第26話 《月子》 輪廻
則祐は顔を顰めていたあたしに目を向ける。
「状況は変わってる。昔は今じゃない。辛かったら、きっとここにはいないよ」
ここには――。
まさにこのベンチで、数年前にあの人に会ったのを思い出す。
優しい声に、優しい笑顔。
あの人はもう自由で、ああ、そうだ。
――もう、自由なんだ。
本殿のほうから、柏手を打つ音が響いてくる。
美しく整えられた境内に、笑い声が時折響く。
それでもここにいる理由は、きっとそういうものに尽きるのだろう。
自分を望んで、名前を呼んでくれる誰かがここにはいるから。
「……そうだよね。そういうことだよね」
悲劇は悲劇のままではないのかもしれない。
700年経って、形を変えたのかもしれない。
そういうことを知れて、よかった。
それだけでも、あたしがここに存在する意味があったのかもしれない。
あの日、あたしが鎌倉に行って、もしも大和と一緒に700年前にタイムスリップしていたら、鎌倉が変わったことも、あの人が今どうしているかも知ることはなかっただろう。
それを理解できたことがとても嬉しい。
それなのに、まだ胸に生まれたもやっとしたものが消えない。
これはあたしの感情じゃない。
それはわかっている。
だって、こんなことを現代に生きるあたしが思うのはおかしい。
ここに来ると、苦しくなるのは悲しくなるのは、あたしがあの人に対して負い目があるから。
悲劇で終わったこと、
もしかしたら、悲劇で終わらせてしまったこと、
もっと何かできたはずなのに、そうしなかったこと、
まだ、後悔している。
700年経ったくせに、自分は未だに、そんな自責の念に囚われている――。
この輪廻はいつまで続くのか。
この絶望は、後悔は、いつ、消えるのか。
どうしたらいいかもわからずに700年経ってしまった。
俯いたあたしの背を、則祐が軽く擦る。
その手の熱で現実に引き戻される。
顔を上げると、則祐はあたしをじっと見ていた。
その瞳を見て、懐かしい気持ちに駆られる。
いつか見たその顔の輪郭を思い描いて、切なくなる。
もしかしたら、則祐はもう気づいていたのかもしれない。
たとえば、高校で初めてあたしと出会った時に。
あたしが何で、
自分が何で、
そしてあの人が誰なのか、
大和が則祐にとって何なのか、
とっくに気づいていたのかも。
「則祐……」
「ん?」
則祐は尋ね返しただけで黙り込む。
春の海のように凪いだ瞳を見ていたら、いちいち確認しなくてもいいような気がした。
則祐が言ったように状況は変わっていて、
昔は今じゃないのだから。
あたしたちも、悲劇は悲劇のままではなく、
もう一度こうやって生を受けて、もう二度と悲劇で終わらせまいとしているのだから。
この国は、優しい国。
あの人が願ったような、そんな国に生きていると思いたい。
「……お腹空いてきた」
「ははっ。そうだな。じゃあどっか食べに行こう。何食べたい?」
則祐は笑って立ち上がる。
あたしも則祐に笑みを返した。
受け入れることも、大事だよね。
今まで自分の着物姿も、則祐の着物姿も、全部拒絶してきていたけれど、そろそろ受け入れなければ。
あたしも、前に進む。
まずは一歩、踏みしめる。
銀に眩い鎌倉の道を歩いて行く。
この道の先が光あふれる場所であると信じて。
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