第28話 箱の中へ

「じゃあ、この木箱の中に二人で入って」


 翌日の早朝、モンテール王国とジャクール公国の関所近くまで移動した俺達に、〝逃がし屋〟ナロンはそう言った。


「「え?」」


 俺とアリシアは同じ異口同音で困惑を示した。

 俺達の目の前には、横幅は棺を少し大きくしたくらいで、腰程まで高さがある木箱があった。彼はそこに入れという。


「どういう事だ?」

「そのまんまの意味だよ。二人には積み荷になってもらいたいから」

「はあ⁉」


 この少年おやじはとんでもない事を言いやがった。木箱に入って積み荷になる事で、そのまま関所を通過しようというのである。

 大胆というか、むしろ杜撰ずさんだ。無茶苦茶にも程がある。


「大丈夫だよ。今までこれでバレた事ないから。それに、今日は特に積み荷が多いからね。安心していいよ」


 ナロンは馬車の積み荷を見て言った。

 確かに、荷馬車はほぼ空きスペースがないくらい一杯だ。その中で一つだけやや高さがある木箱があると思っていたら、そこに俺達を詰め込む気だったのだ。


「安心って……」

「……言われましても」


 俺とアリシアは、気まずい視線を交わした。互いに顔を引き攣らせている。

 安心云々の前に、もっと不味い問題がある。え、この狭い木箱で二人でくっつけって? 王女殿下と? それはその、色々まずくないか?


「積み荷はまあわかるとして……せめて別々の箱にはできないか? さすがに二人でくっつくのは、色々あれというか」

「人が入れるサイズの木箱はこれくらいしかないからねえ。今回は他の積み荷も多いから、これ一個しか持っていけないんだよ」


 その分安心できるから、とナロンは謎の余裕を浮かべているが、全然安心できない。

 どちらかというと、自分に対して不安しかない。この〝聖王女〟と呼ばれる神聖なる少女とこんな狭い空間で数時間もの間抱き合って過ごして、何ともならないはずがない。色々男的に困ってしまう事が生じるのは間違いないのだ。


「あの、シャイロ?」


 どうしようか迷っている俺に、アリシアが声を掛けてきた。


「私は大丈夫ですから。そんなに遠慮しないで下さい」


 王女殿下は俺を安心させる為か、柔らかい笑みを作ってそう言った。

 あなたが大丈夫でも俺が大丈夫じゃない可能性があるのだけれど、そこ含めて大丈夫なのだろうか? 本当に不安しかない。


「ほら! 王女殿下もこう仰ってるんだ。さっさとシャイロも覚悟決めなよ!」


 ナロンはそう言い、俺の肩に腕を回してこう言った。


「それに……役得だろ? 王女殿下と密室で抱き合えるなんて──うぎゃ!」


 とりあえずぶん殴っておいた。役得どころか大損しそうな雰囲気だ。

 が、アリシアが覚悟を決めていると言うのなら、受け入れるしかあるまい。俺も気合を入れて、アリシアに頷いてみせる。

 頼む、俺の男の性よ。今日だけは大人しくしていてくれ。


「じゃあそういう事で、二人共。トイレだけは済ませておいて。あ、水分も取っちゃダメだよ。これから数時間は外に出れないから」


 ナロンの言葉に、俺とアリシアはもう一度気まずく視線を交わしながらも頷くのだった。

 それから覚悟を決める為に少しだけ時間を設けて準備を整えてから、木箱に入った。

 まずは俺からだ。嵩張らないように、装備やら剣やらは全ては外して、馬車の隅に立てかけてある。一応これらはナロンの装備という事にして誤魔化すようだ。


「えっと……では、失礼します」

「え? あ、ああ……どうぞ」


 アリシアは顔を赤らめてそう言うと、木箱の中へ入って俺の隣に横になった。

 俺が両腕でアリシアを包み込む形になっていて、完全に抱擁状態。アリシアは俺の腕の中で、ぐっと身体を縮こまらせている。ふわりと彼女の甘い香りが鼻腔を満たしていった。


 ──待て、これはやばいだろ! やばいって!


 俺は途端にそう思うが、もう後には引けない状況だ。

 というか、女の子の柔らかさもやばいし、良い匂いがして頭がくらくらする。色々自分が正常でいられる気がしなかった。

 というのも、アリシアも嵩張らないように上着のローブを脱いで薄い聖衣だけになっていて、こうして身体をくっつけているとその薄い布越しに肌の感触までもがわかってしまうのだ。


 ──あったかいし柔らかいし、良い匂いもするし……え? これに何時間も耐えなきゃいけないのか? 何の拷問だよ!


 一瞬でも気を抜くと、意識が天国に旅立ちそうになってしまう。それほどまでに、危険な空間だった。

 自分でもわかるほど心臓が高鳴っていた。これだけ密着していると、この鼓動さえも相手にバレてしまいそうだ。現に、アリシアの鼓動がこちらに伝わってきている。

 男が発動してしまっても何とか誤魔化せるよう、俺は腰を引いて、ほんの少しだけスペースを作る。というかもう発動しそうだ。静まり給え!


「じゃあ、布敷いてから上に林檎入れていくね。ちょっとごつごつ痛いかもしれないけど、我慢してねー」


 ナロンはそう言うと、俺とアリシアの上に赤い布を被せた。

 その上から林檎をごろごろと流し込んでいく。俺達の身体を、固形物がこつこつと当たって重みが加わっていった。結構痛いし重い。

 木箱の一番下に俺とアリシアがいて、その上に布を被せてからカモフラージュで林檎を乗せていっていく、という手法だ。頭が悪すぎる方法だと思うのだが、今モンテール王国は林檎の出荷時期でもあるので、一番これがバレにくいのだとナロンは言う。とても信じられないが、逃がしのプロが言うのだから信じる他ない。

 林檎を詰め終えると、木箱の蓋が絞められた。この時点で光は遮断されて視界は真っ暗。感じられるのは、互いの体温と息遣いのみだった。林檎の匂いが強いので、アリシアの甘い香りが緩和されているのが唯一の救いだった。


「あの……シャイロ?」


 アリシアがおずおずといった様子で声を掛けて来た。

 彼女が声を発する度に彼女の吐息が俺の胸に当たって、どきどきする。


「ん? どうした?」

「一応今朝お風呂に入ったので、大丈夫だと思いますけど……もし臭かったら、ごめんなさい」


 この期に及んでこの王女様は何を心配しているのだと思うのだけれど、俺も全く人の事は言えなかった。変な心配ばかりしている。


「大丈夫、いい匂いだよ」

「そですか。良かったです」


 アリシアはくすっと笑うと、ほんの少しだけ身じろぎをする。それだけで心臓が高鳴ってしまった。


「俺も今朝風呂には入ったけど……大丈夫かな?」

「はい。とても良い匂いですよ?」


 彼女は俺の首元にほんの少しだけ鼻を押し付けると、すんすんと匂いを嗅いだ。ちょっとくすぐったい。

 そんな俺達に、木箱の外から声が掛けられた。


「いちゃつくのもいいけど、もうちょっと緊張感持ってねー。一応これから亡命するんだから」


 どうやら、まだ木箱のすぐ近くにナロンがいたらしい。

 俺達は、互いにもの凄く恥ずかしい思いをしたまま、それから数時間を過ごしたのだった。

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