第17話 マッサージさせてください

 夕飯の片付けを済ませ、二人はおろした石鹸と、水で軽く洗った花をテーブルに並べた。


 ミレイユはローズマリーの葉を細かく千切り、アースラはミレイユに言われるまま小花の花柄を切っていく。それが終わると、ミレイユはおろした石鹸に少量の水を加え、草花を投入した。


「数日経つと花が傷むので、本当は乾燥させたものを使った方がいいんです。これは今日使い切っちゃうので、このままで大丈夫です」

「おおー、いい匂いになったわね」


 深く息を吸い込むと、森の甘く清らかな風を浴びたような気分になる。ラベンダーの安らぐ香りとローズマリーの爽やかさが鼻に通り、元からの臭いはアクセントに様変わりした。


「いいじゃない。小花が入って見た目も可愛くなったし」

「もっと可愛くなりますよ。これを雫の形に整えて……六つ並べたら……できました!」


 ミレイユに整形された石鹸は花の形になった。最初の無機質な状態からは想像もつかないものが出来上がり、アースラは舌を巻いた。いつも前向きに日々を楽しむミレイユといるとまるで退屈しない。


「あんた器用ねぇ」

「ありがとうございます。乾燥させてないので少し脆いですけど、今日はこの花の形の石鹸を使って体を洗いましょう」


 ミレイユは嬉しそうに微笑んで、石鹸とアースラを交互に見つめる。そわそわしながら二人は手早く支度を済ませ、花の石鹸を携え風呂場へと向かった。


 脱衣場で各々タオル一枚を身に着け、素足で風呂場の床を踏みしめる。すぐにゆるりと温風が巻きついてきた。夕飯と石鹸のアレンジに勤しむ間に湯気が立ち、部屋の隅まで温めていたようだ。


 アースラがランプに火をつけていると、ミレイユは小走りで浴槽へ向かって水面をペチペチと叩いた。


「アースラさん、お風呂です! お湯ですよ!」


 目がキラキラ輝いている。念願の入浴で気が高ぶってるらしく、ずいぶんはしゃいでいるようだ。


「分かったから落ち着きなさいって。すっ転ぶわよ」

「はーい」


 素直に返事するミレイユだったが、腰を突き出して浴槽のへりに手を置くその格好は落ち着きがあるものではなかった。急いで風呂場に出てきたせいか、タオルがめくれ上がってお尻がぷりんと覗いている。


 あと少しでも動くと際どい部分が視界に入りそうで、アースラはそっとタオルを直してあげた。危うい場所がチラチラ見えてしまう方が、全裸を見るより何だか気まずい。


「あんたスカートを下着に巻き込んで、下半身丸出しのまま街を歩いた事ありそうね」

「そ、そんなはしたない真似はしませんよ!」


 ミレイユは怒ったような素振りを見せたが、分かりやすくうろたえている。図星を突かれた人間の反応だ。やったのね、とアースラが白目を剥くと、ミレイユは真っ赤になりながら慌ててアースラの背後に回った。


「は、早く体を洗って湯船に浸かりましょうよ、アースラさん!」

「わ、ちょっ、背中押さないで!」


 後ろからぐいぐいと押されて焦りながら、アースラは手をバタつかせた。浴室に賑やかさが響き渡ったが、花の石鹸が泡を立てるに連れ、それは安らぎの嘆息に変わっていった。


 蒸気に混ざって室内に広がる花香は瑞々しい。ランプの微かな明かりに照らされたほの暗い浴室は、夜の蠱惑と甘い香りに満ちて幻想的だ。もうもうと湯気の立つ風呂場の熱気に包まれながらお湯を浴びれば、体の芯に安らぎが流れる。


「アースラさん、よければお背中流しましょうか」

「気が利くわね。お願いするわ」

「任せてください!」


 ミレイユは石鹸の花弁の一つを手に取り、もこもこと泡立てた。ふんわりしたクリーム状の泡が肩に乗り、ミレイユの手に押されて腕や背中へと降りていく。アースラの華奢な体に泡を滑らせていたミレイユは、ふと小さく唸った。


「アースラさん、肩凝ってますね」

「そりゃ大掃除した次の日に地面をかち割れば肩も凝るわよ」


 いかに強靭な肉体を持っていようと、疲れないわけじゃない。体を酷使すれば当然その分のツケは回ってくるものだ。


 固まった筋を伸ばすようにアースラが頭を傾けると、その肌を撫でさすっていたミレイユの手に力がこもった。


「背中を流すついでにほぐしますね。痛かったら言ってください」


 うなじから肩へ。肩から背中へ。腕をピンと伸ばして体重を乗せるようにして、ミレイユはアースラのマッサージを始めた。


 手のひら全体を使って力を加えた後、斜めに倒した親指をぐっと深く埋めたり、五指を巧みに使いながら体をほぐしていく。まんべんなく程良い力加減でマッサージされたアースラはすっかり脱力した。


「はー、極楽極楽」

「……うーん」


 それまで順調にアースラを揉みほぐしていたミレイユは、眉根を寄せると不意に手を止めた。


「アースラさん、だいぶお疲れじゃないですか? この辺りまで強ばってますよ」

「ひゃんっ!」


 ミレイユは人差し指でアースラの脇腹をツー、となぞった。急な刺激にアースラは目を白黒させ、思わず上擦った声をあげて飛び上がる。ミレイユはと言うと、マッサージに集中してふにふにとアースラの脇や二の腕を揉み始めた。


「奥がすごく固くなってます。ストレッチした方がいいですよ」

「は、あはははっ、ちょっ、ちょっとあん、あはは! あんた、何してんのよぉ!」

「マッサージです」

「やっ、あはっ、んあ、く、くすぐった、も、やぁ! やめなさいってぇ!」


 アースラの悲鳴に構わず、ミレイユは熱心にアースラの全身に手を這わせ始めた。体の固さを確かめる為に優しくまさぐってくる手が、ぞわぞわした感覚を全身に走らせる。アースラは堪らず逃げるように身をくねらせた。


 涙を滲ませながらアースラが時折あられもない声をこぼす間に、ミレイユの腕が後ろから前へ回された。逃げられないようにアースラをしっかり抱きしめて、ミレイユは肩に顎を乗せる。


「暴れないでください、アースラさん。危ないですよ」


 窘めるように耳元で囁くミレイユ。アースラはくすぐったさから解放されて安堵するのも束の間、背中に直に当たっているものにカッと頬を染めた。むっちりした弾力のあるものが、泡を押しのけて素肌に触れている。


「やっ、ちょっとあんた、あ、当たってるから離れなさいよ!」

「当たってる?」

「……胸が!」


 顔を真っ赤にしてアースラは短く叫んだ。


 ついさっきくすぐり倒された――とアースラは感じた――ばかりで、体がいつもより敏感になっている。それなのに一枚の布すら隔てず熟れきった果実二つを押し当てられては、いくら同性といえども激しい羞恥を覚えてしまう。


 ミレイユはアースラの叫びにまばたきした後、おかしそうにくすくすと笑った。


「うふふ、いいじゃないですか。女の子同士なんですから……ね?」


 ミレイユはぎゅっとアースラを抱きすくめた。その瞬間、花の香りとミレイユの匂いが、甘くアースラの鼻腔をくすぐった。オレンジ色の炎が揺らめくほの暗い浴室で、蒸気と体温に包まれる。漂う甘美に噎せてしまいそうになり、アースラは焦った。頭に血が上って、クラクラする。


「〜〜〜〜っ!」

「きゃあっ」


 ざぱぁ!


 桶のお湯を頭から被ると、ミレイユは驚いてパッと離れた。その隙にアースラは素早く立ち上がり、顔を赤くしたままスタスタと湯船へ向かった。


「も、もういいから、あんたも泡流して早く湯船に入りなさいよ!」

「はぁい……」


 ミレイユは残念そうにアースラの背を見つめた。アースラは視線に気付いていたものの、決して振り返らず湯船に入ってバシャンと顔をお湯に沈めた。鼓動が早まって耳やうなじにまで上った血を、お湯の熱さのせいにする為に。


 ミレイユも湯船に入った直後は、僅かにドギマギした空気が流れた。しかし数分もすればお湯に気持ちも温められ、互いに表情が緩んでいく。


「温かいわねぇ……」

「そうですねぇ」


 アースラは浴槽のへりで両腕を組み、頭を乗せて目を閉じた。お湯で熱くなった体の火照りが、上半身で冷やされる。肌から香る花の匂いも相まって、心も体も満たされていく。


 うとうと。


「……ふぁ」

「アースラさん、寝ちゃだめですよ。のぼせちゃいます」

「ね、寝てないわよ」


 うとうと。うとうと。


 反射的に寝てないとは言ったものの、瞼は徐々に重くなった。マッサージされたのが効いたのか、夢と現実の境目が曖昧になる。眠い。このまま朝まで寝てしまいたい。


「……ふあああ」

「舟漕いでるじゃないですか。溺れちゃいますよ」


 ミレイユに肩を揺さぶられたアースラは、緩慢な動作でミレイユと向き合った。眠気に押されて瞼が開ききっていないせいで、半目になっている。


「だいじょうぶよ……わらわを……ふあ……だれだと、おもっ……」


 アースラはゆらゆらと頭を揺らして眠気に耐えていた。が、ついに限界が来た。がくんと体から力が抜け、ミレイユの肩にとさりと頭が乗る。


「……アースラさん?」

「…………」


 ミレイユの呼び掛けに返ってきたのは、健やかな寝息だった。ミレイユは肩を竦めた後、息苦しい思いをさせないようにとゆっくりとアースラに体を寄せた。


 本当はすぐに起こして、寝室まで連れていくべきだろう。それでもそっとしておくのは、疲れきって無防備に寄りかかってくるアースラを休ませたいから。そして、無防備に身を任せて眠るアースラと、もう少しだけこうしていたかったから。


「ちょっとの間だけですからね」


 アースラの髪にそっと頬を寄せて、ミレイユは微笑んだ。


 呟きはアースラに対してのものか、それとも自分の行いに対するささやかな言い訳か。穏やかな胸の高鳴りを感じながら、ミレイユはゆっくりとまばたきした。湯気立ち上る夜は、甘く清らかな香りに満ち満ちていた。

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