第41話 鮮血
血反吐を吐いて立ち上がるアースラを見つめ、認めたくない、と首を振ってうろたえたのはヴァルターだった。
今の蹴りはアースラの動きに制限をかける為のもので、まさか当たるとは思わなかった。当たるはずがなかったのだ。ヴァルターが慕い続けた、狂嵐の魔皇女なら。
「アースラ様、一体どうなされたのです! どうして人間などの言いなりになっているのですか!」
「べ、別に言いなりになんてなってないわ……アンタ相手に本気になったって意味ないって、思っただけよ」
アースラはヴァルターと視線を合わせない。動揺している今、ヴァルターと視線を合わせたら、真実を話していない事をきっと悟られてしまう。
ヴァルターは言葉を失って、しばしアースラを見つめた。理解し合えず擦れ違うなら、せめて本気でぶつかり合いたい。気の高ぶりを共有して、互いに文句を残さない形で落とし所を見つけようとしたのに、それさえも寸前で拒まれる。
微かに痛みを混ぜた苛立ちが募り、ヴァルターは拳を握りしめた。小刻みに体が震える。
「……私めは、戦う価値すらないと?」
「お二人共、落ち着いてください。仲間なのでしたら仲良くしてください」
見てられなくなったのだろう。ミレイユはアースラとヴァルターを交互に見つめた。アースラは同意して頷く。
「そ、そうよ。仲間割れはすべきではないわ」
それは自分に言い聞かせる為の言葉でもあった。
戦闘に興じて我を忘れる様子を見せて、ミレイユを悲しませたくない。戦いの気配に血が騒いでも、ひと度その思いを再確認してしまえば、闘争本能は不完全燃焼となる。それに加え、以前のミレイユの「お願い」によって、アースラはミレイユに止められると本気が出せなくなる。
アースラ自身とミレイユの願いが、暴れたい、全てを破壊したい、強者と共に生死の臨界点に立ちたいと急くアースラの欲望を必死に抑えていた。身の内の葛藤は激しい。何もかも気にせず暴れられたら楽なのは分かりきっている。それでもアースラは、ミレイユの為に自ら戦いを遠ざけようとしていた。
「アースラ様……」
ヴァルターは苦々しそうにその様子を見つめ、重い溜息をつきながら俯いた。
「失望しました」
「……」
罪悪感が、アースラの胸に刺さった。ヴァルターは強さを求め続け、戦場で嬉々として敵を蹴散らしてきたアースラの姿に目を輝かせてきたのだ。それがいつの間にか敵である人間の言葉に揺さぶられ、戦いに消極的になってしまったのだから、納得行かないのも無理はない。
「……ヴァルター、妾は」
「やはり、あの人間を始末しなくては――」
「…………え?」
一瞬だった。ヴァルターは、アースラを見つめた。その目は黒く淀み、虚ろで満たした思いの奥に強烈な使命感を抱いていた。
フ、とヴァルターの姿が消え、アースラの髪が不自然な風によって靡いた。ヴァルターが素早く飛んだ後に残った風だと気付くより早く、厚みのある何かを剣が刺し貫く音がした。
――……え。
アースラは振り返った。心臓の音が、やけにうるさい。
血の気が引く。まさか。そんなはずはない。大丈夫。バクバクと心臓が騒いで、否定の言葉と共に脳内を埋めていく。
最悪の事態なんて起きていない。そう思いたいのだ。だというのに、現実は無情だ。
「…………あ……」
頭の中が、真っ白になった。視界を染める鮮血が、異様に赤く見えた。
ヴァルターはミレイユと向き合っていた。そして、ミレイユの背から、ヴァルターの剣が覗いている。赤く濡れた剣が。
「ミレイ……ユ」
ミレイユは何が起きたのか分からない様子だった。その目が次第に見開かれ、ヴァルターが剣を引き抜くと同時にミレイユはどさりと倒れた。
「ミレイユ!」
金切り声を上げて駆け寄った。信じたくなかった。あり得ないと言い張りたかった。しかしいくら現実を拒んでも、倒れた体を抱えるアースラにとめどなくぬるりと伝う血が、ミレイユの死を明確にアースラに伝えた。
ミレイユは、もうピクリとも動かない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます