第31話 ポトス村の花畑

 なだらかな勾配こうばいが続く道を、アリシアと共にのんびりと歩いていた。道の両側にある果物畑や穀物畑が、農業の豊かさを示している。このあたりは一面畑しかないようだ。

 ふと視線を前に向ければ、どこまでも青い空と青々とした山が連なっていて、俺達以外に歩いている人々は見当たらない。畑仕事をしている人達が遠くに見えるが、彼らは自らの仕事に一生懸命に取り組んでおり、旅人になど目を向けていなかった。


「この畑を越えたところにポトスの村があるんだ」

「わぁ……とっても素敵なところですね!」


 俺の言葉に、アリシアがこちらを振り向いてその浅葱色の瞳を輝かせた。

 モンテール王国からジャカール公国へ亡命し、更にそこから旅をする事一か月──俺達はようやく、ウィンディア王国の辺境・ポトス村へと辿り着いたのだった。

 ジャカール公国に入ってからは、驚く程何も起こらなかった。途中で怪我や病気に困っている人達をアリシアが治療した程度だろうか。

 俺達はそうして出会った人達を伝って牛車や馬車に乗せてもらい、のんびりと移動を続けたのだ。

 自分で馬を買うという手も考えたのだが、これから先どれだけ金が要るかもわからない。なるべく支出を減らした方がいいと考え、節約を選んだのであった。

 そのお陰で当初の予定より時間は掛かってしまったものの、無事村まで辿り着く事ができた。


 ──それにしても、全然変わってないな。


 俺は周囲を見回して、その景色に目を細めた。

 二年前だかに商人の護衛で訪れた時と殆ど変わらぬ景観。途中に訪れた町や村で情勢に変化がない事は確認していたが、まさかここまで変わっていないとも思っていなかった。

 王都であれば二年も経てば随分と入れ替わるものだが、片田舎ではこんなものなのかもしれない。

 そうしていた時、ふわりと風が草花の香りを運んできて、鼻腔を擽った。


「あ、いい匂いです……シャイロが言っていたお花畑というのは、この近くでしょうか?」

「ああ。この道を真っすぐに進んだところにあるよ。そこから先にもうちょっといったところにポトス村がある」

「早く見たいです! 行きましょう!」


 アリシアはそう言うと、小走りで先をぱたぱたと進んでいく。


「あ、おい……全く。元気なこった」


 俺は小さく溜め息を吐きながら、その流れる銀髪を追った。

 この一か月の間、アリシアが旅で文句を言った事はない。辛そうなところはおくびにも出していなかった。

 移動手段は徒歩か人の馬車や牛車の荷台に乗せてもらう事が殆どで、野宿をする事も少なくない。王女殿下の身分からすればかなり不自由な旅だったと思うのだが、彼女はそうした日々を新鮮そうに、そして楽しそうに過ごしていたのだった。

 唯一気にしていたのはお風呂に入れない事だったが、それでも魔道具の水を用いて、毎日身体を清潔に保っていたようだ。彼女の魔道具の御蔭で随分と俺も救われた。少なくとも、身体が痒かったり汚いまま過ごしたりする事はなかったので、随分と衛生的には良い旅を送らせてもらっている。

 他にも、彼女は進んで俺の服も洗濯してくれていたのが印象的だった。王女なのに随分と献身的なものだ。こういったところからも、彼女が神殿での生活を楽しく送っていたというのが想像に容易い。彼女は所謂、姫的な扱いを望んでいなかったのかもしれない。

 そのまま道を歩いていくと、二年前と変わらぬ花畑が広がっていた。

 その花畑を見た時のアリシアの感嘆ぶりと言ったらなかった。


「わ……ぁ…………」


 アリシアはまるでプレゼントを開けた子供のような声を上げた。

 風の気持ち良さも相まって、どこまでも広がる花畑に思わず俺も目を細めてしまった。


「やっぱり、私の思った通りでした」


 アリシアが満足げにこちらを振り返った。


「何が?」

「シャイロが綺麗だと言っていた場所はきっと本当に綺麗なんだろうって……そう思っていましたから」


 彼女がそう言った時、少し強い風が吹いた。

 その風に聖衣の裾を押さえつつも、こちらには穏やかな笑みを向けていて、その柔和で信用に満ちた彼女の笑顔はこの一面に広がる花畑にも負けじと綺麗で、華やかで。俺の心を根こそぎ奪っていくには、十分なものだった。


「何言ってんだか……ほら、行くぞ」


 俺はそんな自らの昂る気持ちを隠しながら、照れ隠しに冷たく言い放って、ポトスへの道を先に歩んで行く。

 本当のところは、もう少しだけその花畑を背景にしたアリシアを見ていたかった。

 でも、焦る事はない。これからいつでも、その光景を見る事ができるのだから。

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