第30話 体調不良

「ミレイユ姐さん、今日は本当に助かったっす! また姐さんの料理食べさせて下さい!」

「アースラ姐さんも世話んなりました! うちら姐さんみたいに強くなって、世界中の人を助けられるくらいになるんで、期待しててほしいっす!」


 アースラとミレイユに見送られ、元盗賊達は一生懸命両手を振りながら帰っていった。少し離れては振り返って手を振る彼女達は満面の笑みを浮かべていて、遊び盛りの子犬を思わせた。


「盗まれた野菜は返してもらいましたし……一件落着、ですね」


 背伸びしながら手を振り返していたミレイユは、遠ざかる元盗賊達の背を見つめ、安堵の息をついた。


 今日のお詫びとお礼として改めて財宝を渡しに来ると約束した彼女達は、去り際にアースラとミレイユにハグをしていった。親愛の情を示す彼女達は、これからの日々に期待するように明るく笑っていた。もう悪質なちょっかいを出してくる事はないだろう。


「そうね。ミレイユのお陰よ、やるじゃない」


 アースラはニコッと笑い、そっとミレイユに近付いた。そしてその体をヒョイと横抱きにする。


「なっ……」


 抱えられたミレイユは目に見えて青ざめた。アースラの両肩を力なく押して離れようと身じろぎした。


「こら、暴れないで」

「い、いけませんアースラさん! 早くおろして下さい!」

「いーやーよ。具合悪そうにしてるのに、気付かないと思った?」


 鼻を鳴らし、ミレイユを抱える腕に力を込める。そうして互いの体がより密着すると、ミレイユは息を詰め、身を縮こませて震えた。体調が万全ではない証拠だろう。


 神殿に帰ってから、ミレイユは時折、自分の体をさすりながら青ざめていた。盗賊団を連れ帰るかどうか話し合っている時、ミレイユの反応がワンテンポ遅れたのも、不調が関係していたのかもしれない。


「朝からバタバタしてて疲れてるんでしょ。このまま寝室に連れていくから、大人しく――」


 と、そこまで言った瞬間だった。フッとミレイユの腕から力が抜け、全身がだらりと弛緩した。


「ミレイユ!?」

「だ、だいじょ、うぶ……ですから……離し……」


 最後の力を振り絞るように、ミレイユは片手で弱々しくアースラを押した。その手も力なく落ちるのは、直後の事だった。



◇◇◇



 翌日。アースラは看病用のトレイを手にして、寝室の前に立っていた。


 昨日の夜、急いでベッドに寝かせたミレイユの呼吸は安定していたものの、脈はやや早く、か細い呻き声が断続的に続いていた。朝も昼も寝込んでいたミレイユは、今もベッドで苦しんでいる。


 ――あんなになるまで気付かないなんて。


 トレイに乗せた桃――元盗賊達が先日のお詫びの一部として持ってきた果実籠にあった――を睨みながら、アースラは重い息を吐き出した。


 ミレイユの体調の異変は察していた。しかし、あそこまで切羽詰まっていたとは知らなかった。もっと注意深くいるべきだった。ミレイユの性格上、ここぞという時に体調が悪いからという理由で手を抜いたりしないのは分かっていたはずだ。


 とはいえ、余程気を付けて様子を窺っていたとしても、あそこまで容態が急変する事を予測出来たかは分からないが。


 ――妾が知らないアンタの側面は、まだ多いのね。


 アースラは上を向き、深呼吸をした。いつまでもここで落ち込んでても始まらない。とにかく今は徹底的に看病して、ミレイユの元気を取り戻させる。これからの事を考えるのはその後だ。


 コンコン、とドアをノックする。


「ミレイユ、起きてる? 水と桃を持ってきたわ。そろそろ何か少しでも食べないと」

「……ありがとうございます……どうぞ、入って下さい……」


 くぐもった声が部屋から届いた。なるべく音を立てないようにドアを開くと、ミレイユは掛け布団を頭まで被せてこちらを見つめていた。


「温かい濡れタオルも持ってきたわ。先に体を拭きたいなら手伝――」

「だっだだ、大丈夫です! あ、後で自分で拭きます」

「……そう?」


 アースラが首を傾げると、ミレイユは何度も頷いた。不調のせいでうなされて、汗をかいたのだろうか。綺麗好きなミレイユからしたら、汗まみれの体を他人に触れさせるのは看過出来ない事なのかもしれない。病人なんだから気にせず世話されればいいと思うが、拒まれては仕方ない。


「頭痛はある? 熱はどうかしら」


 体温を測る為に、アースラはミレイユの額に手を伸ばした。


 昨日はやや火照ってはいたが、平熱の範疇に収まっていた。あれから時間が経っているから、もしかしたら熱が上がっているかもしれない、とアースラが身を乗り出すと、ミレイユは避けるように身を引いた。


「……」

「……」


 スッとアースラが動くと、ミレイユも布団を被ったままスッと動いて距離を取る。そんな不毛な接近戦を五度ほど繰り返し、アースラはカッと目を見開いた。


「アンタさては元気ね!?」

「ちっ違います! これには理由がありまして!」

「じゃその理由を話しなさいよ!」


 吠えるアースラに対し、ミレイユはオロオロと視線をさまよわせた。言い淀みながら徐々に布団の奥に隠れてしまったせいで、ミレイユの顔はアースラからほとんど見えなくなってしまった。


「…………その……ごめんなさい。お話しするには、勇気が必要な事なんです……」

「……」


 アースラはそっと息をついた。トレイに手を伸ばし、切り分けた桃をひと欠片、口に放り込んだ。とろっとした甘さを味わいながらフルーツピックで桃の欠片を刺し、今度はミレイユが隠れた闇に運ぶ。ミレイユはおずおずと顔を出し、それを食んだ。


「だったら今は気にしないでいいわ。安静にしときなさい。アンタがいないとつまらないの。だから、妾の為にも早く良くなりなさい。いいわね?」


 アースラはピックを皿に戻し、布団越しにミレイユをポンポンと撫でた。ミレイユがいない時間はやけに長く、そして息が詰まりそうなくらい退屈だった。突拍子もない提案をされるでもなく、楽しそうな鼻歌が料理のいい匂いと共にやって来るでもない。何より、ミレイユの笑顔が見れない一日は、虚しかった。

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