第11話 《智久》 脅迫
「――久しぶり。智久。アタシを呼んでくれてありがと。今回はなかなか大物だったねえ」
北畠邸の一室。
ゆらりと揺らめいた高燈台の炎が、闇の中に浮かび上がる彼女の瞳を煌めかせる。
縁に立つ彼女に、どうぞ中に、と言う前に、彼女はずかずかと大股で部屋の中に入ってきて、私の前にドカっと豪快に座った。
「キリコ殿。もう少し静かに入ってきてくださいませんか?」
にこにこと微笑みを崩さずに忠告すると、キリコ殿はにかっと笑った。
北畠家が抱えている忍びの一人であるキリコ殿は、非常に『使える忍び』だ。
すでに何度か仕事を頼み、完遂してくれている。
「突然アタシがしおらしくなっても気持ち悪いだろ」
「まあ、そうですねえ。そうなった場合は槍が降ってもおかしくはありませんね」
ふふと微笑むと、キリコ殿は豪快に笑う。
「はっきり言うよね。アンタのそういうところ、すごくいいと思うよ」
「お褒めいただきありがとうございます」
「――アンタが調べたことの報告書、読んだよ」
突然、キリコ殿は話を切り上げてそう言った。
一瞬で緊張感が辺りに張り巡らされ、夜の闇がずんと重みを伴って伸し掛かる。
その中で笑みを崩さずにキリコ殿に向き直る。
「……ありがとうございます。で、いかがでした?」
「ま、アタシがもう一度調べて裏取りするまでもないね。アンタ、忍びに向いてるよ」
「お褒めいただき、とても嬉しいですよ」
「ははっ。ホントアンタは胡散臭い男だねえ」
それも褒め言葉。
笑顔を崩さずに常に善人面をして取り繕っていても、内面では腹黒いことを考えているような人間なのだ。
顕家様の覇道を曇らせる者を確実に排除する、という考えで満ちている。
「……数日前に、私の忍びが池端の身辺について探ったところ、中納言殿と裏で金銭のやりとりをしているらしいという報告が上がってまいりました。どうやら池端が金を積んで中納言殿に後ろ盾になってほしいと言っているそうで」
「なるほどな。池端は今参議の任についているが、中納言殿の口添えでさらに上の官位がほしいってことか」
「そうです。3日とあけず、中納言殿の家に通って、内密さを加速させていると」
「うん。そんでその報告を受けたアンタが、さらに深く潜り込んで探ったってことか」
「はい。ただ私が探ったのは中納言殿のほうです。適当な言い訳をして、内密に接触しました」
「ほう、池端ではなく、中納言殿のほうか」
「ええ。あくまで中納言殿のほうです」
にこりと笑うと、キリコ殿はその唇から笑みを消す。
「酷いものでした。帝に口添えをする代わりに金品を要求するのは序の口で、何かと理由をつけてさらに巻き上げていくようでしたね」
「そうか。なら中納言を止める、ということか?」
「いえ、中納言殿はそのままで結構です」
「はあ?」
「帝に口添えするのは珍しいことでもありますまい。対価として、金品の要求をすることもよく聞くことです」
「それはそうだが……」
「でもこの悪事が世に出れば、中納言殿をよく思っていない人間は好機だと、一斉に蹴落としにかかるでしょうね」
宮中は腐りきっている。
泥のように、様々な人間の思惑が絡み合っている。
微笑み合って、楽し気に歌を詠み交わしていても、ほんの少しでも弱みを見せれば、一気に喰らいついて骨になるまで離さない。
「そこでキリコ殿をわざわざお呼びたてしたのは――」
一度言葉を切る。
キリコ殿は、その先の言葉がどのようなものになるのか、急かしもせずにじっと待っている。
「キリコ殿に、池端と中納言殿がつながっていた、という証拠を『すべて消して』いただきたい」
笑顔を崩さないままそう告げると、キリコ殿はぴくりと眉を振る。
しばらく、互いに沈黙する。
耳が痛むほどの静寂が、辺りに満ちた。
その中で、くつくつと笑い声がキリコ殿からあふれ出てくる。
「……ってことは、中納言殿の罪は見逃すから、池端を切れ、と? 全部なかったことにする、って?」
「はい。中納言殿は北畠家にとっても大事な御方。ここで追い詰めて中納言殿を破綻させるのは得策ではないと思っております」
「中納言に恩を売る、ということか?」
「ええ。池端など取るに足らぬ家柄ですから。ここは悪事を黙っておくことで中納言殿に恩を売り、いつか何かがあった時に、中納言殿が北畠家に歯向かえないようにしたい、ということです」
「恩を売る、じゃないね。そういうのは脅迫、って言うよな?」
キリコ殿は、呆れたように溜息を吐く。
淡々と笑顔を崩さないで、悪事の算段をする。
「ええ。そうですね。私が中納言殿を脅迫しますよ。キリコ殿は池端の存在を消した上で、中納言殿と池端のつながりを全て消す、というのが今回の任務ですよ」
世界は、決して綺麗なものではない。
騙し騙されの攻防戦の中で、どれだけ自分の味方となる手駒を得られるかが勝者への鍵。
私の主は清廉潔白すぎて、こんな腐りきった泥の中では生きていけない。
それはこの私の役目。
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