第34話 村長夫妻との会談
「それじゃ、あたしは作業の途中だったから、戻るわね」
レイラはそこで俺とアリシアにそう告げた。
「あ、そうでしたね。ここまで案内して下さって、ありがとうございました」
アリシアが丁寧に頭を下げる。
礼儀正しいというか、むしろ低姿勢過ぎて王族と言っても誰も信じないだろうな。
「うん! じゃあ、シャイロさんもまたねー」
レイラは明るい笑顔を振りまくと、そそくさと家から出て行ってしまった。
「じゃあ、行くか」
「はい」
俺とアリシアは顔を見合わせると、奥方から指示された通り、奥の部屋へと向かった。
扉を開くと、そこは村長室なのか、奥には書類仕事をするためか執務机があり、その手前に小さなテーブルと、そのテーブルを挟んでソファが二つある。後は木製のタンスや本棚がいくつかある程度だ。
俺とアリシアは手前のソファに隣掛けで座ると、互いに息を吐いた。
「何だか緊張してしまいますね」
「そうだな……」
「お茶菓子でも持ってきた方が良かったでしょうか?」
「うーん……とは言え、ポトスまでの道中でそんなもの買える場所なかったしなぁ」
ポトスの隣村は三日ほど歩いた距離にあり、更にそこには商店もなかった。ここらの村は自給自足が基本で、気の利いた手土産など用意できるはずもない。
そもそも亡命している立場で土産も糞もないと思うのだけれど。
「あら、レイラは帰ってしまったの? お茶くらい飲んでいけばいいのに」
扉が開いたかと思うと、奥方が上品にくすくす笑った。
盆の上にティーカップと焼き菓子が四つ用意されている。おそらくレイラの分も用意していたのだろう。
「もうすぐ夫が見えますので、お茶でも飲んで少しお待ちくださいね」
奥方は俺とアリシアの前にカップと茶菓子を並べ、カップに注いでいく。
独特の茶葉の香りが部屋を満たしていく。茶というより花みたいな香りだった。
「とっても良い香りですね! ハーブティーでしょうか?」
アリシアがティーカップを上品に持ち、奥方に訊いた。
「ハーブではなくて、フラワーティーですの。ここポトスでしか咲かない花を、茶葉代わりに使っています」
「フラワーティー……素敵です。初めて飲みます」
アリシアは感嘆の息を吐くと、ティーカップを鼻元まで持っていってその香りを堪能している。
俺も彼女に倣ってティーカップを手に持ち、その香りを嗅いでみる。言われてみれば、先程の花畑で嗅いだ匂いかもしれない。
ただ、花か……ちょっと花茶を飲むのは抵抗があった。匂いも独特であるし、どんな味か想像がつかない。
「あ、美味しい……とっても上品な味ですね。口に含むと、花の香りが広がっていきます」
アリシアがひと口飲むと、そんな感想を漏らした。
「シャイロも飲んでみて下さい。美味しいですよ?」
「あ、うん」
俺はアリシアに促され、意を決して花茶を口に含む。
凄く、不思議な味だった。舌が感じる味は普段飲んでいる紅茶と変わりないのに、香りが花そのもので、匂いが変わるだけで味覚で感じる味も少し異なる気がする。それでいてリラックス効果があるのか、気分が妙に落ち着いてくる。
貴族や王族の飲む紅茶など飲んだ事はないが、きっとこんな感じの上品なものを毎日飲んでいるんだろうな、という印象だった。
「はあ……何だか不思議な味だけど、落ち着くな」
俺は深い溜め息と共に、そんな感想を漏らす。身体がゆるりと休まっていくのを感じた。
そこで奥方は「やっと警戒心を解いてくれましたわ」と笑った。
「え?」
「さっきから緊張していましたから。村長なんて名乗っていますが、うちの夫はただの中年男なので、そこまで畏まらなくても良いのですよ」
奥方からそう言われて、はたと気付く。
モンテール王国からジャカール公国に亡命し、ウィンディア王国に入ってからも目立たないように警戒していた。その緊張感が今も抜け切っていなかったようだ。
もうここはモンテール王国ではない。俺の命を狙う輩も、アリシアの捜索をしている輩もいないのだ。そろそろ肩の荷を下ろした方がいいのかもしれない。
そこで、背後の扉がかちゃりと開いた。
「いやいや、お待たせしてしまいましたかな、御客人殿」
扉の方を向くと、そこには白いシャツにジャケットを羽織った身なりの良い中年の男性がいた。
シンプルなデザインであるが、上質な布を用いて作られている服だ。裕福さを示す事が目的ではなく、あくまでも品の良さを示す為の服といった印象を抱く。
「私はこのポトス村で村長をやっているレイモンド=ニクソンというものです。こちらは妻のマノア」
レイモンド村長は丁寧にお辞儀をして奥方──マノアさんを紹介した。
「シャイロだ」
「アリシアと申します」
俺とアリシアも席を立ってお辞儀してから、しっかりとレイモンドさんと握手を交わす。
移住する際に偽名を名乗った方がいいのかという話をアリシアとしたのだが、特段シャイロもアリシアも珍しい名前ではないので、そのまま名乗る事にした。さすがにヴィークテリアスの苗字はまずいと思うが──この苗字は珍しく、モンテール王国の王族くらいしかいないのだ──それほどこういった片田舎では苗字などあまり重要視されらしく、名前だけで十分みたいだ。もし訊かれたら、その時は別のありがちな苗字を名乗るように伝えてある。
「この方々、モンテールからわざわざ起こしになられたみたいよ。ここに住みたいんだとかで」
「ほう、モンテールから! それは随分と遠いところから。あ、どうぞ掛けて下さい」
マノアさんから説明を受けると、レイモンドさんが着席を促した。俺達は「失礼します」と一言入れてから、もう一度ソファへと腰を降ろす。
「モンテールからというと、数年前に商人の方が来た時以来ですかな」
「あ、その時実は俺も来ていたんだ。それで、この村の雰囲気が気に入っていて、いつか住みたいなと」
「ほう、あの時の! それはそれは、何とも嬉しい限りですなぁ……して、お二人はその、ワケありな感じですかな?」
レイモンド村長は俺とアリシアを見比べると、声を潜めて訊いてきた。
「あなた! この方々、駆け落ちらしいですわよっ」
それに対して、内緒話をするように声を潜めつつも、奥方のマノアさんが嬉々として説明する。
「ほうほう! 親の反対を押し切り愛する二人が国を出て、遥々とこの草花の村へ駆け落ちとな⁉ なんと素晴らしい!」
レイモンド村長はその感動に強く拳を握った。
あー、もし? まだ俺達一言も話してないのだけれど? しかも何だかストーリーが付け加えられていませんか?
まあ、国を一つ挟んでまで移住を希望するというのだから、それ相応の理由が必要ではあるのだが、駆け落ちだけでそんなにすんなりと話を通せるものなのだろうか。
こちらとしては、嘘を吐かずに勘違いしてくれるのは楽と言えば楽なのだけれど、さすがにちょっと引く。どいつもこいつも娯楽に飢え過ぎだろうに。
「あ、ああ……二年前にここを訪れた時に見た花畑が忘れられなくて。そこでアリシアと一緒に暮らせたら、幸せだろうなと」
こうなったらこの勘違いに乗っかってしまおう。絶対にその方が楽だ。
アリシアの顔がやや赤い気がするが、頼むから平静でいてくれ。俺だって恥ずかしいんだ。
「このポトスは花畑の村。うちの誇りなんです。冬になると数は減ってしまいますが、それでも冬に咲く花もあって、一年中見飽きる事がないんですよ」
レイモンド村長が自慢げに語った。その顔に広がる笑顔も先程に浮かべていたものと異なり、随分と穏やかで心から嬉しそうだ。
本当に彼らにとって、村の花は誇りなのだろう。こうして村長が村を愛しているからこそ、村民も村を愛する。ポトス村が花のように穏やかな理由が少しわかった気がした。
「私はあの花畑を今日初めて見たんですけれど、本当に綺麗で……こんな景色を毎日見れるなら、きっとそれは他に代え難い幸せなんだろうなって思いました。このお茶も美味しいですし、ポトス村は幸せだらけです」
アリシアはフラワーティーを口に含んで、穏やかに微笑んだ。
レイモンド村長は彼女のそんな笑みを見て、嬉しそうにうんうん頷いている。
「奥さんにもこの村の魅力がわかってくれたようで嬉しい限りですな!」
村長がとんでもない事を言ったので、ちょうど口に含んでいたフラワーティーを噴き出しそうになった。いや、冒頭の単語だけとんでもないだけなのだけれど。
「あ、あの、レイモンドさん。俺達まだ結婚したわけでは……」
「ああ、そうでしたな、駆け落ちでしたか。まあ、もし二人で生活してみてここが気に入ったなら、式を挙げてみてはどうでしょう? 村を挙げての結婚式は、そこらの町の式よりも遥かに華やかですぞ!」
なんだか話が飛躍している気がしなくもない。
が、あれ? という事は?
「あの……それは、ここで暮らしても良いという事でしょうか?」
アリシアがおずおずといった様子で村長に訊いた。それはちょうど俺の訊きたかった事でもあった。
ちょっと勢いに気圧されてしまっているが、今の発言をまとめるとそういう事になる。
「ええ、もちろんです。もともと、余程人となりに問題がある方なら別ですが、お二人なら大歓迎です。村の新しい風になりましょう」
「やったっ」
アリシアが声を弾ませて、笑顔を零した。そこで夫妻の視線に気付いて「あっ」と驚き、口を押さえて俯く。村長夫妻はそんな様子のアリシアを微笑ましげに眺めて頷いていた。
アリシアほど表には出していないが、俺も心の中では喜んでいた。なんやかんやあったものの、とりあえず腰を落ち着けられそうだ。
「レイラが悪い人を連れてくるわけがありませんからねえ。あの子、ああ見えて人を見る目があるんです」
マノアさんが微笑ましげに言った。
ここポトス村に辿り着くには、あの畑を通らなければならない。レイラはこの村に来る人達を畑からよく見ているので、その審美眼には信用されているらしい。
案の定、俺達が好意的に受け止められているのはレイラの御蔭だったようだ。彼女と一番最初に出会った偶然に感謝しなければならないだろう。
「村の外れの方には空いている家もありますので、明日見て回りますか?」
「ああ、宜しく頼む」
俺達はもう一度握手を交わし、これからは村民として手助けしてくれる事を約束してくれた。
ちなみに、空き家は無料で構わないものの、すぐに住める状態ではないらしい。片付けや掃除が落ち着くまでは村長宅の空き部屋を使わせてもらう事になった。数日間は野宿でもするつもりだったので、有り難い申し出だった。
こうして、俺とアリシアの逃避行はひと段落ついた。
いよいよ俺達の新しい生活が、ここポトス村で始まろうとしていた。
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