第15話 人力パイルバンカー
「結局、水のみの字も見つからなかったわね」
もぐもぐ。アースラは舌鼓を打ちながらランチを楽しんでいた。
あれからミレイユと一緒に怪しい所を探したり、手分けして隅々まで確認してみたものの、これといった収穫はなかった。どこもかしこも干上がっていて、この数年以内に水が通った形跡すら見つからなかったのだ。
お腹も空いた事だし、一度食堂に戻って食事を取りがてら、この後の事を話し合おうと決めて今に至る。ミレイユは咀嚼してごくんと喉を鳴らすと、何かを思い出すように視線を上げて首を傾げた。
「確かに水源は見つかりませんでしたけど、一個気になった事があるんです」
「なによ?」
ミレイユは左手で宙に半円を描いた。
「お風呂場の壁沿いに、なにか溝のようなものがありましたよね。こんな感じの」
「あぁ、そういえばあったわね」
「あれって、もしかして水路だったんじゃないでしょうか?」
「水路?」
アースラの問いに、ミレイユは頷いてみせた。
「きっとあの溝を使ってお水を運んできていたんです」
「それってつまり」
「はい。溝を追いかけて行けば、きっと水源に辿りつくはずです」
「なるほどね。じゃあ食べ終わったら早速行くわよ」
ようやく手掛かりも掴めたのだし、ここまで来たら中途半端に終わらせたくない。アースラが意気込んでいると、ミレイユは両手を組んで顔をほころばせた。
「はい! 絶対に水源を見つけましょう!」
◇◇◇
そうして談笑を交えながら支度を済ませ、アースラとミレイユは風呂場へ向かった。
ミレイユが示した溝を慎重に辿っていくと、やがてそれは神殿の外に出た。しかしまだ水の気配はない。二人は顔を見合わせて、視線を溝の先へ向けた。外溝は神殿からかけ離れた奥地へ伸びている。
「どこまで行くのかしら、これ」
「さぁ……とにかく、行ってみましょう」
下草に足を取られないよう気を付けながら、二人は更に外溝を追った。時々腰を下ろして休んだり、乾いた喉を野生の果実で潤しながら斜面をしばらく上っていくと、開けた場所に出た。
よく見ると大地がすり鉢状にへこんでいる。ここもすっかり乾ききっていて、水気は微塵もなかった。
「そんな……!」
ミレイユは目の前の光景に愕然としている。無理もない。やっと目的のものを得られると思ったのにこの有り様なのだから。
「これって、ため池? 水はないわね。完全に枯れているわ」
よく確かめるまでもない。見渡す限り、どこもかしこも乾いている。水溜り程の水分さえ見当たらない。外溝があるくらいだから昔はため池として機能していたのだろうが、今は単なる広場と化している。
「こんな事って、残酷すぎます……!」
「無かったものは仕方ないわよ。今日は塩水風呂で我慢して、また明日にでも川を探しましょ」
ミレイユの服を軽く引いて帰るよう促したアースラだったが、ミレイユはキッと視線でアースラを制した。
「いえ、まだです! 私は諦めません!」
そう宣言するや否や、ミレイユはあろう事か、すり鉢の中へと滑り下りてしまった。
「ちょ、ちょっと! 何してるのよ!」
慌ててアースラは追いかけた。パッと見ただけでは危険はなさそうだが、長く管理されていない上、日光に晒され続けた場所は少なからず風化している。安易に入って怪我をしたらどうするのか。
ミレイユは追いかけてきたアースラには目もくれず、しゃがんですり鉢の中心を熱心に見つめ、地面に両手を這わせている。
「だから、水はないってば、もう諦めて戻りましょ」
「……ありました。ここです!」
ミレイユは興奮してある一点を指差した。先程までミレイユが必死に見つめていた所だが、特に変わったものはない。
「あったって、何もないじゃない」
「いえ、よく見てください。ここの地面だけ少し湿っているんです」
ミレイユの訴えに小首を傾げながらよく目を凝らし、土に触れてみると、たしかにうっすらと水の気配が手に絡む。
「あ、本当だ」
「水脈は死んでいません。この下には地下水脈があるんです!」
「おぉー」
ガッツポーズを決めるミレイユに、アースラは素直に感心して拍手を送った。
いつものふんわりした雰囲気と天然具合からは想像がつかないくらい、根性がある。ミレイユの諦めない姿勢はなかなか立派だ。
よほど嬉しかったのか、ミレイユはとびきりの笑顔を浮かべてアースラを見つめた。何やら期待の眼差しを向けてくる。
「……と言う事で、アースラさん。ここを思いっきり殴ってみてくれませんか?」
「は?」
何言ってんのと喉元まで出かかってるアースラに、ミレイユは笑顔で追撃をかました。
「殴るんです。ここを、全力で」
とんでもない要求を容赦なくぶつけてくるミレイユに、アースラは今度こそ開いた口が塞がらなくなった。
「……あ、あんた、妾を掘削機代わりに使うつもり!?」
カーッと威嚇するように目を見開いて問いつめるアースラに、ミレイユはオロオロしながら首を振った。
「い、いえ、そんなつもりはありません。ただ、殴ってみてほしいなぁ……なんて」
「言ってること同じじゃない!」
何の弁明にもなってない。
「もう知らない。絶対やらないわよ!」
アースラはプイッとミレイユに背を向けた。ミレイユはアースラの両肩を掴んでゆさゆさと前後に揺さぶりながら、半泣きで訴えかける。
「そんな事言わないでください! 水脈掘りあてて一緒にお風呂に入りましょう! 『お願い』します、アースラさーーん!」
ミレイユの懇願が山に響き渡った。同時に、待ってましたと言わんばかりにアースラの腹部の紋様が光を放つ。
呪い発動。断れない。
ありったけの悪態をつきたくなったが、それもいつも通り呪いに上書きされてしまう。
アースラはフ……と微笑んで、肩に乗るミレイユの手を優しくポンポンと叩いた。
「ったく、しょうがないわね。下がってなさい。すぐに始めるわ」
「アースラさん……!」
感激の声を上げるミレイユ。アースラは任せなさいと言う代わりに頷き、ミレイユが避難したのを見て重心を落とした。
「はぁぁぁぁぁああ……」
アースラの呼吸に合わせ、練り上げられた闘気が徐々に拳に集まっていく。遠くから見守るミレイユにまで闘気の圧力が届いた瞬間、アースラはカッと目を見開いて拳を叩き込んだ。
「うぉりゃぁぁああっ!!」
ドン!
アースラの全力のパンチを受けた大地は、大きく縦に揺れた。その衝撃で亀裂が走り、綻びが生じた大地を突き上げるように地下から水が噴射した。
長年抑え込まれていた水は天高く噴き上がり、雨のように大地に降り注ぐ。やり遂げた二人を自然が祝福しているのか、晴れ空には虹がはっきりと映し出されていた。
ため池は一瞬の内に大量の水に満たされ、元の姿を取り戻した。潤沢な地下水は二人が辿ってきた水路にも到達し、神殿へ向かって勢いよく流れ落ちていく。長い時を経て、ため池も、神殿内の水も、こうして見事に復活したのだった。
「ぷはぁ」
水面から顔を出したアースラは、空気をたっぷり吸い込んで状況を確かめた。
――上手くいったのね。
どうどうと水路を降りる水の音に胸を撫で下ろしていると、ミレイユが縁まで駆けつけた。
「アースラさん、大丈夫ですか!?」
「大丈夫よ、これくらいなんともないわ」
答えながら泳いでミレイユの元へ向かうと、ミレイユは安心したように表情を緩めた。
「よかった。すぐに出しますね」
近くまで来たアースラに手が差し伸べられる。アースラがその手を取ると、ミレイユはおかしそうにくすくすと笑って目を細めた。
「な、何よっ」
「だって、アースラさん、びしょびしょ」
「あ、あんたのせいでしょうがぁ!」
「きゃあ!」
グイッとアースラに引っ張られたミレイユは、バッシャンと派手な音を立ててため池に落ちてしまった。
「もう! ひどいですよ、アースラさん!」
全身ずぶ濡れになったミレイユは怒った素振りで抗議したが、この時間を楽しんでいるのを隠しきれていない。
「ふふん、これでおあいこよ」
「えい」
ミレイユは不意打ちで水鉄砲を食らわせた。
「わぷっ」
油断していたアースラは避けられず、もろにそれを受けてしまう。
「あはは!」
「やったわねー!」
アースラがバシャバシャと反撃するのを、ミレイユはおかしくてたまらないと言わんばかりの笑みを浮かべてかわしていく。アースラもミレイユとのじゃれ合いが楽しくて、頬が痛くなるくらい笑っていた。
水遊びは日暮れまで続いた。肌寒くなってようやくため池から出てきた二人は、星がまたたき始めている空を見上げて涙が出る程笑った。
目の前の相手と子供みたいに遊ぶのがただただ楽しくて。こんなにはしゃぐ自分達がおかしくて。言いようもない幸せを感じて、笑っていた。朗らかに。
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