第40話 人間と魔族

「ご無沙汰致しております、アースラ様。遅ればせながらこのヴァルター、アースラ様をお迎えに上がりました」

「手掛かりを掴んでからここに来るまでは早かった。そうよね?」


 アースラはヴァルターを見下ろして、目を細めた。


「聖騎士が倒せなかったザウラントが不可解な死を遂げ、更に最近出来たレストランでその肉が提供されている。優秀なアンタの事だから、総力を上げてその噂を聞きつけて、妾はそこにいると突き止めたんでしょう」

「さすがはアースラ様。ご明察の通りです」

「自分の副官の事くらい見通して当然よ」


 アースラがそう言い切ると、ヴァルターは恍惚の眼差しをアースラに向けた。ヴァルターの目に映るアースラは、今も昔も変わらず、王者の品格を薫らせる絶対的な強者。忠誠を尽くす対象であるアースラから深く理解されているというのは心強く、部下としての快を得たのだった。


「アースラ様が我らの拠点にお戻りにならなかったのは、何らかの事情があっての事でしょう。しかし要塞都市が陥落した今、我らは勢いを落とせません。指揮官であるアースラ様にはお戻り頂き、次の侵略についてご指示賜りたく存じます」


 ヴァルターは頭を垂れ、丁重にアースラの帰還を促した。アースラがいない間はヴァルターが上手くとりなしてきたのだろう。アースラはすぐさまヴァルターと拠点に戻って軍議に参加し、ヴァルターを含めた仲間達の労をねぎらってやりたかった。


 それはそれとして、と、アースラはチラッと背後に視線を投げた。ミレイユはハラハラした様子で口をつぐんでいた。


 こっちにはどうしても譲れない事情がある。アースラはヴァルターを見つめ、堂々と胸を張りながら宣言した。


「妾はしばらく休暇にさせてもらうわ」

「アースラ様!?」


 予想外の返答に、ヴァルターは唖然とした。この局面で休暇など正気かと言いたげな顔をしている。


 ――分かる、分かるわよヴァルター。アンタは間違ってない。


 我ながら苦しい事を言っていると重々承知している。それでもこう言うしかないのだ。だってそうだろう、まさか「狂嵐の魔皇女が呪いを反射されて、人間の言いなりになってるから帰れません」だなんて、馬鹿正直に話せるはずがない。自分を慕う部下にそんな間抜けな事を明かすなんて、プライドが許さない。


 それに、呪いがなかったとしても……。


「ア、アースラさん……」

「安心しなさい。妾はどこにも行かないから」


 ね?と微笑んで、なるべく優しく伝えると、ミレイユは頷きながら胸を撫で下ろした。


 ミレイユはアースラに呪いが掛かっている事を知らない。ミレイユにとってアースラは、心を込めてお願いすれば何でも快く引き受けてくれる「いい人」なのだ。


 ミレイユはただの一度もアースラを疑ってこなかった。ただまっすぐに、ひたすらに、あなたと過ごす時間を大切に思っているのだと行動で示してきた。呆れる程の無垢さでミレイユはアースラを思い続けた。呪いが発動しなくても、アースラが心惹かれるものを感じるようになるまで、ずっと。


 一度絡まりあった思いはそう容易くは解けない。ミレイユの側にいたい。それはミレイユの「お願い」ではなく、アースラの内側から自然と湧き上がる、確かな願いだ。


「……なるほど。その者がアースラ様をたぶらかしているのですね」


 ユラリと立ち上がったヴァルターの声は、淡々としたものだった。アースラの背後でミレイユの喉が引きつった。ヴァルターの全身から立ち上る凄まじい冷気が、萎縮を強いる圧力となっている。


 ヴァルターは失望していた。何者にも屈しない圧倒的な強さを誇るアースラの勇姿を、ヴァルターは幾度となく目にしてきた。臆する事なく前線に立ち、魔族の邪魔をするものは高らかな哄笑の元、天災じみた力で破壊する。そんな英傑が何故、よりにもよって人間の小娘に笑いかけている。


「目を覚まさせて差し上げます」


 ヴァルターは右手を持ち上げ、前方にあるものを薙ぎ払うようにスイと横へ払った。邪法ゲヘナが発動し、手の軌跡をなぞるようにして赤黒い炎弾が放射状に放たれる。ドン、と、レストラン中が強く揺れ、天井や壁には大きな風穴が開いた。


 この程度の攻撃では単純かつ遅く、アースラの服にすら当たらない。ヴァルターはそれを承知の上で攻撃していた。そもそも狙いはアースラではない。その後ろにいる人間だった。


 人間は脆く、機動力に欠ける。攻守一体の装備がなければ赤子も同然。炎弾を食らったレストランの天井やテーブルは一瞬で砕け、破片が殺傷能力を持つ速さで四散した。人間の小娘では、到底避けきれない。ヴァルターは冷ややかな面持ちのまま、フンと鼻を鳴らした。


 風穴の縁から焦げ臭い煙が立ち、砂埃と混ざった。屍を確認しようと、ヴァルターは一歩前へ進み出る。その時、真正面から破片が一つ、飛来した。


「ッ?」


 当たる寸前でヴァルターは避けた。直後、背後の壁が先の炎弾と比にならない轟音を立てて崩壊する。


 薄い煙幕が視界を遮る。外から流れてくる風がそれを霧散させると、破片を投擲した人物――アースラが現れた。横抱きしていたミレイユを下ろし、憤怒の形相でヴァルターを睨みつける。


「アンタ今、ミレイユを狙ったわね」

「それが何だと言うんです?」


 ヴァルターは困ったように小首を傾げて微笑んだ。


「たかが人間一匹に、アースラ様がかかずらう必要はありません。その小娘に何を吹き込まれたのか存じませんが、腑抜けになられた貴女様を正気に戻して差し上げるのも部下の務め。一瞬で終わります。さあ、その人間をこちらへ」

「分をわきまえなさい」


 アースラはゆっくりとヴァルターに歩み寄る。一歩、一歩と進むにつれて、その身から溢れる怒りは研ぎ澄まされ、目は獲物を捉えた肉食獣のように見開かれていく。


 ヴァルターは肩をすくめ、小さく溜息をついた。


「おいたわしい……ここまでお伝えすれば、私が言わんとする事をご理解いただけると信じておりましたのに。人間などという貧弱で下賤の民に、何故そこまで――」


 言い終わらない内に、ヴァルターの体は腹を中心にして折れ曲がった。唸りを上げて宙を飛び、レストランの支柱に背中を強打したヴァルターは激しく咳き込んだ。


 強烈な蹴りを放ったアースラはすぐさま体勢を整え、追撃を叩き込むべく拳を振り上げた。ヴァルターは咄嗟にそれを避け、アースラの拳は床にめり込む。


 亀裂が四方八方に広がった。アースラとヴァルターは互いを睨みながら、その亀裂は自分の心を表したもののようだと感じた。


 遠慮という枷が、その瞬間、壊れたように感じた。


「……あはっ」


 アースラの口から、不穏な笑みがこぼれた。ヴァルターもまた喉を鳴らして笑っている。不協和音が重なり、血走った目が至近距離で見つめ合う。


 倒した者の言う事を聞く。殺伐とした空気の中、無言の契りが結ばれた。


 瞬時に互いの拳が繰り出され、衝突の勢いに暴風が吹き荒れる。アースラとヴァルターは軽い身のこなしでバックステップを踏み、間髪入れずに邪法ゲヘナを放つ。


 床や壁は邪法ゲヘナの風刃や炎弾に深く抉られ、支柱を破壊されたレストランはついに半分崩れ落ちてしまった。その瓦礫からヴァルターが飛び上がり、アースラが追って隕石同士の衝突じみた殴り合いを始める。


 アースラは始終笑っていた。骨が軋む嫌な音がした。地面に叩き落されて口内は切れ、鉄錆の味が広がった。ヴァルターが本気で仕掛けてくる攻撃をまともに食らえば、アースラでも無事では済まない。


 アースラはすっかり高揚していた。ヴァルターから放たれる邪法ゲヘナを踊るようにしてかわし、反撃すべく走り寄る。


「いいじゃない、悪くないわよヴァルター……! アンタの力はこんなものじゃないでしょ? もっと踏みこんで来なさい、妾を殺すつもりで!」


「止めてください!」


 ミレイユの叫びに、ビクリとアースラは固まってしまう。泣いてしまいそうな切実な声は、ごく最近にも聞いた。その時のミレイユの言葉が、脳内でこだまする。


 ――どうか「お願い」します。もうあんな無茶な戦い方はしないでください。破壊衝動に身を委ねないでください。


「……ッ!」


 アースラの瞳に苦悶が浮かんだ。その間に、ヴァルターの回し蹴りを受け身も取れずに食らってしまう。アースラの体は吹き飛ばされ、無様に床に打ちつけられた。

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