第7話 ずっと傍にいてください
「あの、もう一つお願いしてもいいですか?」
「勿論よ。何でも言って!」
嬉々として促すと、ミレイユはほんの少し体を離してアースラと見つめ合う。
「この都市は魔族のものになるのですよね?」
「ええ、そうなるわね」
「では、私を何処か、安全なところまで連れて行ってもらえないでしょうか?」
下腹部の紋様がじわりと熱を持つ。アースラは二つ返事で頷いた。
「まかせて。あんたは妾が守るわ。絶対に誰にも傷つけさせない!」
「何からなにまでありがとうございます」
「いいのよ、しっかり掴まってなさい!」
アースラはミレイユを軽く横抱きにして、南の空を目指して飛んでいった。満天の星空の下、最高スピードで飛ぶアースラは幸せだった。大切な人を抱え、その人の望みを叶える為に動ける。
嬉しい。高揚感に満たされて、胸が熱くなっていく。
このままずっと、二人きりになれたらいいのに。そんな淡い夢を抱いた。が、その夢を掻き消す無粋な声が飛んできた。
「アースラ様、先ほどの命令はなんなのですか!」
凄まじい速さで飛行するアースラを見つけたのだろう。ヴァルターは必死に追いかけながら問いかけてきた。副官としてもっともな追及だったが、今のアースラにとってはただ煩わしいだけの愚問だった。
「だから、あれが最善手って言ったでしょう!」
「そんなはずありません! 勝利の蜜を味わずして、何が最善ですか!?」
「今日はそういう気分じゃなかったのよ! あんた達も、たまには静かに祝ったっていいじゃない」
「訳が分かりません! それにその人間は一体なんなのですか!?」
「あぁ、もう! うるさいうるさいうるさーい! 妾達の邪魔をするな、このおじゃま虫――――!」
振りかぶった拳がヴァルターの腹部に叩き込まれる。
「ぷべら」
情けない声を吐いたヴァルターは勢いよくぶっ飛ばされ、何処かの山に墜落した。
ようやく邪魔者が消えた。アースラは満足げに鼻を鳴らす。一方で二人の会話を眺めていたミレイユは、オロオロして落ち着かない。
「あ、あの、よろしかったのでしょうか?」
「大丈夫よ。この程度で死ぬようなヤツじゃないわ」
アースラはそう言いながら、ミレイユを抱える腕に力を込めた。
「だから、そんな心配そうな顔をしないで。ちゃんと望む場所に連れて行ってあげるから、あんたはとびきり可愛い笑顔を妾に見せて」
「……!」
ミレイユは驚いたように目を丸くしてアースラを見つめる、ぎこちなく頷いた。アースラの首元にさりげなくすり寄ったミレイユは、ひそかに鼓動が早まっているのに気付かれないよう願い、そっと目を閉じた。
◇◇◇
滑空するアースラの視線の先、空の縁から闇が払われていく。新しい一日が、始まろうとしていた。
二人は小高い丘に腰掛けて、目の前の風景に感嘆を漏らした。空を染め上げていた夜の濃紺に、神々しい金の光が映えている。早朝の森の瑞々しい青い香りや、枝葉の揺れる音に包まれて眺める朝焼けは幻想的で、心の
「ごめんなさい、巻き込んでしまって」
ミレイユは申し訳なさそうに俯いた。ヴァルターの事を気にしているのだろう。
――繊細な子ね。
アースラは努めて明るく笑った。
「いいのよ」
「……優しいんですね、アースラさん」
「そんな事ないわ。だって、妾は魔族よ?」
「でも、優しいです」
「それは……」
チラッと下腹部の紋様を見つめた。呪いの証は、憎たらしいくらいくっきりはっきりと存在を示している。ミレイユはアースラが言い淀んだのを別の意味と捉え、そっと頬を赤くした。
「私にだけ、特別って事ですか?」
「……あ、うん……。まあ、そういう事になるわね」
呪いによって、ミレイユはアースラの主になった。間違った事は言ってない。
ミレイユは頬をますます赤くしながら、目を輝かせて空を見上げた。
「あぁ、こんな時間がいつまでも続けばいいのに……」
幸せそうな嘆息と、朝の光に相応しい、晴れた表情。ミレイユが喜びをまっすぐ見つめて、何にも害されていない姿は、『お願い』で呪いが発動していない今でも好ましく思えた。だから、呪いが掛かったままでミレイユと過ごす時間がいつまでも続くのは、本当は困るのだけど。
「……そうね」
つい、肯定してしまった。自分の意思で。
「アースラさん、『お願い』ばっかりで恐縮なのですが――」
ミレイユはほんの少し言葉をさまよわせて、やがて決心したようにアースラを見つめた。
「これからも私と一緒にいてくれませんか? ずっとずっと、傍にいてくれませんか?」
紋様がゆっくりとピンクの光を発した。同時にアースラの思考が甘くとろけ、ミレイユの耳に優しく髪を掛ける。
「勿論よ。ずっと傍にいるわ、ミレイユ」
恋人にする仕草に、ミレイユは微笑んだ。アースラも恍惚の笑みを浮かべ、そっと顔を寄せる。触れ合った唇から伝う熱は理性を焦がし、心地良い酩酊を誘った。
呪いが発動している時にとんでもない約束をしてしまって、ミレイユから離れられなくなってしまった。一大事のはずなのに、そんな事、今はどうでも良かった。
ゆっくりと顔を離して、もう一度キスをする。心臓に蜜を垂らすような感覚が、気持ちよくて、仕方ない。
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