第40話 自分に対する言い訳

「えっと……シャイロ? これは、その……どういう事なのでしょう?」


 アリシアが言葉を詰まらせながら、こちらを振り向く。

 こちらを振り向いてはいるものの、顔は俯いており、普段は白い頬が赤く染まっている。ダブルベッドが意味する事を、どうやら彼女も理解はしているらしい。


 ──まあ、そりゃこの年頃ならわかるよな。いっその事、理解していなければ何とか乗り切れたかもしれないのに。


 俺は内心で大きな溜め息を吐きつつも、ジュリアムと村長の〝要らぬ気遣い〟について説明をした。というか、彼らには一切悪気はなく、俺達のが変な方向に働いてしまっただけなのだ。

 ジュリアムは家具職人であるし、ここの部屋の保全担当だった。ならば、この家の寝室の広さもわかっているし、空間的にベッドが二台入るかどうかは結構怪しい事も知っていただろう。そこに加えて、レイモンドさんから『遥々異国から駆け落ちしてきた恋人同士が引っ越してきた』と聞かされれば、ダブルベッドを作ってしまうのも考えられなくはない。

 注文前に作ってしまったのがジュリアムの落ち度と言えば落ち度だが、彼に非があるわけではなかった。どちらかというと、嘘を吐いている俺達に非があるだろう。


「そういう事でしたか……すみません、いきなりでしたので、ちょっとびっくりしてしまいました」


 アリシアは頬を赤く染めたまま困った様な笑みを浮かべると、ダブルベッドへと視線を移した。

 どうしても居心地が悪く感じてしまって、俺も視線を壁の方へと泳がせる。外からから聞こえる小さな虫の鳴き声が、やけにうるさかった。


「あー、えっと。アリシアは変に気ぃ遣わなくていいから。ジュリアムにはソファ頼んでおいたし、それ届くまで俺はリビングで寝るからさ。だから、ひとりでそのベッドを──」

「そ、それはダメです!」


 アリシアはこちらを振り向き、俺の言葉を遮った。

 顔は未だ赤いままだが、こちらを見据える眼差しは真剣なものだった。


「シャイロはこれまで、たくさん私に遠慮してきてるじゃないですか。野宿をした時も、宿で泊まった時も……ずっと私を気遣って優先してくれていました。慣れない移動の日々で私も疲れてしまっていたので、つい甘えてしまっていましたが……こうして一緒に暮らす事になって、落ち着いた生活を送れるんですから、これからはもうそういう遠慮はしないで欲しいんです」

「アリシア……」

「もともとは私の我儘が発端で、こうして同行させてもらうに至りました。シャイロはその我が儘に付き合ってくれているだけなのに、遠慮ばかりされてしまっては」


 私の立つ瀬がありません、とアリシアは視線を床に落とした。その床は先程の水拭きが既に乾いており、今は綺麗な木目を映し出している。

 彼女が率先して掃除をしていたのは、彼女が〝掃除と炊事のアリシア〟である事以外にも、そういった俺への気持ちの現れだったのかもしれない。


 ──遠慮しない関係、か。


 そうは言われたものの、それはそれで難しいものである。

 俺からすればアリシアは王女殿下で、例えその身分を捨てたと言われても、頭で理解できても感情ではなかなか理解できるものではない。しかも、同じベッドで寝るという事は、もあるわけで。俺自身をそこまで信用されても困るという思いもあった。


「でも、アリシア。さすがに一緒のベッドで寝るのは嫌じゃないか? その、俺達男と女だぞ?」

「い、嫌じゃありません! それは……恥ずかしさが全くないかと言ったら嘘になりますけど、嫌だとかそういう気持ちは全然ありませんから」

「そ、そうなのか……」


 そうなのかと答えてしまったものの、どうなのだろう?

 アリシアの言い方からして、おそらく彼女の方が折れる事はなさそうだ。

 今まで二人で旅をする中で、ベッドが一つしかない部屋しか空いてない事や、野宿をした際には彼女に眠らせてずっと俺が見張りをしていた事もある。

 アリシアとて初めての長旅で疲れが溜まっていたので、俺に申し訳なく思いながらも甘えていたのだろう。だが、もうその長旅は終わったから、もう遠慮はしないで欲しいと彼女は言っているのだ。


 ──いや、まあ……俺が何もしなければ何も起こらないんだろうけどさ。


 それはわかっている。

 アリシアの方から何か、という事はまず有り得ないし、俺が黙って寝ていれば何も起こる事はない。起こる事はないけれど……


 ──絶対にそれ大変だよなぁ。


 これまでの移動の日々を思い出す。

 こちとら健康的な男子の身体を持て余している身だ。隣にこんなに美しい少女に居られて、一切邪な気持ちを抱かなかったかというと、そんなわけがない。

 なるべくそういう目で見ないようにしていても、時折見せるうなじや白い肌、彼女から漂う甘い香りがそうはさせてくれない。どれだけ王女だと言い聞かせても、俺は無意識のうちにアリシアを女として見てしまっているし、彼女とどうにかなってしまいたいという欲は否応なしに湧き上がってくる。

 これまでは旅の途中だったという事もあって理性で何とか押し留めてはいるものの、それが毎晩同じベッドで寝ても保てるかというと、きっとそれも難しいだろう。

 宿屋でベッドが一つしかない部屋しか空いていなかった時も、アリシアは半分使ったらどうだと薦めてくれたのだが、俺は壁際に凭れて眠る事を選んだ。単純に、同じベッドの中に入ってしまっては理性で色々なものを留める事が大変だからだ。それなら、背中や腰は痛くなっても壁に凭れて眠った方がマシだという結論に至ったのである。


「まあ……ベッド大きいしな。隅っこで寝るようにすれば問題ないか」

「は、はい……問題ない、と思います」


 問題ないと言いながらも、アリシアは相変わらず顔を赤らめたままだった。

 寝床の会話は何となくそこで終わった。それ以上どう続ければ良いかもわからなかったのだ。後はぶっつけ本番で夜を迎えた際に、気まずくならないように眠りにつけるようにする他ない。できるのかどうか、全く自信はないのだけれど。


「じゃあ、レイモンドさん家に行くか。掃除用具返さなきゃだし、後はさすがに今から夕飯を作るのも無理があるしな。今日くらいはご馳走になろう」

「そうですね……あ、その前にお風呂に入りませんか? 私、お掃除で汗だくになってしまいましたので」


 言われてみれば、俺も汗だくだし至る所が汚れている。このまま村長に会いにいくのもちょっと失礼に当たるかもしれない。


「そうだな、入って行こうか。せっかくでっかい風呂があるわけだしな」

「この際なので、シャイロにも魔道具の使い方を教えますねっ」


 アリシアが鞄の中から魔道具を取り出し、笑顔で言った。

 その笑みは先程の気まずさをどうにかして振り払おうとしている様でもあった。彼女がそうした努力をしてくれているのなら、俺まで恥ずかしがっているわけにもいかない。


「え、魔道具それって俺にも使えるの?」


 ベッドの事はなかった事にして、不思議そうに訊いてみる。実際魔道具と言うくらいだから、てっきり魔術師や神官にしか使えないものなのかと思っていたのだ。


「はい。体内の魔力マナとイメージを結びつける必要がありますけど、きっとシャイロならできます」

「なんだその自信は」

「何となくです」

「何となくかよ……」


 俺のツッコミに、アリシアは「冗談ですよ」とくすくす笑った。

 それからはできるだけいつも通りに接して、彼女から魔道具の扱い方を教わったのだった。

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