第22話 聖女は商売を始めたい
問題が一つ片付いたら、新たな問題が現れるのは常である。
「お店を始めましょう、アースラさん!」
ミレイユはバーン!と机を叩いて身を乗り出した。興奮気味のミレイユが話を切り出す時の恒例を前にして、アースラは慣れた様子でのんびり頷いた。
「はいはい、今度は何?」
しゃくしゃくと小気味良い音がアースラの口元から広がっている。採れたてトマトの瑞々しい甘さを堪能して、アースラは至福のひと時を過ごしていた。やっぱり新鮮な野菜はいい。美味しいし、気分まで爽やかにしてくれる。
保存食も食べられない代物ではなかった。ミレイユが先を見通して、工夫をこらして保存食を作ってくれた事に感謝もしてる。しかしそれはそれ、これはこれ。パサパサの保存食しか食べられず、量も少しだけの日が続く……なんて事になっていたら、打ちひしがれていた。自分の邪力と野菜の旨みは、快適な生活を守った救世主と言っても過言ではないだろう。
アースラがトマトの旨みに幸せを感じていると、ミレイユは人差し指を立て、右へ左へと指揮棒のように振った。
「先立つものがないと今後困る事になると思うんです。つまり、通貨ですね。お金があれば調味料も買えますし、行商人の方から可愛いお洋服とかも買えます。私達も何か商売を始めるべきです」
「商売ねぇ」
しゃく、とトマトを齧って、アースラは小さく唸った。ミレイユが神殿で暮らすと言い出したのは、元手がないからだった。生活の基盤が出来るまであれやこれやと奔走していたから忘れていたが、そういえば今もお金はない。
なくても今のところは不便だと感じないが、あった方がいざという時に助かるだろう。蓄えがあればそれだけ日々の選択の幅が広がるし、悪い提案ではない。
「でも商売って言ったって、何をやるのよ。こんな辺鄙な場所で」
人が巡るところにお金も巡る。無人の場所で何かを始めたとしても、買う人がいなければいつまでたっても無収入のままだ。それではやる意味がない。
ミレイユはよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに目を輝かせると、ぐっと食卓に身を乗り出した。
「はい、色々考えたのですけど、レストランとかどうでしょうか」
「レストラン?」
「はい、この山の麓は街道に繋がっていますよね? 街道があるという事は人の往来があるという事です。街道沿いにレストランを開けば、きっと旅人や商人の方が食べに来てくれると思うんです」
「なるほど、街道に目を付けたのね」
アースラは納得して頷いた。たしかに街道沿いに店を出せば、客候補の人々の目に触れる。長旅で心身ともに疲れている彼らからすれば、レストランは貴重な憩いの場所になるだろう。空腹を満たし、溜まりに溜まった疲労感を忘れさせてくれる場所。となれば、試しに入ってみたくなる。
そして肝心の料理はミレイユが手掛ける以上、美味しいに決まっている。味のいいレストランの噂が各地に広まれば、食事目当てでやってくる人も出てくるだろう。上手くいけば、商売が軌道に乗るのはそう遠くないかもしれない。
「アースラさんのお陰で野菜はいつでも収穫出来るようになりましたし、野菜料理中心のヘルシーレストランならすぐ始められます」
「ふーん、いいんじゃない? 手伝ってあげてもいいわよ」
頷きながらそう言うと、ミレイユは息を吸い込み、口元を手で覆い隠した。感極まったように目を閉じて、ややの間を挟んで再びアースラを見つめた時、その瞳は歓喜に潤んでいた。
「ありがとうございます! アースラさんなら、きっとそう言ってくれると信じてました!」
ミレイユは飛び跳ねるようにしてアースラの手を両手で掴むと、あどけない満面の笑みを浮かべた。いつもより張りのある声が、どんなにミレイユが喜んでいるかを示している。普段から嬉しい時はよくはしゃいで笑っているが、今日は特に喜びの強さが目立っていた。一つ、思い当たるものがある。
(そういえば、シェフになりたかったって言ってたわね)
料理が得意だと明かされた夜、ミレイユはシェフになりたくて村を出たのだと言っていた。しかし能力を買われ、聖女にさせられた時点で、それは諦めなければならなかったのだろう。その夢にミレイユの長年の希望がどれほど詰まっていたとしても、関係なく。
もう叶わないと思っていた憧れが、ようやく手の届く現実に降りてきた。それならこんなに喜ぶのも、分かる気がした。
「別にいいわよ。暇だしね」
アースラは微笑みながら頷いた。幸せそうにしているのを見ているとこちらまで嬉しくなるし、ミレイユから期待の眼差しを向けられるのは満更でもない。
(それに、ちょっと楽しそう)
瀟洒な響きを持ち、ほのかに非日常的な空気が漂うレストラン。それをミレイユと共に運営していくと思うと、胸が高鳴った。ミレイユがいれば、どんな事だって笑顔でこなせるのだから。
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