第3話 最強の魔族

 澄んだ声色の挑発は壮絶な緊張感を生み、兵士達の肌をビリビリと焼いた。アースラの身の内から溢れ出る強者の気配に兵士達はたじろいだが、多勢に無勢。アースラは一人で乗り込んできたのだ。


 勝てる。兵士達はすぐさまアースラを囲み、雄々しい叫びを上げながら武器を構えた。


 アースラは口の端を歪めた。


「遅いのよ」


 カッと目を見開いたアースラが邪法ゲヘナを発動させた。雷鳴が轟き、兵士達を一瞬にして消し炭にしてしまう。


「驚いてる暇はないわよ!」


 邪法ゲヘナが当たらなかった兵士達がひるむ隙を突いて、アースラはすらりと伸びる脚で兵士を蹴り飛ばす。蹴られた兵士は砲弾を受けたように勢いよく吹き飛ばされ、後方にいた兵士達を巻き込んで壁に激突した。


 同様に何十人もの兵士が一気にやられ、屋上にはあっという間に戦闘不能の兵士の山が出来上がった。


 先の悪魔とは比べようもない力を発揮しながら、アースラに疲れの色はない。


 運良くアースラの攻撃が当たらなかった数人の兵士は、すっかり腰を抜かしていた。圧倒的な力の差と、明確な死。鼻先に突きつけられたそれらが、兵士の気力を根こそぎ奪ってしまった。


 アースラはニィ、と笑った。怯える生き残りを、逃がすつもりはない。


「見てられないな」


 ズシン、と屋上が揺れた。ぐったりと倒れる兵士達をかき分けて現れたのは、巨大な聖騎士だった。二メートルはある体躯に、アースラの身の丈程もある大剣。勇猛な聖騎士の姿に兵士達は活気を取り戻した。


 この聖騎士は幾度となく魔族との戦いに挑み、敵を蹴散らしてきた歴戦の騎士だ。邪法ゲヘナが繰り出されようと物怖じせずに応戦し、勝利を掴み取ってきたのだ。体格もいい。聖騎士とアースラが向き合うと、熊と子猫のようだった。さすがのアースラも敵うまい。


 兵士の高揚をよそに、アースラは余裕を崩さず目を細めた。


「へぇ、少しは骨がありそうじゃない。妾を楽しませてくれるなら、ご褒美で楽に死なせてあげる」

「戯言を。死ぬのは貴様だ!」


 聖騎士は間合いを詰め、大剣を振り下ろした。重い斬撃が叩き込まれ、屋上に広範囲の陥没を生み出した。アースラはひらりと軽やかにかわし、こっちだと人差し指でクイクイと煽る。


「どこを狙ってるのかしら? まさかそれで本気だなんて言わないわよね?」

「小娘が!」


 聖騎士はアースラに駆け寄り、一撃を繰り出す――フリをした。フェイントだ。アースラは聖騎士の狙い通り、先程のようにトンと地を蹴った。


「そこだ!」


 アースラが着地するだろう場所に渾身の一撃を放つ。どん、と腹に響く衝撃音が響くと共に、土煙が舞う。今度こそ仕留めたはずだ。


 聖騎士は勝利の快感に目を輝かせた。

 その耳元に、くすくすと微笑む声が降りてくる。


「ねぇアンタ、初めから遊ばれてるって気付いてないの?」

「なっ……」


 聖騎士の頭上で、アースラは満月を背にしながら目を細めていた。


「バァカ」


 ざん。


 蛇のような禍々しい形状の矢が、聖騎士の全身を貫いた。邪法ゲヘナの矢を無数に受けた聖騎士は、驚愕の表情を浮かべたままたたらを踏み、やがてゆっくりと後方に倒れていく。


 ずしん。巨体は屋上に倒れ、そのままピクリとも動かなくなった。兵士達は呆然とした。直後、爆発するようにパニックを起こした。武器を放り捨て、兵士達は我先にと逃げ出す。あの聖騎士が敵わないなら勝ち目はない!


 混乱に乗じて屋上の隅に避難し、一部始終を見ていたジードは控えの聖騎士を呼びつけた。


「機兵を使え」


 兵士を追いかけ回すアースラを睨んで命令を下すジードに、聖騎士は困惑した。


「恐れながらジード様、住民の避難が済んでいない状態で、機兵を出動させるのは危険すぎます」


 交戦用に作られた機兵は巨大で、移動中に建造物を破壊してしまう。このまま機兵を都市内で動かせば、甚大な被害が出るのは明らかだ。聖騎士はそれを危惧していた。


 ジードは不愉快そうに眉間にシワを寄せ、アースラを指差した。


「アレを放置すればもっと犠牲者が出るぞ。そんなこともわからんのか、この大馬鹿者め!」


 ジードの命令に従って、機兵が三機出動した。地響きを伴いながらこちらへ向かってくる機兵に、アースラはオモチャを見つけた子供のように目を輝かせた。


「人間どもが使う木偶デク人形ね。いいわ。相手になってあげる」


 八メートルに及ぶ機兵の白いボディは、暗闇の中にあっても見つけやすい。虎頭の機兵達はゆっくりと左右に揺れ、一歩踏み出す度に家屋をなぎ倒して轟音を立てる。


 重量を感じさせる機兵の様子を鼻歌交じりに眺めていたアースラは、ふと怪訝な顔になる。轟音の中に、弱々しい悲鳴が混ざっていたからだ。


「……まさか」


 アースラは照明弾を機兵の足元に放つ。真っ赤な光に照らされたそこには、泣き叫びながら逃げ惑う人々がいた。


 彼らの存在に気付いているだろうに、機兵は鈍重な動きを止めなかった。


「呆れた。護るべき人々を護らずして、なんのための兵なの」


 聖騎士だろうと、兵士だろうと、生活の中で間接的に彼らからの恩恵を受けているはずだ。それなのにああして無残に蹴散らすなんて、感謝も情もあったものじゃない。


「悪だなんだと言われてる魔族より、よっぽど心がないように見えるわね」


 溜息をつきながら、アースラは素早く飛び上がった。遅れて機兵の斬撃が放たれる。最初に到着した機兵が体勢を整える前に、アースラは力を込めて蹴り飛ばした。


 蹴られた機兵は宙に浮き、凄まじい速度で地面に衝突した。アースラは軽く舌を打った。


 戦闘特化の機兵はさすがにタフだった。あれだけの衝撃を受けたにも関わらず、機兵はすぐに起き上がり、戦闘態勢を取る。見たところ、どこかが破損した様子もない。


 そうしている内に残りの二機も到着した。三対一。このままではさすがに分が悪い。


「面倒ね。一気にケリをつける!」


 アースラはスゥと息を吸い込み、天を仰いだ。


「我が身に宿りし、終焉の欠片、全てを統べる鍵にして、扉を開く者、汝の名は――リーヴェン・レ・スパーダ」


 凛とした声に呼応するように、空間に裂け目が生じる。そこから現れた柄を掴み、素早く引き抜く。


 刃は赤く、脈動するように妖しく輝いている。アースラの二つ名である狂嵐の魔皇女に相応しい様相の魔剣、リーヴェン・レ・スパーダ。


 アースラは魔剣を構え、歯をむき出して獰猛に笑った。


「来なさい!」


 機兵は地面を揺らしながら、アースラに攻撃を繰り出していく。その様子はさながら、三つの巨大な白虎を相手取り、せせら笑いながら舞い遊ぶ可憐なバラのようだった。


 アースラは機兵を蹴り飛ばしながら宙に浮き、縦横無尽に剣を振るう。その度に魔剣から黒い閃光が迸り、堅牢な機兵を破壊していく。


 高揚感に頬を染めるアースラは苛烈に攻撃を仕掛け、機兵は為す術もなくボロボロと機体を崩される。渾身の一撃も全てかわされて、華やかな毒に侵されていく。


 あっという間に二機が破壊され、最後の一機もついに斬り飛ばされた。機兵の残骸は吹き飛び、あちこちで建物を貫いた。その衝撃で一棟が倒壊していく。


 魔剣を異空間に戻したアースラは、ハッとして崩れ落ちる建物の下を目指した。最高速度で飛んだアースラは、青ざめて震えていた子供を抱えてすぐさまその場から脱出した。一瞬の間の後、子供がいた場所は瓦礫の山に変わった。


「あ……あ……」


 子供は目に涙を溜めて、ガタガタと震えていた。きっと逃げ遅れて家族ともはぐれ、建物の陰に隠れて身を守っていたのだろう。


 アースラは子供をあやすように抱え直し、危険の少なそうな見晴らしのいい場所に連れて行った。降ろされた子供はまだ震えていたが、多少は絶望が和らいだようだった。


 安堵が顔に出る前に、アースラは子供に背を向けた。自分は魔族だ。懐かれては困る。


「死にたくなければ、さっさと逃げなさい。妾の気まぐれは、そう何度も起こらないわよ」

「あ……お、おねえちゃん……その」

「早く行きなさい」


 ピシャリと言い放つアースラに、子供は言葉を飲み込んだ。力の入らない足でゆっくりと立ち上がり、弱々しい足取りで遠ざかっていく。


 そろそろ後続の魔族軍がやってくる頃だ。居場所を示す邪法ゲヘナを探そうとアースラが一歩踏み出した時、子供は振り返った。


「ありがとう!」

「…………フン」


 頑張って絞り出したような大声に、アースラは小さく鼻を鳴らして飛び去った。


「ここをめちゃくちゃにした張本人にありがとうなんて、バカね」


 滑空しながら呟く声が、自然と柔らかくなっている。アースラは気付かず速度を上げ、ヴァルターの元へ急いだ。

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