第3話 《真白》お目付け役



「……真白くん?」


そっと顔を上げると、雛鶴と目が合う。

その瞳の奥に俺が映っている。


全部奪ってしまえたら、楽なのに。


俺の中に存在する、雛鶴に向かう確かな想いと欲望に忠実に生きることができたらどんなに幸せか。



夜は、深まっている。



この名を捨てて、全部振り切って、雛鶴と一緒に闇の中に身を投じれば、もう誰も俺たちの行き先なんてわからない。


市井の人々に交じってしまえば、俺たちを追うこともできない。



大塔宮様を裏切って、このまま攫って――。




手を伸ばしかけた時、勢いよく戸が開く。


驚いて手を引いたと同時に、東湖が部屋の中に入って来た。



「ど、どうしたの!? 東湖さん!」


雛鶴が本気で驚いているのか、焦った顔をして、東湖に尋ねる。


「驚いたのはこちらですよ~。誰かいらっしゃるとは思いませんでしたあ」


あははと、東湖はわざとらしく笑う。


こいつは中に俺と雛鶴がいるのをわかっていて、わざと勢いよく戸を開けた、と、その笑みを見て理解する。


本気で腹が立つ。

ぎろりと東湖を睨みつけたら、東湖はのらりくらりと俺の視線から逃れて、雛鶴とどうでもいいことを話している。



「――ところでお二人はどうしてここに?」



それが東湖が一番聞きたかったことのくせに、と思いながら、口を開く。


「別に意味はないよ。俺がここで寝ていたから、雛鶴が捜しにきたんでしょ?」


「そ、そうなの。灯りが漏れていたから、誰かいるのかと思って覗いたら、真白くんが眠っていて、うなされてたから話を――」


余計なことは言わなくていいのに、と思った時にはすでに、東湖が俺を覗き込む。


「うなされていた? 真白殿が?」


興味津々とでも言いたげな瞳で、東湖は俺を覗き込んでくる。


「どんな悪夢を見たのです」


「私も知りたいわ」


雛鶴までも便乗して、二人は俺をさらに覗き込んできた。


「そ、それは……ちょっと……」


「「ちょっと?」」


「た、大したことじゃないよ! 昔のことを夢に見ただけ!」


「「昔のこと?」」



二人は息ぴったりに、尋ね返してくる。


その様子から、逃げ場がないことが伝わってきた。



「昔、姫君たちのせいで散々な目にあったこと!!」



半ば叫ぶように言葉を落とすと、二人は目を丸くした。



「散々な目とは、姫君たちに言い寄られていたことですか? なぜそれが悪夢になるのです。むしろ天国でしょう。私ならそのような夢、大歓迎です。二度と目覚めなくてもいいと思いますよ?」



真剣な顔でそう言った東湖をぶん殴りたくなる。



「東湖は天国でも俺にとっては地獄なんだよ!」


「そんなに迫られたの?」


雛鶴は無邪気に尋ねてくるから、ため息を吐きたくもなる。


どう答えようか悩んで躊躇っていると、東湖が朗らかに言い放つ。



「それはもう、あの真白殿が怯えるほどでございますよ」


「へえ。それはすごいことだわ……。真白くんが怯えるなんて、めったにないじゃない」


「あのさあ。この話はもういいから……」


もうやめてくれと話を止めようとする俺なんておかまいなしに、東湖が嬉々として口を開く。



「すごかったですよ! 真白殿が参内する日が決まると、何日も前から女官たちが騒ぎ出し、誰が応対するかでもめにもめ、いざ真白殿がいらっしゃったら、御簾から押されて転がり出てくる姫君方がわんさかいらっしゃいましたよ」



東湖がべらべらと余計なことを雛鶴に吹きこんでいる。


これ以上やめてくれと思った時、東湖が凍り付くような笑顔を俺に向ける。



「転がり出たのを装って、真白殿に抱き着こうとする姫君もいらっしゃいましたねえ。なりふり構わずと言ったほうがいいですね。それを真白殿がさりげなくかわしていくせいで、縁には姫君たちが倒れ込んで折り重なっておりました」


「ええ!? す、すごいわね」


雛鶴が目を丸くして俺を見る。ぎょっとして、東湖に向かって怒鳴る。


「ちょっと東湖! おかしな事を言わないでよ」


結構誇張されているような気がする。

確かにそういう姫君は実際いたけれど、折り重なるくらいはいない――……と思う。

よく見ていなかったけど。


「だって真実じゃありませんかあ~。真白殿が老若男女問わず言い寄られているところを、私は何度も目撃しております」


「そ、それはすごいわ」


「もうやめろよ……」


東湖を制止しようとするけれど、東湖は自分のことではないくせにべらべらとさらに続ける。



「そのたびに、私に助けを求めてきたのはどこの誰でしたっけ? 上司殿」



にやりと意地悪く笑った東湖を、ぶん殴りたい。


「ああ、そう言えば、東湖さんは真白くんの部下だったわね」


「ええ。一時ですがねえ。私は大塔宮様との縁で真白殿とも懇意にしておりましたから、よく頼られました」


「別に頼ってないよ」


「嘘おっしゃい! 涙目で助けてくれと叫んで、私のもとに駆けてきていたじゃないですか」


その言葉に、かあっと頬が熱くなる。


た、確かにそんなことはあったような気がする。


自分がもっと幼くて、どうしたらいいかわからなくて、戸惑っていた頃。

東湖は姫君に対するあしらい方が抜群にうまくて、俺が東湖に助けを求めたら、あとはもう東湖が全部引き受けてくれる。


そういえば、東湖はどうやって姫君たちをあしらっていたのだろうか。

ふと、そんな疑問が頭をもたげる。


雛鶴は俺を見て、ふふっと微笑んだ。


「そんなに怖かったの? 大変だったわね」


その笑顔があまりにも優しくて、目が奪われる。急に幸運が舞い降りてきた、とも思ってしまう。

自分の鼓動が速くなったのを感じる。


微笑んだ雛鶴から、目が離れない――。



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