処刑台の聖女は最強魔族を篭絡してスローライフを始めたい

エルトリア

第1話 鏡面の聖女ミレイユ

 吹き荒れる炎が天地を舐め、轟音が大気を震わせる。苛烈な攻撃を仕掛けながら、アースラは忌々しげに舌を打った。


「あの結界さえなければ……」


 要塞都市ミロワール。その中央に聳え立つ塔を睨みつける。攻撃をする度、鏡面結界きょうめんけっかいが塔を中心にして展開される。そのせいであらゆる邪法ゲヘナが都市へ届く前に弾かれ、侵攻がままならない。


 遥か太古の時代、悪逆の限りを尽くした異界の魔神デウスーラは聖華の三女神によって大陸北東部の孤島に封印された。


 だが、強大な力を持つ異界の神を封じきる事は叶わず、封印は破られ、デウスーラは復活を遂げた。復活を遂げた魔神デウスーラは魔界で軍を成し、進軍を開始した。女神の眷属である人族を滅ぼすために。


 軍団長アースラが率いる魔族軍、聖王国北部方面侵略軍がミロワールへ来たのもそのためだった。ミロワールは魔族との攻防を繰り広げる要塞や、軍事拠点への補給物資を供給をする役割を担っている。ここを落とせば、魔族軍の勝利が近付く。何としてでも手に入れたい拠点だ。


 ――早くどうにかしないと。


 アースラは背後に視線を投げた。無傷の都市とは対照的に、魔族軍は多くの犠牲が出ている。火力で押し切ろうとしては結界が発動し、攻撃が全て跳ね返されるせいだ。


 強力な邪法ゲヘナが返ってきても、魔人皇まじんおうの娘たるアースラには通じない。そよ風を受けるようなものだった。しかし下位魔族はそうはいかない。直に大打撃を受けてしまう。状況が芳しくないのは、誰の目にも明らかだった。


 弱いヤツが悪いんじゃない。だけど、このままでは埒が明かない。戦力が削れていくだけだ。


 どうしたらいい。結界を消す術はないものか。


 結界は常時発動しているわけじゃない。しかし隙を狙って都市に入ろうとしても、結界が発動した瞬間に押し返されてしまう。根本を叩かなければ、状況はいつまで経っても好転しないだろう。


「でもどうしろってのよ……妾が弾き飛ばされるんじゃ、どうしようも……」

「アースラ様。僭越ながら一つ、提案がございます」


 控えめにかけられた言葉に振り返る。声の主は眩しいものを見つめるように目を細め、発言の許可を待っていた。


「なによヴァルター、言ってみなさい」


 北部方面侵略軍副団長、ヴァルターは恭しく頭を垂れた。


「街に悪魔を潜入させるのはいかがでしょうか。悪魔ならば人間に近い見た目ですから、ヤツらを欺くのも容易でしょう」


 名案を語るような口ぶりに、アースラは怪訝な顔になる。


「他都市からの流入さえ制限してるのに、そう簡単に潜入なんてできるわけないわ」

「無策で提案しているわけではございません。例外があるのです」

「例外?」


 ヴァルターは大きく頷いた。


「ヤツら、聖痕のある女性を探しています」


 少なからず期待して耳を傾けていたアースラは、呆れたように肩を竦めた。


「バカね。それが何になるっていうの? 魔族に聖痕なんてあるわけないでしょ?」


 聖痕とは、聖華の三女神の加護を受けた者が持つ痣だ。女神と対立関係にある魔神の眷属に、そんなものは現れない。


「もちろんです。ですから、こういうのはいかがです?」


 ヴァルターは悪魔の一人に目配せをした。悪魔は頷き、胸に流麗な紋様を描いてみせる。


「別に本物でなくても、それらしく見えればいいのです」


 ヴァルターは小狡い笑みを浮かべた。紋様は本物と遜色がないくらい出来がいい。これなら確かに騙されるだろう。


「へぇ。あんたにしては考えたじゃない、ヴァルター」


 アースラは感心して目を丸くしたものの、すぐに首を傾げた。


「それで?」


 街に潜入できたとして、それで終わりでは話にならない。ヴァルターは結界の中心地である塔を指差した。


「聖痕のある女性は、あの塔に入ることを許されます。万が一疑われても邪法で洗脳すれば、なんとか切り抜けられるでしょう」


 ヴァルターが言わんとする事を察したアースラは、ふふんと笑みを浮かべた。


「そうね。なかなかいい作戦かもしれないわ」

「もったいないお言葉」


 深々と頭を下げるヴァルターを尻目に、アースラは塔を見つめて目を細める。きっと今頃、人族は結界があるから安泰だとのんびり構えているのだろう。赤い舌でちろりと舌なめずりする。裏をかいて魔族が乗り込んでいったら、人族はどんな顔をするのか。


「塔に入って中から叩けば、結界も消えるはずよね。さっそくやってちょうだい」

「はっ」


 ヴァルターは紋様を描いた悪魔と共に都市へ向かった。

 興奮して鳥肌が立つ。邪魔な結界が消えれば、ようやくこの都市で大暴れできる。


「ふふ……どんな風に破壊しようかしら。楽しみね」


 アースラはうっとりと微笑みを浮かべていた。血に飢えた獣のように、らんらんと瞳を輝かせながら。



◇◇◇



 ミレイユ・サンドロットはひどく困惑していた。つい先程まで聖堂でミロワール全域を覆う結界を張り、魔族の攻撃を跳ね除けていた。それなのにどうして、兵士に拘束されなければならないのだろう。


 こんな事をしていたら、魔族の侵攻を許してしまう。焦るミレイユに対し、ミロワール守備隊隊長、第四階梯聖騎士ジード・フェミナンは刺し貫くような冷たい視線を向けた。


「一体、どうしたというのでしょう。ジード様……」

「よくもこれまで私を欺いてくれたな」


 ジードは吐き捨てるようにそう言った。


 ――欺いた?


 思いがけない言葉に、ミレイユは困惑を強めた。


 ジードは常に上を目指す野心家ゆえかプライドが高く、自分を貶める人間を許さない。そうでなくても信頼していた者に欺かれたら、怒るのは当然だ。しかしミレイユには全く身に覚えがなかった。


「仰っている意味がわかりません」


 心からの言葉に、ジードは蔑むように目を眇める。全て知っているぞ、と告げるような威圧感がそこにあった。


「そなたは聖女ではない。本物の聖女が現れたのだ」

「本物の……聖女?」

「そう。そなたの取るに足らない聖痕とは全く違う、神々しいまでの聖痕を抱いた本物の聖女だ」


 ジードの背後から、一人の女性がゆっくりと姿を現した。その豊かな胸元には、聖痕と思われる紋様がくっきりと浮かんでいる。


「え……」


 思わず目を見開くミレイユの反応を、自分が偽者と認めたのだと解釈したジードは勝ち誇ったように両腕を広げた。


「休みなく結界を張ることも出来ぬ者が、聖女であるはずがなかったのだ。お前は偽りの力で我々を欺き、魔族をこの街に引き入れようとしているな?」

「そんな! 違います! 私にも確かに聖痕が――」


 ミレイユは慌てて右手を見せた。天使の羽を象った痣を一瞥したジードは、嘲笑と共に首を振る。


「どちらが本物かは、比べるまでもない」


 鼻を鳴らして、ジードはミレイユの眼前に指先を突きつける。


「魔法を反射する不思議な力を持つからと都市に入れたが、お前は結界を常時維持する事もできないできそこないの聖女。最後まで非を認めないとは、西部の農村出身の田舎娘なだけあるな。これほど卑しい性格で聖女を騙るなど、おこがましいのも程がある」

「……違い、ます」


 心ない言葉に声が震えたが、ミレイユは譲るわけにはいかなかった。


 胸元を見せつける女性の紋様は確かに精巧だった。精巧すぎると言ってもいい。そのせいか、どこか禍々しく感じるのだ。女神の聖なる加護を受けた証が、色欲を刺激するような場所に刻まれているのも違和感がある。


 もしもこの違和感が見逃してはいけないものだったら。そう思うと、ぞっと血の気が引いた。


「私は偽者ではありません! 偽者ならなぜ私は今まで、必死にミロワールを守ってきたのですか!」

「それこそ欺くためだろう! お前が来てから魔族の襲撃は増す一方ではないか、貴様が魔族を手引きしているのだろ!」


 結界により難攻不落になったのだから、そこを崩そうと魔族が集中的に攻撃してくるのは当たり前だ。頭に血が上っているのか、それともかつてミレイユに求婚したのを拒まれたのを根に持って、私怨で悪だと思いたいからか、ジードは魔族側の都合に気付かない。


「手引きなんて……! いいえ、私はそのようなことは――」

「言い訳など無用だ。やれ」


 ジードの合図を受けた兵士は、ミレイユの反論を聞き入れず、部屋から引きずり出した。聖なる存在であると騙った大罪人を、処刑するために。

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