

 壊れて使えそうにない壁掛け松明の残骸を媒体に、彼女が魔法で光を宿したのだ。


「聖魔法でこんな事もできるのか。凄いな。さすがは〝聖王女〟様だ」


 俺は後ろを向いて感心して言った。

 手に持つ杖に光を燈す魔法なら見た事はあるが、自らの手を離れたものに明かりを宿す魔法は初めて見たのだ。


「もう、大袈裟ですね。〈聖灯ホーリーライト〉は聖魔法でも初歩的なものなので、この程度なら子供でもできます」

「そうなのか? いや、魔法を使えない俺にとっては何でも凄く思えるからさ。これなら、夜中でも本が読めるな」

「はい。私もよくそれで夜更かししてしました」


 大体次の日眠くて後悔します、と王女は顔を綻ばせた。そこで、俺も笑みを漏らす。

 アリシア王女と話していると、何だか王女様と話しているとは思えなくなってくる。気さくで控えめだからか、そこらの町娘と話しているような感覚になるのだ。もしかすると、彼女の人懐っこい性格がそうさせているのかもしれない。


「ところで、シャイロ。先程から気になっていたんですけど、寒くないんですか? びしょ濡れですよね」


 彼女は俺の方を見て言った。

 自らの服を見てみると、衣服が体にべったりとくっついていて、びしょびしょだ。もちろん、トレードマークのぼさぼさポニーテールもびしょびしょ。まあ、河に飛び込んだから当たり前なのだけれど。


「寒いし気持ち悪いけど、まあ着替えもないし」


 自然に乾くか、町に出て新しい服を買うまで我慢する他ないだろう。


「うーん、乾かせたらいいんですけど……あっ!」


 アリシア王女は悩ましげに廃屋の中を見渡すと、ぱっと顔を輝かせた。

 

「この家、暖炉がありますよ! 随分古いですけど、まだ使えそうです。ちょっと待ってて下さいね」


 王女はその足で一度外に出ていったかと思えば、枯木や落ち葉を集めてきて、それを暖炉の中へと放り込む。


「聖なる炎よ……我らに火の恵みを与え給え」


 暖炉へと手を翳すと、アリシア王女は〈発火魔法イグニソー〉を唱えた。

 その枯木にボッと火が燈り、部屋全体が明るくなった。おそらく家の煙突からはもくもくと煙が上がり始めているだろう。


 ──これだと隠れてる意味がないんだけど……まあ、いいか。人の気配が近付いてきたら、その時対応すればいいし。


 それにしても、この王女様はやたらと手際が良い。今も枯木がしっかり燃えるよう火かき棒で枯木をいじっている。どうしてこんなに生活力があるんだろうか。


「あっ、今『何で王女なのにこんな事できるんだ?』って思いましたね?」


 まるで俺の心を見透かしたかの様に、彼女がむむっと少し怒った表情を作った。


「え、何で考えてる事わかったんだ?」

「だって、顔に描いてあるじゃないですか。それに、よく同じ事を思われるので」


 慣れちゃいました、と王女は苦笑いを漏らした。

 アリシア王女曰く、王宮で過ごしている時はこうした家事や雑事は侍女がやってくれるので機会はないそうだが、彼女は王女であると同時に敬虔なリーファの信者でもある。修道女として、六歳から十二歳までの間は神殿で生活していたらしい。

 神殿での修行期は他の修道女達と同じ生活をしており、そこでは王女だからといって特別扱いされるわけではなかったそうだ。おおよその生活力はその時に身に付けたのだと言う。家事全般は何でもこなせるのは、その神殿での生活があったからだ。

 

「暖炉でパンを焼いた事もあるんですよ? あまり美味しくなかったですけど」


 当時の事を思い出しているのか、アリシア王女は懐かしそうに顔を綻ばせていた。

 大地母神リーファは自然と豊穣を司る神だ。人間として自然である事を教義としているので、神殿の生活は王族のそれとはかけ離れた質素なものだったらしい。だが、彼女のこの表情を見ていると、おそらく神殿のその質素な生活をしていた頃が一番楽しかったのかもしれない。

 ちなみに、リーファの教えでは贅沢も禁じられている。それは人と自然とは相容れないものだからだ。その『贅沢を禁ずる』教えと先程の『聖女による治療によって得られる高い収益』に矛盾を感じてしまう事も、彼女が教会に対して嫌気が差してしまった理由の一つなのかもしれない。


「意外だな。王女様だから、何でも人にやってもらっているのかと思ってたよ」

「王族と言っても、私は女ですから……どこの国にでも嫁げるよう、最低限の家事はできるようになって欲しかったんだと思います。今にして思えば、私を神殿に入れたのはそういう狙いもあったんでしょうね」


 彼女はその浅葱色の瞳に暖炉の炎を映しながら、火かき棒で枝をいじっていく。

 炎が照らす彼女の横顔はどこか寂しげで、憂色さえも帯びていた。


「はい、どうぞ。ここに服を掛けて下さい」


 アリシア王女は廃屋の中から衣紋掛けハンガーを持ってきて、暖炉の前の椅子に掛けた。ここで干して乾かせ、という事らしい。


「ああ、ありがとう」


 早速服を脱ごうとすると、横から「きゃっ」と小さな悲鳴が聞こえてきた。


「え? なに?」

「きゅ、急に脱がないで下さい! あっち向いてますから!」


 アリシア王女は慌てて俺に背を向けた。顔が真っ赤なように見えたのは、きっと暖炉の炎のせいだけではないだろう。


「あ。ごめん」


 つい普通に服を脱いでしまったが、王女殿下の御前というのを忘れてしまっていた。

 彼女が背を向けているのを確認すると、上だけ脱いで干し竿に服を掛ける。


「あの、これもどうぞ」


 アリシアは背を向けたまま、手だけこちらに伸ばしていた。その手には絹布けんぷが握られている。


「よかったら使って下さい。身体が濡れたままでは、風邪を引いてしまいますので」

「いいのか? ありがとう」


 俺は彼女から絹布けんぷを受け取ると、身体や顔を拭いていく。その間、廃屋の中はパチパチと薪が燃える音と、布が擦れる音だけが響き渡っていた。

 その時間は妙に気恥ずかしくて、でも心地良い時間だった。


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