第28話 《月子》 臆病者




「――夕飯ありがとな。美味しかった。おじさんにも、お礼言っておいて」


「うん、ごめん。父さん酔いつぶれて爆睡するなんて……」


気分よく飲んでいた父さんは、一時間もしないうちにテーブルに突っ伏して爆睡し始めた。


「俺の父さんも似たようなもんだよ。じゃあそろそろ帰る」



「今日は鎌倉に付き合ってくれてありがとう」



同じ今日のはずなのに、どうにも随分前のことのようにも感じてしまう。


「いいよ。俺も久しぶりに鎌倉に行きたかったし」



そう言いながら、則祐は玄関のドアに手をかけた。



「あ、駅まで送るよ」


「いいって。夜も遅いし。また明日来るよ。そろそろトモにも会うかな」


「わかった。話しておくよ。明日何時に来るかはまた連絡して」



そう言うと、則祐は軽く手を挙げて、さらに玄関のドアを押し開ける。


けれど、開き切る前に、その手がぴたりと止まった。


則祐は逡巡するかのように、ドアをじっと見つめている。


どうしたのか、と声をかけようとしたら、則祐がほんの少しこちらを振り返る。


「月子」

「――何?」



「今度は東北に行こう。そうだな……、宮城、とか?」




唐突な言葉に、目を丸くする。


驚きのあまり、言葉が落ちない。


しばらく沈黙して、何を言うべきか言葉を探していた。



「うん……」



結局混乱して、同意することしかできなくなる。


あたしが頷いたのを見たのか、則祐はそれ以上何も言わず、一気にドアを開いて、帰っていってしまった。



あとにはぽつりとあたし一人残される。


直接的な言葉は、言わない。



互いに確認なんて、しない。




でも、今のは――。





ぐるぐると頭の中をよくわからない感情が駆け巡る。



決して共有できないものだと思っていたけれど、もしかしたら則祐も――。



そう思って、唇の端で笑う。


いや、ただの偶然かもしれない。


単純に、東北に行きたかっただけかも。




今は互いに、どのカードを表にするか、推し量っている。





則祐から見たら、あたしは何一つ思い出していないように見えるだろうし、

あたしから見ても、則祐が何かを思い出したのか、思い出していないのか、わからない。



確認、したい。

したいけれど、できない。


こんな駆け引き、もどかしいだけなのに。




でも、怖い。




口に出したら、もうどこにも逃げられないような気がしていた。


今まで目を閉じて耳を塞いでいたことに、あたしは真正面から向き合わなければならない。


“あいつ”があたしにとって何なのか、

“あの人”に“あいつ”が一体何をしたのか、

後悔と懺悔、それでも譲れなかった思い。


もう全部忘れてしまいたかったのに、認めた瞬間逃げられなくなる。


今はもう、あたしはあいつではなくて、なのに。



ぎゅっと唇を噛みしめて、ゆっくりと力を解く。

踵を返してリビングへと向かい、散らかったテーブルの上のお皿を片付けていく。



いつか、面と向かって則祐と確認しあう日が来るのかな。


それまでは、さっきみたいに腹の底を探りあうんだろう。



あたしたち、二人ともずっと昔から肝心なところで臆病だから。




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