第25話 食い逃げ

 疲れた体は多くの食事を求める。道中で腹を空かせて倒れるわけにもいかない旅人は、尚更しっかり食べるだろう。分かっていた。それでも客人の食事の勢いは、想像を遥かに超えていた。


「アースラさん、追加注文された三品が出来たので運んで下さい!」

「ついさっき別のを運んだばかりなのに何なのよ!」


 アースラは湯気の立つ料理を早足で運びながら、大いに嘆いていた。注文がひっきりなしに入り、調理中のミレイユを手伝いながら食器の回収と洗浄をしていると、すぐにまた新たな注文が入る。部下の兵士達を思わせる食べっぷりだ。徒歩で一人旅をするには体力がいるからだろうが、それにしてもよく食べる。


 向かう先のテーブルには、空の皿が重ねられていた。運んでいる間に食べきったものだろう。その皿を避けて料理を並べ、使い終わった食器は奥に持ち帰って洗い、次のオーダーに備える。何度かそれを繰り返していると慣れるものだ。


「はい、おまちどお様」

「おう、サンキューな! いや〜ここの料理は絶品だな。いくら食べても飽きないぜ」


 客人はニカッと笑った。まだまだ胃に入ると言いたげな様子に、軽く目眩がする。ミレイユの料理を楽しみながら食べる人がいるのはいいが、さすがに量が規格外だ。


「本当、よく食べるわね。間違って喉詰まらせるんじゃないわよ」


 テーブルにご馳走を置いて、アースラは手際良く食器を集めてトレイに乗せる。皿を洗ったら一度、食料庫の様子を見に行った方がいいかもしれない。今朝方、畑から大量に野菜を採ってきたが、この勢いだといくつか野菜箱の底が見え始めているかもしれない。


 急いで確かめようとアースラが踵を返すと、背後から椅子が床を擦る音がした。トイレに行きたくなったのだろうか。案内しようかとアースラが振り返ると、客人が脇の椅子に置いていた背嚢から木製の小箱を取り出し、持ってきたばかりの料理を手早くそこへ詰めているところだった。


「……何してるの?」

「何って、仲間に食わせる分を入れてるんだよ」


 聞くまでもない事を、と言わんばかりに客人は堂々としていた。もしかして今まで運んだ分もいくつかは持ち帰る分としてしまってたのだろうか、と首を傾げたアースラは、ある事に気付いて客人を凝視した。


「ちょっと待って。仲間ってどういう事? 一人旅じゃないの?」


 客人は冷ましていない料理を詰めている。衛生観念がおかしいのでなければ、傷む前に料理を相手に渡せると分かった上でやっているはずだ。この付近に村や街はない。かと言って合流時の目印になるような大木や遺跡はないし、出来たばかりの聖魔亭の近くで落ち合おうと前もって約束しているのもおかしい。


 複数人で旅をして、食料調達の最中に聖魔亭を見つけて一人だけ先に食べていたのかもしれない。だとしたら仲間は今頃空腹で苦しんでそうだが、悠長にしてていいのだろうか。


「……」


 客人は僅かに口元を歪めた。小箱を背嚢にしまっておもむろに立ち上がると、背嚢から球体の何かを取り出した。手のひらにちょうど収まるそれをポンと軽く宙に投げた客人は、ニヤリと笑って球を掴んだ後、体をくの字に曲げながら床にそれを叩きつけた。瞬く間に溢れだした白煙が、アースラの視界を埋め尽くす。


「なっ……!」

「へへ、飯美味かったぜ。ごちそーさん!」


 身を守るようにかがんで目を細めたアースラは、すぐさま邪法ゲヘナで風を生み、煙を払う。しかし既にフロアに人影はない。逃げられたのだ。


 呆然としていると、物音で異変を察したのかミレイユが駆け込んできた。フロアに残る白煙の臭いにむせて、涙目になりながら咳き込んでいる。


「ア、アースラさん。一体何があったんですか」

「……げ」

「はい?」


 小刻みに震えていたアースラは、沸々とこみ上げてきた怒りを爆発させてバンとテーブルを叩いた。まんまとしてやられた。しかも、開店初日に。


「食い逃げよ! 追いかけてとっ捕まえるわよ!」


 ミレイユと共にバタバタと慌ただしく店外へ駆けながら、腹立たしさにアースラは目を吊り上げた。食い逃げ犯の行動には迷いも無駄も無かった。初めからこうするつもりだったのだ。あれだけ料理を堪能しておいて、図々しいにも程がある。


 何より、聖魔亭の記念すべき最初の客が食い逃げ犯だというのが許せなかった。二人でやっていこうと胸を高鳴らせていたレストランの始まりを、食い逃げ犯は台無しにしたのだ。


(土下座くらいしてもらわなきゃ、このイライラは収まらないわよ……!)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る