第34話 穏やかな時間

 聖魔亭開店から、一週間が過ぎた。そろそろ客足が伸びてもいい頃合いに思えたが、店内にいるのは閑古鳥だけだった。肝心の客の姿はなく、店はシンと静まり返っている。


「全然、お客さん来ないわねぇ」


 のんびりと流れていく雲を見るともなく見ながら、アースラは欠伸を一つ吐き出した。


 レストランの屋上はちょっとした憩いの場所になっている。サラサラと草木が揺れる森の音を受けながら、日に温められたそこで仰向けになる。そうしていると、眠気の波がゆるやかにやってくるのが心地良い。


 お気に入りの場所でごろごろしていると、ミレイユは洗濯物を手にして頷いた。


「馬の蹄の跡があるので、人の往来はあるはずなんですけど」


 バサリと洗濯物を振りながら、何ででしょうねぇ、とミレイユは首を傾げた。


 まれに、一見すると何の問題もなく使われているような道なのに、ほぼ廃道だったという事がある。新たな道が出来た影響で不便だった旧道がほとんど使われなくなり、実質廃道になっているのがいい例だ。


 その場合、道の利用者の痕跡は次第に雨風に削られ消えていく。しかしレストラン近くの街道にはミレイユの言う通り、直近まで利用されていた跡がある。待てば通る人はいるはずなのに、何故かこの一週間、見ている限りでは誰も通っていない。


 ――街のすぐ側ってわけでもないし、人通りが少ない時期もあるって事かしらね。


 ふあっ、と欠伸をもう一つ。こういった理由で、レストランの周囲には非常にのんびりした風が吹いていた。


「ここまで暇になるとは思わなかったわ。ごろごろしているだけなのってなんだか時間が勿体ない」

「まぁ、これはこれでいいじゃないですか。毎日、仕事や戦いばかりでは身体を壊してしまいます」


 ミレイユは洗濯物を干し終え、アースラの側に腰掛ける。ポンポンと膝を叩くミレイユが言わんとする事を察したアースラは、ぽすんとミレイユの腿に頭を乗せた。


 ――あったかい。


 ミレイユの体温が頬に伝わるのが気持ちよくて、うっとり目を細める。ミレイユと触れ合っていると、ずっとこのままでいたいと望んでしまう。不思議と体の奥まで安心感で満たされるせいだろう。


 体温の乗ったミレイユの匂いに包まれ安らいでいる間に、ミレイユの手が肩に乗り、もう一方の手で優しく頭を撫でられる。愛猫を撫でるような手付きが、心地良い。


 ミレイユはフフッと朗らかに笑いながら、アースラの髪を一筋、耳に掛けた。


「こんなゆったりとした時間があってもいいと思います」

「……そうね。こういうのも悪くないわ」


 ミレイユのお腹に後頭部を押しつけて、くすくすと微笑む。晴れの陽気を浴びながらミレイユとじゃれ合っていると、鼓動が緩く波打った。温かくて、気持ちいい。出来る事なら、ずっとこうしていたかった。


 そうしてしばらくまどろみのような時間を過ごしていたが、不意にミレイユが視線を上げた。


「あ、何か来ますよ」


 つられて見てみると、何かがよろめきながらこちらに近付いてきていた。明らかに人より大きいのは確認出来たが、横になっていると細かい様子は分からない。


「本当ね。何かしら」


 よいしょと身を起こして目を凝らす。それは鈍い動作で不自然に揺れ、その度にバラバラと部品を落としていた。ボディの武装は剥がれ、側面に設えられた砲塔は握り潰した紙のように無残に曲がり、今にも取れそうになっている。


「あれって、人間達が使う木偶人形じゃないの?」

機兵きへいですね。にしては少し小さい気もしますけど」


 アースラは要塞都市で破壊した虎頭の白い機兵を思い出し、目の前の機兵と重ねた。重々しい動作で都市の建物を破壊していたあの機兵と比べると、確かに随分こじんまりしている。ボロボロの機兵はあれらの半分程度の大きさで、迫力もそれ相応だ。


 ――あのサイズだと従機じゅうきかしらね。


 様子を伺っていると、従機は耳障りな音を立てながらゆっくりと動きを止めた。そして僅かな間を置いて、力尽きたように地面に崩れ落ちてしまった。


「あっ、倒れたわよ」

「大変です。助けに行きましょう、アースラさん!」

「ったく、しょうがないわねぇ」


 屋上から一階まで走って降りるより空を行く方が早い。アースラはミレイユを横抱きにして、トンと屋上を蹴り従機の元へ向かった。

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