第42話 報復
「……っ、ミレイユ……」
声が掠れた。
「どうしてよ……離れないでって言ったのは、ミレイユじゃない! なのになんでアンタは、もう二度と会えないところに行ってしまうのよ! そんなの許さないわよ!」
叫ぶ間に、視界が涙でぼやけていく。
思えば、ミレイユはいつも予想外の行動をして振り回してきた。呪いを掛けようとしたら跳ね返すわ、テルぞうに突然抱きつくわ、女神臭い神殿で一緒に暮らそうと言い出すわ、掃除をさせるわ……一つ一つを思い出せばきりがない。
初めは呪いの発動率が高くて参ったものだった。それなのに、呪いがなくてもミレイユと一緒に何かをしたいと、少しずつ思い始めるようになっていた。
――アースラさん!
ミレイユの笑顔が脳裏に浮かんで、涙が頬を滑った。あの笑顔が好きだった。どんな時でも前を向いて名前を呼んでくるミレイユは眩しくて、一緒に過ごす時間に喜びを感じるようになっていた。
大切だった。アースラさんが好きだとミレイユが打ち明けるより前から、ミレイユを心の底から好きになっていた。
嗚咽が漏れた。ミレイユと笑い合う事も、抱きしめて喜びを分かち合う事も、ミレイユの料理に舌鼓を打つ事も、もう二度とない。この気持ちをミレイユに伝える事も、永遠に叶わないのだ。
「何を悲しむ必要があるのです?」
ヴァルターは小ざっぱりした様子で血を払い、剣をしまった。ミレイユを葬って満足したのか、喜色が滲んでいる。
「たかが人間ごときに、涙など――」
「黙りなさいっ!」
アースラは歩み寄ってきたヴァルターに向かい、
「なっ!?」
ヴァルターは驚愕しながら急いで飛び、雷撃を回避した。しかし完全には避けきれず、右脚が焼かれてしまった。遅れて襲いかかる激痛と熱さに、ヴァルターは脂汗を垂らす。
信じられない威力を持つ
「アンタが知ってる妾が全てじゃないのよ。たかが人間ですって……妾にとってミレイユは、唯一無二の存在だったのよ」
アースラはヴァルターが雷撃に翻弄されている間に魔剣を召喚していた。アースラの怒りと共鳴しているのか、時折バチンと黒い閃光が刀身から弾け、離れて対峙するヴァルターに鋭い痛みを与えた。
「アンタがした事は、妾の心と未来を消したも同然よ。罪の重さを、その身をもって知りなさい!」
アースラは魔剣を振り下ろした。大出力で黒い閃光が迸り、ヴァルターへ迫る。先の雷撃で相殺は不可能だと悟ったヴァルターは、すぐさま回避に移る。しかしそこには、先回りしたアースラがいた。
「逃げ場なんてあるわけないでしょ?」
アースラの蹴りがヴァルターの腹部にめり込み、骨が折れる音が響いた。痛みに叫ぶヴァルターは宙に弧を描きながら地面に衝突し、地鳴りが響く。
アースラは構わず、ヴァルターを中心にして生まれたクレーターに向け、魔剣を激しく、何度も振り下ろし、豪雨のごとく閃光を降らし続けた。
一心不乱になるアースラの目に、じわりと涙が滲んだ。ミレイユはこの騒動に気付いたら、見て見ぬ振りなんてしない。きちんと止めに来てくれる。お願いだから、早く止めに来てほしかった。ミレイユとの約束を破る自分を、今すぐに叱りに来てほしい。寝ているなら轟音で起こすから。眠くて視界がぼやけていても分かるように、沢山閃光を迸らせるから。
だから、帰ってきてほしかった。
周囲の木々も街道も巻き込まれ、まるで巨人が一帯を戯れで薙ぎ払ったような様相を呈している。何もかもが切り刻まれ、痛ましい姿を見せている。しかしどれほど暴れても、止めてくれる人は現れない。
ずっと側にいたミレイユは、もう……。
「ああ……ああああ……!」
アースラは全力を尽くして魔剣を振り落とした。ズンと地面が縦に揺れる。それからは、無音が続いた。シンと、不気味な程に、辺りは静まり返っている。ヴァルターの反撃が来る気配もない。
アースラはフラフラと力なく降り立った。近くで見ると、処刑の場と化したそこは上から見るより酷い有様になっていた。街道の煉瓦はバラバラに地面に突き刺さり、木は幹が真っ二つになっているのもあれば、あまりの衝撃に炭化して崩壊しているものもある。大地は深々と抉られ、元の平らな状態が嘘のようになっている。
「……ミレイユ……」
ツ、と涙が頬に伝った。どっと重く感じた体を引きずるようにして、物陰に横たわらせたミレイユの側に歩み寄る。冗談のように全身は赤く染まっていて、あれほど暴れたというのに、相変わらずミレイユは動かなかった。
「本当に……死んじゃったのね」
そう呟くと、実感がじわじわと体の底まで染みていった。アースラは立っていられず、その場に座り込む。
ほんの少し前まで、ミレイユと一緒に、いつもと変わらない日常を過ごしていた。次の休みの日を楽しみにしてほしいと、ミレイユは笑っていた。本当にいなくなってしまったのか。
「……ミレイユ……ミレイユ!」
ああああああああああああああああ!
天地を裂くような大声で、アースラは知らずの内に叫んでいた。叫びながら身を丸めて、頭を抱えた。命を吐き出すような叫びだった。
ミレイユと、もう二度と会えない。笑顔を見れない。名前を呼んでもらえない。全身が千切れる方がまだマシだと思える痛みがアースラの心を占め、壊れたように続く叫びを促した。
ミレイユ、と、擦り切れた声でアースラは呼び続けた。聞き慣れた柔らかな声の返事は、一度たりとも来なかった。
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