第10話 《智久》 一の側近





「――智久ともひさ



きゃあきゃあ黄色い声を上げ、御簾の間から何本もの白い腕がその御方に向かって伸ばされていた。


でもその御方は、咲き誇る花に袂が触れて花びらを散らすまいと、絶妙にするりと避けていく。

その両目は白い腕など一瞥もせず、前方を見つめている。



「あの男、調べておいて」



斜め後ろにいた私に向かって、扇で口元を隠しながらそう囁いた。


ほんの少しの目配せ。


私たちよりも前で、どなたかが立ち話をしている。


あれは確か、参議の池端いけはた様。



「――承知致しました」



私の主は、何事もなかったようにまた廊下を歩いていく。


私はさりげなくその場から離れていく。


一人歩いていくその背を追うように、また姫君の黄色い声がいくつも上がる。



私のただ一人の主。


北畠顕家様。



まだ若干11という若年ながら、少納言に任じられ、左少将を兼任。


そしてつい先日、中宮権亮ちゅうぐうごんのすけという、帝の后妃の世話を取り仕切る役に任じられた。



そのせいで、宮中は色めき立っている。



帝の后妃という鳥籠に囚われた美しい姫君たちは、同時に飽いている。


特に後醍醐帝は、好色の帝。


その後宮に捕えられている姫君たちの数は、もはや私にもよくわからない。



――そんな后妃様方の、慰めになる。




本当に後醍醐帝がそう思ったのかどうかはわからないが、そんな言葉がいたるところで囁かれている。


私の主は、聡明で、何より、天下一の美少年と呼ばれるほどの御方。



確かにかわいそうな籠の鳥たちの慰めになっているのかもしれない。


普通の男ならば、美しい鳥たちが己に向かって心地よく囁いてくれたら、気を良くして彼女たちの虜になって堕ちていくのかもしれない。


でも、顕家様は、違う。



私から見ても、女性に対しては潔癖すぎるほど、潔癖。


嫌いだ、と公言するほど、女性たちとは距離を置いている。


そう、まるで塵芥を見るような目つきで。


そういう姿を見るたびに、顕家様の影でにやりと笑う。



この御方は帝の后妃という女性でも、なびくこともない。


後醍醐帝も顕家様の気質をよくご理解されていて、顕家様が極度の女性嫌いなことを知っているからこその、中宮権亮の任なのかもしれない。


偶像はあくまで手を触れることのできない存在であるのを、顕家様は体現してくれる。


顕家様は、誰にもなびかない代わりに、誰にも平等。


恋心が燃え上がれば燃え上がるほど、閉じ込められている后妃たちの鬱憤は、顕家様という唯一無二の存在でうやむやになってしまう。



后妃たちからは、こんな素晴らしいものを退屈な宮中に授けてくださった寛大な帝、とでも目に映っているのかもしれない。



本当は、顕家様こそ籠の鳥。



帝のために生き、そして帝のために死ぬ。

それが、名門・北畠家に生まれた者の宿命。

そして私は、そんな主を支える、影。


その名に恥じることのないように、私は徹底的に影になりきる。


顕家様の背を見送って、私は顕家様が歩いて行った方向とは逆方向へ歩き出し、角を曲がったところで口を開く。



「――仕事だ」


「はっ」


名前を呼ぶと、柱の影から2人の男が顔を出す。



「参議の池端殿について調べる。一人は池端の身辺について探れ。もう一人はここ数日の池端の動きを洗い出せ」


「承知致しました」



さっと、黒い影が動いて消える。


私も、動き出す。

金の流れに、交友関係。

裏の顔、屋敷に出入りしている人間たち。


情報が上がってきたら、精査して、先に動ける部分があれば先に動く。



私は顕家様の、一の側近。



あの御方に常に求められる存在でいたい。

あの鮮烈な光を、ただ追うことしかできなくとも。



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