第12話 《智久》心酔




「……それは報酬をもらう以上、別に断る理由なんてないから受けるよ」



しんとした静寂を破り、ぼそりとキリコ殿から言葉が落ちる。


「アタシは伊賀の忍び。報酬があるなら、誰の敵にもなるし、誰の味方にでもなる。決まった主は持たないよ。だからこそ報酬をもらえるなら文句も言わずただ完遂する。カネこそ正義。それがアタシたちの信念」


その両目はじっと、私に向かっている。

まるで逃がさないとでも言うように。


「アタシが北畠に飼われているのも、払いがいいからだけだ。他にもっと払いがいい上客がいたら、さっさとそっちに乗り換える。――でもさ、はどうなの? 真白の側近じゃなくて、としては、こんな汚い仕事していてよしとするの?」


探るようなその目に、思わず表情を崩してしまいそうになったけれど、ただただ笑顔を顔に貼り付けて、動揺を隠して沈黙する。


口を開いたら、何か不具合を起こしそうだったから。


笑顔を崩さずにいると、キリコ殿は小さなため息を吐いて立ち上がる。



「そうだな、肝心なことを聞くのを忘れてた。一つ確認させてくれ」


「はい」



「……この仕事はアンタの意思か? それとも真白の意思か?」




私の意思か、それとも顕家様の意思か。


――愚問すぎる。



「私の意思ですよ。この判断に、顕家様の意思は関わっておりません」



もしこの算段がどこかで露見した時、顕家様に被害を及ぼしたくない。


あの御方はどこまでも清廉で潔白であり続けてほしい。



笑顔のままそう告げると、キリコ殿は「そうだよな」と小さく頷いた。



「アンタはすでに地獄に片足突っ込んでるってわけか」



そう。キリコ殿のおっしゃる通り、私には必要ない。


「覚悟の上です」


キリコ殿に向き直ってそう告げると、キリコ殿は苦笑する。


「アンタが生半可ではないことはわかったよ。アタシもこれで憂いなく動ける。払いがよくても依頼者が馬鹿だとこっちの身も危ないからな」


「そこは保証しますよ」


「末恐ろしいねえ。この先、真白のような男が、そしてアンタのような男の時代が来るとなると、怖くなるよ」



「……それは、褒め言葉でしょうか?」



「決まってるだろ。誉め言葉だ。とりあえずこっちは任せておけ。中納言への脅迫、怖くなったらいつでも手助けしてやるよ。払いは倍になるけどな」



キリコ殿は退出しようと御簾を上げようとする。


でもその手が、ぴたりと止まる。



「ホントアンタ、忍びに向いてるよ。まだガキのくせに、冷徹で、自分から暗い道を選んで歩いているみたいだ。普段はおどけた調子でおちゃらけて、周囲をだましてるのも見事だよ。確かにアンタに家柄はないのかもしれないけど、その才覚で、真白と肩を並べて、どこまでも上まで行けるだろうに」




キリコ殿のおっしゃることは間違ってない。


顕家様は光の当たる場所。


そして私はその影。


血が物を言うこの世界では、いつまで経っても、私は顕家様の従者。




「――別にそんな未来など、望んでおりませんので」




肩を並べて歩んでいくことなど、望んでいない。


『友』であることよりも、『主従』であることが私の最上の願い。



私が初めて顕家様に会った時に、どなたかに仕えるのならば、この御方以上の存在などないと確信した。




あまりに鮮烈なその存在は、


崇拝にも似た憧れを、私の胸に芽生えさせた。




それ以来私は顕家様に、心酔している。


あの御方の一番になりたい。という浅はかな願いを抱いてしまった瞬間、私はもう、影でいたいと思った。




「アンタの才能、もったいないねえ、ホントに」





けらけらと笑いながら、キリコ殿は御簾を下ろし、その向こうに広がる闇の中に身を溶かした。




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