第6話 どうしてこうなった!?

 アースラの絶叫で塔の一部が派手に崩れたが、アースラはそれどころじゃない。


 ――なんで!? なんで妾に呪いが掛かっているの!?


 とんでもない事になってしまった。呪いを掛けた本人だろうと、掛かってしまったら無効化できない。それほど強力なものだからこそ『呪い』なのだ。アースラはざっと辺りを見渡した。


 ――ここにはこの子しかいない。つまり、妾の主は間違いなくミレイユよね。


 やけにミレイユに対して好意的になってしまう事を考えても、それは間違いない。


 アースラはわなわなと震えた。隷属させようとした相手に服従する事になるなんて、信じられない。なんでこうなった!?


「あ、あの。アースラさん……? 大丈夫ですか……?」


 ミレイユは心配しながら、怪訝そうに声を掛けてくる。吠えるように叫んでうろたえたせいか、どこか珍獣を見るような目になっている。


 アースラは汗をだらだら垂らしながら笑ってみせた。


「だ、大丈夫よ! なにも問題ないわ! ちょっと発声練習をしただけ!」

「発声練習、ですか?」

「そうっ」


 今?と首を傾げるミレイユに、アースラはひっくり返った声で答えた。気が動転しているのを隠すつもりが、余計に挙動不審になっている。半ばやけくそになったアースラは胸を張った。


「妾の部下を呼ばなくちゃならないの!」


 それはただの口から出まかせではなかった。早いところ誰かに来てもらい、ミレイユを先にアースラの居城に連れて行かせるなり何なりして距離を取りたかった。この先どうするかは後でじっくり考える。今はとにかくすぐ離れたい。


 とはいえ、隷従の呪いが掛かっている状況で部下を呼ぶのはためらわれた。こんな事を部下達が知ったら、とんだ間抜けだと思うだろう。狂嵐の魔皇女の沽券に関わる大問題だ。


 だからといって悠長に構えてもいられない。アースラはすっかりパニック状態になっていた。


 ――ま、まずい。まずいまずいまずい。今すぐこの場を離れないと……! この子に何かお願いされる前に……。


 アースラは焦りと恐れにさいなまれて唸り始めた。一方、ミレイユは戦場から吹き上がる炎と、変わってしまった街並みに気を取られていた。魔族軍に蹂躙された都市は瓦礫の山と化し、人々の生活の痕跡はどこにも残っていない。


 祭りの日、歌と踊りに明け暮れた人々が笑顔を見せた広場は、機兵の残骸の下敷きになっている。日の出と共にコーヒーと焼き立てパンの陽気な匂いで満たされて、目覚めの挨拶が飛び交った市場は戦死者で溢れている。


 とても、見ていられない。


「……アースラさん」

「な、なに?」


 アースラは恐る恐るミレイユを見つめた。ミレイユは悲しげに、そして真摯にアースラと向き合う。


「出会ったばかりで、こんな『お願い』をするのは不躾かもしれませんが……」

「お、おね、おね……がい……?」


 アースラの頬が引きつった。ミレイユの言葉に応じるように、下腹部に描かれた呪いの紋様が今まで以上に光り輝く。アースラは思わず手でそれを隠した。紋様に触れる手のひらが熱い。


 ――だめ、だめだめだめ、それ以上言わないで!


 声にならない悲鳴を上げるも虚しく、アースラの願いは届かなかった。ミレイユは背筋を伸ばして、強く訴えかける。


「どうか兵を引いては頂けないでしょうか。もう勝敗は決しました。この街にはもう抵抗する力もありません。どうか略奪や無益な殺生だけはやめて頂けないでしょうか」


 ――ああ……お願いされちゃった……。


 アースラは泣きたくなった。紋様は『お願い』された事を喜んでいるように、淡いピンク色の光を放っている。主に尽くしたくなるように、呪いが発動しているのだ。


 そのせいでミレイユの言葉を一言一句聞き逃さないよう、集中して耳を傾けてしまった。もう抗えない。アースラは深い落胆さえミレイユへの思いに隠されていくのを感じながら、静かに目を閉じた。


 ミレイユの真剣な願い。

 ミレイユの真摯な気持ち。

 彼女の願いを無碍にしたくない。

 悲しむ彼女を見たくない。

 その為に、妾ができる事は――


「大丈夫よ、妾が全部なんとかする! だからもう、何も心配いらないわ!」

「アースラさん……!」


 パァッとミレイユの表情が明るくなる。アースラはミレイユにウインクしながら、遠方にいるヴァルターと意識を繋げた。


「ヴァルター、今すぐ兵を引きなさい」

「はっ?」


 念話で話しかけられたヴァルターは、素っ頓狂な声を返してきた。そりゃそういう反応になるわよね、と心の奥でアースラは頷いた。


 ヴァルターは納得いかない様子で言葉を続ける。


「何故ですか? これから残党戦力の掃討を……」

「そんなもの、もう残ってないわよ」

「ですが――」

「いいから、引かせなさい。これが最良の選択なの」


 有無を言わせない強い口調に、ヴァルターは混乱したようだった。


「そ、そんな。訳が分かりません。説明を――」

「いいから、言う通りにしなさい! ぶっ飛ばされたいの!?」

「り、了解しました。全軍を後退させます……」


 突然の大声に怯んだのか、埒が明かないと踏んだのか、ヴァルターは追及を諦めてくれた。それから間もなく魔族軍は攻撃をやめ、撤退を始めた。


「これでもう大丈夫よ!」


 達成感にほくほくしながら胸を張るアースラ。ミレイユは感極まったように目を輝かせて、撤退の様子とアースラを交互に見つめた。


「あぁ、ありがとうございます、アースラさん!」


 ミレイユはアースラに抱きつくと、全身で喜びを表現するように腕の力を強め、アースラに頬をすりつけた。


 天にも昇る心地とはこの事を言うのだろう。ミレイユがこんなに喜んでくれたのも、こうして力いっぱい抱擁されるのも嬉しくて仕方ない。身も心も溶けてしまいそうになりながら、アースラはミレイユを抱きしめ返してうっとりと微笑んだ。

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