第35話 生き残りの聖騎士

 従機の操縦槽そうじゅうそうをこじ開け、中にいた操手そうしゅを二人掛かりで引っ張り出す。従機の損傷は遠目で見ても酷いものだったが、近くで見るとより損傷の激しさが目についた。激戦をくぐり抜けた後なのは一目瞭然だ。


 苛烈な戦線に駆り出された猛者という印象から、乗っているのは屈強な玄人だとアースラ達は想像していた。しかし慎重に外へ出した操手は、騎士服を着た年若い少女だった。気を失い、青白い顔でぐったりしている。


「女の子ですね。聖騎士団所属の騎士――腕章からして従士階級の方みたいです」

「聖騎士はちょっと面倒ね。妾が魔族だとバレたら鬱陶しい事になりそう。見捨てていい?」


 相手を知って助ける意志を失いつつあるアースラに、ミレイユはキッと鋭い視線を放った。


「ダメです。救える命は救います!」


 有無を言わせぬ強い命令口調に、アースラはヒャッと小さく飛び跳ねた。ミレイユの勢いに押されてか、アースラの腹部の紋様まで薄く反応している。


「わ、わかったわよ。ちゃんと助けるわよ……」


 満足そうに頷くミレイユを横目に、アースラはしぶしぶ聖騎士の少女を背負った。助けると言ってもレストランにはベッドもなく、満足に手当てが出来ない。一度神殿に連れ帰る必要があった。



◇◇◇



 少女を連れて神殿に到着してから、二人は素早く動いた。リンダランダの件から介抱に慣れ、適切な処置を施すのに手間取らない。それが良い方向に働いたのだろう。少女は程なくして目を覚ました。


「命を助けてくれて、感謝するっす。自分はエスト・ヴァルトハイム。ヘイゼルニグラード街道警備隊に所属する聖騎士。階級は第三階梯従士っす」


 いくらか顔色が良くなった少女は、ぺこりとお辞儀して身分を明かした。


 腕を組んでそれを聞いたアースラは、少女の立場に目を丸くする。聖騎士団の第三階梯従士と言えば従士隊長のはずだ。小柄で華奢な体躯……それに加え、歳も若いように見えるが、第三階梯従士としての自覚が顔つきや姿勢にしっかり出ている。それだけ己を磨き上げてきたのだろう。敵ながら立派だと感心した。


 しかし、従士隊長であれば一人でいるのは不自然だ。それも、あれ程までに従機の破損が酷い状態で。


「アンタ、あんな所で何してたの?」


 アースラの問いかけに、ミレイユも小首を傾げて頷いた。


「機体もボロボロでしたし、何があったのでしょうか」

「それは……」


 エストの表情が曇った。


 明るい話ではないのはアースラもミレイユも察していた。従機やエストの状態、そして付近に味方がいない状況から考えると、何らかの緊急事態が発生したと考えるのが妥当だ。犠牲者なしの可能性は低いだろう。


 俯いて言い淀むエストの肩に、ミレイユはそっと手を置いた。顔を上げたエストは安心を誘う微笑を受け、僅かに瞳を揺らす。そして深呼吸をして気持ちを整えると、腹を据え、事の次第を打ち明けた。


 元凶は近頃街道沿いの森に住み着いた魔獣、ザウラントだった。


 ザウラントは凶暴な大型魔獣だ。獲物を捕捉すると突進して力尽くで押さえ込み、骨ごと噛み砕いて仕留める。非常に獰猛かつ短気な性質を持ち、これらの特徴から「暴竜」と呼ばれている。


 ザウラントは自分よりも大きな体躯の相手だろうと構わず襲いかかる。ザウラントより遥かに小さな人間は、仕留めやすい餌でしかない。ザウラントが近場に住み着いたと知らずに街道を通った旅人や隊商は、為す術もなく次々に食べられてしまった。


 多くの命が奪われるという甚大な被害を受け、エストが所属するヘイゼルニグラード街道警備隊はすぐさま討伐隊を派遣して駆除に乗り出した。


「誰もが煩う事なく安心して街道を利用出来るよう、平和を保つのが自分達の役目っす。討伐隊は自分含め、必ずザウラントを討とうと誓い現場に向かったっす……」


 エストは握りしめた拳をわなわなと震わせた。悔しそうに吊り上がる目の端に、大粒の涙が浮かぶ。


「自分達は日頃の訓練や実戦で培った戦闘能力を駆使して、ザウラントに挑んだっす。討伐隊は身も心も決して弱くない。暴竜に怯む事なく、全力を尽くして戦ったっす……それなのに、ザウラントは討伐隊の仲間を簡単に、全員殺していったっす。精鋭達の攻撃を物ともせず、一瞬で……あんなの、一体どうしろって言うんすか!」


 湧き上がる怒りと虚しさを抑えきれず、エストは拳に血管を浮かせながら泣きだした。有事に備えて鍛え抜かれた騎士といえど、エストはまだ年端もいかない少女だ。予想を超える惨事の容赦のなさを受け、平常心を保っていられないだろう。


 しかしその背を支えてくれた仲間はもういない。いきなり押し寄せた孤独に耐えられず、取り乱すのも無理はない。


「エストさん……」


 心中に響く悲鳴を涙によって発露させるエストを、ミレイユは抱きしめた。


 アースラは思わずピクリと片眉を上げたものの、ミレイユとエストの間に割って入れはしなかった。エストの傷心がどれ程重いかも、ミレイユがどんな思いで寄り添っているのかも、アースラは正しく理解している。


「……フン」


 僅かな妬心を、二人に聞こえない程度に吐き出した。エストは宥めるように背をポンポンと撫でられ、しゃくり上げながら懸命に話を続けた。


「じ、自分が逃げられたのは、討伐隊の隊長のおかげっす」

「そう、だったんですね」


 ポンポン。


「隊長は怠け者には容赦なかったし、叱る時はおっかなくて。自分が叱られてなくても、隊長の雷が落ちると飛び上がったっす……でも隊長は、根っこは温かい人だったっす」

「信頼出来る方だったんですね」


 ポンポン。なでなで。


「そうっす。お前だけでも逃げるんだ、って……最期も、必死になって……。だから自分は何とかして救援を呼ぼうと街を目指したっす。でも街に辿り着く前に魔力が切れて、気絶して。動力源を失ったから従機も倒れて……不甲斐ないっす。隊長が命がけで守ってくれたのに、自分は……!」

「エストさん……!」


 ミレイユがひしっとエストを抱きしめると同時に、アースラはぐりんとそっぽを向いた。


 今は大事な話をしている最中で、変な気を起こすような時じゃない。そんな事は百も承知だった。それでもミレイユがエストの為に何かをする度、冷静さを保とうと理性が働いているにも関わらず、アースラの胸はざわついた。


 ミレイユがエストにずっと構ってるから、寂しさのせいでやや心が荒れ始めているのだ。しかしアースラはこの手の嫉妬を覚えたのはごく最近で、対処の仕方が分からない。


 とにかくささくれ立つ思いを表に出さないようにして落ち着こうと、ミレイユ達に背を向けて軽く腕を回したり、背伸びしてみたりする。すると背後から胡乱げな声が飛んできた。


「……あの、アースラさん。こんな時に何で踊ってるんですか」

「踊ってないわよ!」


 振り返りながら叫んでしまった。いくら気を紛らわせたいからって、さすがにタンバリンの音が聞こえてくるような陽気なステップは踏んでない。


 アースラは仕切り直す為に咳払いをした。明後日の方向から飛んできた発言のおかげで、モヤモヤしていたものが完全に消えていた。


「と、とにかく。全然お客さんが来なかった理由がこれではっきりしたわね」


 アースラがそう言うと、エストを解放したミレイユもうんうんと首を縦に振った。


「そんな凶暴な魔獣が住み着いていたら、誰も街道を行こうとは思わないです」


 襲われて死ぬ可能性が高い道だとわかっているなら、遠回りでも別のルートを選ぶに決まっている。レストランに客を入れたいなら、まずはザウラントをどうにかしなければならない。


 エストは床に手をつき、バッと勢い込んで頭を下げた。


「どうか、お願いするっす。近辺の都市に討伐隊を派遣するように伝えて欲しいっす。このままでは死んでいった皆があまりにも報われないっす」

「そんな悠長な事をするつもりはないわ」


 アースラは肩にかかる髪を後ろへ払い除け、不敵な笑みを浮かべた。


「今から行って妾が討伐する」

「はぁ!? 自分の話を聞いてなかったっすか!」


 エストは信じられないと言いたげに顔を引きつらせた。その視線がアースラの頭から爪先をなぞる。見たいなら見ればいいと言わんばかりに露出面積の広い軽装。しかもその体つきはどう見ても戦闘向きじゃない。エストは溜息をつきながら、やれやれと首を振った。


「ザウラントはめちゃくちゃ強いんす。あんたなんかにどうこうできる相手じゃないっす」

「出来るわよ。ザウラントくらい何度も倒したわ」

「何を寝ぼけた事を言ってるんすか!」


 拳を握りながらエストは叫んだ。ザウラントは鍛え抜かれた聖騎士団の力をもってしても倒せなかった相手だ。それをこんなに華奢な娘一人が討伐など出来るはずがない。口先で強がるだけならまだしも、妄言に酔って実際にザウラントの元に行かれたら困る。勝てるはずなどないのだから。


「そんな細腕で倒せたら苦労しないっす。民間人は大人しく通報だけすればいいっす。魔獣討伐は、自分たち、聖騎士団の仕事っす!」

「あーもう、うっさい!」


 話が進まない事に苛立ち始めたアースラは、渾身のデコピンを放った。


「ふぎゃ」


 ダイレクトにデコピンを受けたエストは、尻尾を踏まれた猫のような声を上げて気絶してしまった。危うく床に倒れかけたエストを慌てて支えたミレイユは、すっかり目を丸くしていた。


「ア、 アースラさん!?」

「このままこいつと問答してても埒が明かないわ。さっさとザウラントを倒しにいくわよ」


 アースラはエストを抱えてベッドに寝かせると、スタスタと神殿の外へ向かった。ミレイユもその背を駆け足で追った。


 

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