第13話 意外な特技
掃除が始まってから数分後。ミレイユは水の入った木桶を二つ持ってきた。
「アースラさん、よかったらこれも使ってください」
「気が利くじゃない、助かるわ」
アースラは笑みを浮かべてそれを受け取った。この時はまだ元気だった。
それから更に数十分後。ミレイユは手慣れた様子で問題なく各部屋を磨いていった。一方のアースラは、ぐったりしながら箒を片手にうなだれていた。掃除しきったと思った後に見落としに気付いて、やっと終わったと思ったら、また見落としが……。その繰り返しで、ようやく一部屋片付けたところだった。
慣れない事はじれったい。こうも無駄が多くて、時間も労力も掛かるなんて。溜息をついたアースラは、気を取り直すように両手で頬をパチンと打った。
「いつまでもここにいちゃ駄目ね。さっさと次の所に行かないと」
「アースラさん!」
アースラが伸びをして肩の力を抜いていると、ミレイユがひょっこり姿を現した。
「そちらの調子はどうですか?」
「ふふん、見ての通り綺麗になったわ!」
さぁ褒めなさいと言わんばかりにアースラは胸を張った。ミレイユはじっと部屋を眺めると、うーんと小さく唸り始めた。
「アースラさん、もしかして床を先に水拭きして、それから棚の上の埃を払ってませんか?」
「そうだけど?」
それがどうかしたのだろうか。ミレイユは何やら思案した後、アースラを見つめて微笑んだ。
「アースラさん。私、今とってもお掃除したい気分なので、アースラさんが担当してる次の部屋を一緒にお掃除したいんですけど、いいですか?」
「え? まぁ、妾は構わないわよ」
小首を傾げながら頷いた。やると言った以上はやる。だけど手伝ってくれるというなら、満更でもない。
「ありがとうございます。それじゃあ早速、行きましょう!」
ミレイユは掃除道具を掴むとアースラの隣に並び、頬を赤らめながらニコニコと笑った。
「うふふ」
「機嫌いいわね」
「はい。アースラさんの事をたくさん知れて、嬉しいんです」
「……?」
アースラは首を傾げた。呪いのせいで多少の齟齬はあるが、お互いに相手の事を知り始めているのは同感だ。しかしさっきのやり取りから何を得たというのか。
次の掃除場所に着くと、ミレイユは箒をアースラに手渡した。
「まず私が上から埃を落としていくので、アースラさんはそれを掃いてくれますか?」
「わかったわ」
ミレイユは手際よくはたきで埃を落としていく。それをアースラが掃いてまとめている内に、ミレイユは濡らした雑巾でちゃかちゃかと上から下へ拭いていった。
「棚の上も拭くの?」
「細かい埃が落としきれてなかったり、隅に残ってたりしますからね。きつく絞った雑巾で拭くといいですよ。水と雑巾は床のものと分けて使えば、上を拭いても汚くありませんし」
「な、なるほど」
アースラは目を丸くした。一人で掃除してる時はそこまで考えてなかった。埃や汚れが目についたところから順次手をつけていたのだ。
この部屋と比べると、さっき掃除した部屋は埃っぽさが残っているように感じる。アースラはすっかり感心して視線を巡らせた。ミレイユの手順でやると効率が良く、清潔感も増す。
――掃除って、もっと単純で楽なものだと思ってたわ。
考えを改めさせられた。掃除そのものについてだけでなく、ミレイユに対しても。
「ふう、こんな感じですね!」
額の汗を拭って笑うミレイユの前で、小ざっぱりした部屋が清々しく輝いていた。埃まみれでどんよりした空気が詰まっていたのが嘘のようだ。
「それじゃあ、私は自分の持ち場に戻りますね。この調子で頑張りましょう、アースラさん!」
「あ、ちょっと」
休む暇もなく立ち去ろうとするミレイユをつい呼び止めて、すぐに後悔した。声が届いてなければいいと思ったが、しっかり聞こえていたようでミレイユは振り返った。
「はい、なんでしょう?」
「ええと……」
――妾のプライドを守りながら、掃除の仕方を教えてくれてありがとう。
素直にそう口にするのはどうにも気恥ずかしくて、目を伏せる。
ミレイユは遠回しにアースラに掃除の仕方を伝え、それ以外の事は何もしなかった。部屋を見て不出来だと感じただろうに、それについて仕草の一つにも表さなかったのだ。
ミレイユの優しさが、嬉しかった。
「……あ、ありがとう」
何とかそれだけ言ったものの、羞恥心がつま先から頭まで駆け上がって、頬と耳が一気に熱くなる。悟られないように両腕を組んで、フンと鼻を鳴らしながらそっぽを向いた。
「掃除を手伝ってくれて! それだけよ、他の意味なんてないんだから!」
ミレイユは二、三度パチパチと瞬きをした。じっとアースラの赤い顔を見つめたミレイユは、ふわりと柔らかく微笑んだ。
「……ふふ。どういたしまして」
「…………フン」
顔を逸らしたまま、再び小さく鼻を鳴らす。胸の中がくすぐったくて仕方なかったが、不思議と悪い気はしなかった。
◇◇◇
「お、終わった……!」
掃除道具一式を片付け終わったアースラは、げっそりしながら深く息を吐いた。肩を回しながら食堂へ向かう途中、開け放した窓から風が流れ、肌をすっと撫でていく。静けさが漂うそれはすっかり冷気を帯びている。熱心に掃除している間に日が暮れてしまったせいだ。
空腹に急かされて、早足で廊下を進む。食堂が近付いてくると、冷えた風に温かな生活の匂いが混ざり始めた。先に掃除を終わらせたミレイユが夕飯を作ってくれているのだ。
食欲をそそる美味の気配に胸をときめかせながら、アースラはミレイユの元へ向かった。
「掃除終わったわよ」
「あ。アースラさん、お疲れ様です」
上機嫌で味見していたミレイユは、振り返って笑顔を見せた。
「着替えと濡れタオルを用意しておきましたので、着替えたら降りて来てください。もうすぐ夕飯ができますからね」
「ふーん、着替えなんてあったのね」
つま先立ちになって鍋の中を覗こうとするアースラに、ミレイユは頷いた。
「はい、倉庫の中に使えそうなものがいくつかありましたので、虫干ししておきました」
「助かるわ。着替えてくるわね」
汗もかいたし埃も被った。食事の前に体を拭けるのはありがたい。早速指定された部屋に向かったアースラは髪をまとめ、濡れタオルで全身を拭いていく。
どうせ他に誰もいない。さっさと済ませてしまおうと、惜しげもなく上半身の白い肌を晒してタオルを体に沿わせた。
顔の汗を拭き取ってから、首、鎖骨、そして豊かな双丘へ。たゆんと腕に乗る胸を拭いていると、微かな風が頂点を掠めた。肌に残る水分が冷やされて、びくりと体が跳ねてしまう。
「ひゃっ……! うう、流石にちょっと寒いわね」
アースラは中途半端に服を剥いだ体を少しでも温めようと、両腕をさすった。急いでうなじから背中、腰を拭き、衣服を全て取り払って下半身も同様に。全身を拭ききった頃には冷えが指先を震わせたが、体のべたつきは解消されてさっぱりした。
満足しながら着替えに手を伸ばしたアースラは、それを広げてゲッと不快を漏らした。
「これ、修道服じゃないの」
眉間にシワを寄せて服を睨みつける。しかしこれしかないのだから、背に腹は代えられない。しぶしぶ修道服に袖を通したアースラは、食堂へ急いだ。
早々に配膳を済ませた二人は、食卓に着いてほかほかと湯気の立つスープに口をつけた。具材の旨味が染み出た黄金色のスープを口内に注いだアースラは、電撃を受けたようにカッと目を見開いた。
「お……美味しい!」
熱々のスープにはすりおろされた香味野菜がいくつも使われていて、深みのある味わいになっていた。一口サイズに切られた根菜類やオーツ麦にも味が染みていて食べやすい。具沢山の野菜スープ。馬車から持ってきた野菜だけで、まさかここまでの品を作れるとは思わなかった。
「あんたにこんな特技があったとはね……!」
「えへへ、料理は得意なんです。私、本当はシェフになりたくて村を出たんです」
夢を語るように微笑んだミレイユは、掬ったスープを飲んでほっと安らいだ吐息をこぼした。そして今までの事を思い出したのか、肩を竦め、苦笑する。
「……なんか、色々あって、要塞都市の中に押し込められちゃいましたけど」
「確かに、この味ならお店が出せそうね」
アースラは前のめりになってスープを見つめた。美味しいだけではなく彩りも良く、目まで楽しませてくれる。新鮮な喜びが沢山得られる食事だ。虜になる人は多いだろう。
「ありがとうございます。とても嬉しいです」
「ねぇ、他にはどんなものを作れるの? 好きな料理は?」
「それはですね……」
嬉々として質問してくるアースラに、ミレイユは笑顔で応じた。おかわりを挟みながら会話はいつまでも続き、疲れなど忘れて二人は和やかな時間を楽しんだ。夜が更けていくのも、気付かずに。
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