第16話 お風呂を手に入れた!
ミレイユは水路脇にある草花を時折採取し、アースラは室内の飾りにするのだろうかと思いながらそれを見守っていた。水遊びの余韻を噛みしめるように、二人は帰路を楽しんでいた。
のんびり進んで神殿に着いた二人は、エントランスで歓声を上げた。噴水が勢いよく水飛沫をあげていたからだ。どうやら滞りなく神殿内に水が行き渡っているらしい。
急いで着替えを済ませて風呂場へ駆け込んでみると、湯船にはどうどうと水が注がれていた。
「これで入浴に困る事はないわね」
ひとまず目標は達成した。しかしミレイユは浮かない顔で、湯船の水をチャプチャプと触りながら肩を落としていた。
「はい。ですが、今日はお湯に浸かれませんね。今から加熱室で準備をしても、お湯が湯船を満たす頃には朝になってしまいます」
「普通のやり方ならそうなるわね」
アースラは頷いた。一人用の小さな風呂ならともかく、広々とした風呂の湯は基本的に太陽光で温まったぬるい水を加熱して得る。冷たい大量の水を加熱だけで温めるのは骨が折れるからだ。
水遊びしている間に日は暮れた。水は冷えきっている。それをこれから手作業で熱して入浴しようというのは無謀だ。しかしアースラは気にする風もなく、余裕を浮かべて身を翻した。
「ついてきなさい。加熱室に行くわよ」
「え?」
「この水をお湯にしたいんでしょ」
ミレイユは小首を傾げながらも、策がある様子のアースラの背を追いかけた。風呂場付近の加熱室に着くと、アースラはおもむろに右手を掲げる。それに応じるように、シュウウウと熱気がアースラの手に集まり始める。
「面倒な事をしなくても、こうすればいいの、よ!」
アースラは体をくの字に折り曲げて、掲げた右手を振り下ろした。黒い何かがいくつも水中へ投げ込まれ、水は沸騰したように荒く蒸気を噴き上げた。
「きゃあっ」
ミレイユは咄嗟に顔を覆い隠し、こわごわと指の隙間から水面を見つめた。水はざわめくように大きく揺らいでいる。それが落ち着いてきた頃には、うっすらと白い靄が水面から立ち上り始めた。
「これって……湯気ですか?」
「そうよ、邪法で石をいくつか作り出して熱したの。もう少しすれば熱いお湯になるわ」
アースラが言う間にも、湯気は密度を増していった。ほのかに室温が上がった加熱室はどんどん湿気で満たされていく。触って確かめなくても水温が上がったのは明らかだった。
「湯船の水が熱くなるまで時間がかかるから、その間に夕飯を済ませちゃいましょ」
「分かりました。それじゃあ私が料理している間に一つ、アースラさんにお任せしてもいいですか?」
「何よ?」
「実は……」
ミレイユから説明を受けたアースラは、また呪いが発動するような頼みかとやや身構えていたが、思いの外軽い内容でホッとした。しかしミレイユの意図が読めず、首を傾げる。
「いいけど、そんな事してどうするのよ」
頼まれたのは単純作業だが、やる必要がない事のように思えた。するとミレイユはうふふと楽しげに微笑んだ。人差し指を唇に添え、ウインクする。
「夕飯が終わるまで、秘密です」
アースラは釈然としないながらもミレイユに背を押され、一度風呂場の荷物置き場に寄ってから食堂へ戻った。ミレイユから使っていないすりおろし器と器を受け取り、各々自分の作業に入る。
任された物と夕飯の匂いが混ざらないよう、調理場から離れた場所に腰を下ろしたアースラは、眉をひそめてそれを顔から遠ざけた。
「うわ、よく見たら変色してるじゃない。薬草くさいし……使えるのかしら、これ」
口をへの字に曲げながら、それをゴリゴリとおろしていく。
経年劣化により成分が結晶化していたそれは石鹸だ。
気分が華やぐような芳香はなく、代わりに鼻の奥を捻じ曲げるような独特の薬草臭さが微かに漂っている。使わなければならないとしても気が進まない代物だった。
なるべく臭いを嗅がないように時々息を止めて何とかおろしきり、後始末をしているとミレイユがひょこっと顔を出した。
「アースラさん、ご飯が出来ましたよ」
「今行くわ」
食堂に戻ると、香草を添えた夕飯が空腹を刺激した。厚く切られた完熟野菜が程良い焦げ目をつけている。二人揃って腰を下ろして夕飯を口にすれば、美味しさに頬が緩む。相変わらずミレイユは限られた材料で舌を唸らせるのが上手い。
「ローズマリーの匂い、アースラさんはお好きですか?」
ミレイユはこれ、と皿の上を指差しながら問いかけてきた。火が通ってしんなりとした香草は、野菜に爽やかな香りを乗せている。アースラはもちろんと頷いた。
「いい匂いよね。さっきの石鹸もこの匂いならいいのに」
アースラがそう言うと、ミレイユはその言葉を待っていたと言わんばかりに顔をほころばせた。
「その為に石鹸を削ってもらったんです」
「どういう事?」
「神殿までの帰り道に摘んだものを使うんです。ローズマリーやラベンダー、それから小さな花を少し。それらを石鹸と混ぜるんです」
これからアクセサリー作りでもするような陽気さに、アースラは前のめりになった。手を加えないままあの石鹸を使うのはためらわれたが、花と混ぜるなら話は別だ。植物が混ざれば独特の臭いも緩和されるだろうし、何より面白そうで気が引かれる。
「いいじゃない。食べ終わったら早速やってみるわよ」
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