第4話 愚か者の最期

 アースラが魔族軍本隊の元に降りると、ヴァルターは喜色を浮かべて頭を下げた。


「状況は?」

「は。ここへ来るまでに幾度か攻撃を受け、下位魔族が数名負傷しましたが、進軍に問題はありません」

「そう、悪くないわね」


 アースラは塔に乗り込んでからの一連の出来事を伝えた。機兵を倒したところまで話し、通る風のかすかな乱れを感じて振り返る。ひと息つく暇もない。


「……来たわね」


 目を細めて見つめる先、瓦礫の山の隙間から、無数の松明の明かりが覗いている。侵入してきた魔族軍を退けるために、兵士達が大群で押し寄せていた。


 向こうから来てくれるのは好都合だ。根城を探して回る手間が省ける。このまま一気に叩いてしまえば、勝利を収めたも同然だ。


「ここで人間どもの戦力を削ぐわ。ヴァルター、軍を指揮して各個撃破を」

「はっ」


 敬礼で応えるヴァルターに背を向け、アースラは塔を見つめた。屋上にアースラが現れた瞬間、あの場は戦場になった。武器を手にした男ばかりがそこに押し寄せていたが、奥に一人、場違いな者がいた。


 夜空を背にして磔にされていた娘。可憐な花のような彼女の姿が、脳裏に焼きついている。縛られていた彼女をあのまま放っておくのは気分が悪い。


「妾はやることがあるわ」


 重心を落として、アースラは力強く地を蹴った。夜気を割いて向かう先は、塔の先端だ。



◇◇◇



「何もかもお前のせいだ!」


 バシン、と鋭く頬を打つ音が響いた。磔の前で仁王立ちしながら、ジードはミレイユの頬を叩いた手を怒りで震わせている。


 屋上からは魔族軍の侵攻の様子がよく見えた。魔族軍の苛烈な攻撃を前にして、人間達はたやすく散っていく。果敢に魔族を斬り捨てていく者もいるが、邪法ゲヘナで生じる炎や刃が縦横無尽に走ると敵わない。退避が間に合わず、次々に倒れていく。


 もはやこれは戦いではない。魔族の一方的な殺戮と言うべき状況になっている。


 冗談じゃない。自分に相応しい地位を獲得する為に、どんな手を使ってでものし上がってきたのだ。だと言うのに、その地位を輝かせる都市は終わりを迎えようとしている。


「お前が……お前が全て台無しにしたんだ。おぞましい魔族の策略にはまったのも、こんな事態になったのもお前のせいだ。どうしてくれる! 人間が死んでいくのは全部全部、全部お前のせいだ!」

「もう……もうおやめください、ジード様……」


 ミレイユはカタカタと小刻みに震えて涙を流した。ミレイユの心はすっかり傷だらけになっていた。人々を守る力を持っていながら、守りきれなかった。祭壇がなかったとはいえ、事態が事態だ。仕方がなかったと開き直る事は到底できない。


 ジードに怒りの矛先を向けられながら、悲劇を招いた責任を感じて胸を痛める。ミレイユの絶望は、ジードのそれより遥かに深かった。


「泣いて被害者の顔をするな!」


 ジードはミレイユの襟ぐりを掴み、手を上げた。


 その時、強い風が屋上に吹き荒れた。何事かと顔を上げたジードは、青ざめながら急いでその場を離れる。風の中心地で、アースラは跳ねる髪を後ろへ払った。


「減速が遅れちゃったわ。花が吹き飛ばないよう、ゆっくり着地したかったのに」


 アースラは辺りを見回し、ミレイユを認めるといそいそと側に歩み寄った。


「やっぱり拘束されたままだったわね。喜びなさい、妾が枷を外し――」


 声を弾ませていたアースラは、異変に気付いて口をつぐんだ。涙に濡れたミレイユのまぶたが腫れ、頬は赤く膨らんでいる。瞳は弱々しくかげり、諦めを滲ませていた。


「……」


 眉間にシワを寄せたアースラは、そっとミレイユの頬に触れた。ジードはアースラの注意が向かない内にこっそり逃げようとしていたが、怒りを宿した目が刺すように睨んだ途端、悲鳴を上げてへたりこんだ。


「これは、あんたの仕業?」


 怒気を孕んだ声に呼応して、大気が重くのしかかってくる。ジードは慌てて首を振った。


「ち、ちち、違う!」


 死にたくない。その一心で必死に否定した。


 みっともないだとか、情けないとか、そんな事は意識にのぼらない。機兵三機をたった一人で破壊してしまった化け物が、ミレイユの傷を目にしてなぜか怒っている。自分がやったとバカ正直に答えたら、殺されるに決まっている。


 一方、アースラはすっかり白けてしまった。屋上にいるのは倒れ伏した人間ばかり。ミレイユを追い詰め、頬に痛々しい手の痕をつけられるのはジードだけだ。どうせ嘘をつくなら、もっとマシな嘘をつけないのか。


「あっそう」


 フイとそっぽを向く。アースラはミレイユの涙を指先で拭い、ジードにはもう一瞥も与えなかった。


 アースラの怒気から逃れたジードは、ホッと胸を撫で下ろす……のではなく、憤慨して目を見開いた。


 今までどこを歩いていても、敬意や畏怖の念を向けられてきた。人の上に君臨するべくして君臨する。それだけの資質が自分にはあるのだ。


 だと言うのに、アースラが向けてきたのは、路傍の石を見るような無感動さ。ずっと殺意を向けられるよりはマシだが、鉄壁のプライドにヒビを入れる態度は大いに気に食わない。


 ジードは拳を握りしめた。何とかして痛い目に遭わせられないものかと歯噛みして、華奢な背中を凝視する。一向にジードに対して少しも興味を向けないアースラに苛立ったが、ふとある事に気付いた。


 アースラは今、ミレイユに気を取られている。臨戦態勢を取られては勝ち目がないが、隙だらけの今ならば。


 ――殺せるかもしれない。


 剣の柄に手をかけながら、じりじりとアースラに忍び寄る。気取られないようにゆっくりと、息を殺して慎重に。ジードがゆっくり近付いているにも関わらず、アースラの気配は緩んだままだ。


 やれる。ジードはにやりと笑った。息を詰め、アースラの急所を狙って一気に斬りかかる。強さに甘んじてすっかり油断していたアースラは、カッと目を見開き、血を吐き出してその場に崩れ落ちる。


 はずだった。


「不意打ちならもっと上手くやりなさい」


 空を切る剣。崩れる体勢。肩に乗る華奢な手。凄まじい冷気を帯びた声。


 ジードの全身から冷や汗が吹き出た。恐ろしくて動けない。振り返ったら、化け物と目が合ってしまう。


 いつの間に背後に回ったのか。血の気が引いて、だくだくと汗が垂れていく。ジードの激しい動揺など構わず、薄い手はグッと力をこめた。みしり、と肩から嫌な音がする。


「ひぃいいいっ!」


 すっかり怯えたジードは無我夢中で暴れた。手を振りほどいて、ろくに前を見ずに錯乱したまま屋上を駆ける。


 ばたばたとうるさく音を立てていたジードの足は、不意に空振った。宙を踏んだのだ。ハッとするジードに構わず、体は塔の外側へ勢いよく傾いていく。


 慌てて体勢を整えようとするも遅かった。つんざくような絶叫だけを屋上に残して、ジードは夜闇に消えた。


「あーあ、殺し損なったわ。……まあ、さすがに死んだかしらね?」


 塔は天を衝くように高く聳えている。たとえ落下地点に木々があったとしても、命を守るクッションにはならないだろう

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