第24話

「ここだ」



 ふいにジャンボは足を止めた。

チョコとバニラはジャンボの視線を追った。

すると汚れてほとんど読めないが、ツタにまみれた学校の看板が塀にへばりつくように、確かにあった。


 ジャンボは踏み出すのをためらったが、8年ぶりに門をくぐった。

チョコとバニラもその後に続く。


 校舎はかなり老朽化し、ツタに覆われ窓ガラスも割れていた。

しかし、人が通れるくらいのスペースは残されており、荒れ果てた中庭をぬけて、三人は校舎の扉の前で立ち止まった。

とはいっても、もうドアは朽ち果て、中へ続く道はしっかりと見えていた。


 ジャンボは立ち止まったまま、独り言のように呟く。



「俺がここを出たのは17才……もう20年も前だ。でも8年前、先生が自殺したと知った時、1度だけ俺は戻ってきた」



 ジャンボの声が力なく震える。



「中は血まみれだった。引きずったような跡があった。どんな亡くなり方をしたのかさっぱり分からなかった。気がついたら俺は夢中で血の跡を消していたんだ」



 死を無かったことにしたかったのか、思い出の場所を守りたかったのか、当時の自分に聞いてもまともな答えはきっと返って来ないだろう。

一心不乱に血の跡を消した。

その後は、気がついたら自宅で寝ていたのだ。

この記憶と自分は向き合えるだろうか。


 でも今は、ここにいるのは自分だけではない。

チョコとバニラは先導するように、校舎の中へ一歩を踏み出した。

そしてジャンボを待つ。



「行こう」



 静かな声にジャンボは頷いた。

そして彼も、二人に習うように重たい身体を引きずって、やっと、一歩を踏み出した。


 小さな校舎の中に、三人の足音が響く。



「ここで折りたたみ式のベッドを広げてみんなで寝てたんだ」



 するりとジャンボの口から記憶がすべり出た。



「ここに練習用の小道具を置いてた。向こうの部屋は隈取りのやり方とか、座学のための場所だった」



 二人に話しながら確認するように、ジャンボは一つ一つの部屋を回った。

外はあれだけ老朽化していたのに、中はほとんど当時のままで、所々にあの頃の道具やチラシが片付けられていた。

自分が捨て台詞を吐き出ていった次の日に、皆はここを出たのだろうか。


 取り留めのない思考の先に見えたのは、「あの部屋」の扉だった。



「ここは事務室だ。実質、先生の書斎だった」



 ジャンボの声が一段と生気を失ったことに二人は気がつく。

この部屋は6才のジャンボが、母と共に初めて通された部屋だ。この部屋で契約し、母と別れた。

稽古の時間以外は、先生は大抵この部屋にいた。

ベッドまでここに置いていた。


そして。



「血の跡が……一番大きく残ってたのもここだった」



 ジャンボは苦しげに目を閉じた。

扉はしっかりと閉じられている。これを開けなければ、ここに入らなければきっと、今日ここに来た全てが無駄になる。

大きく息を吐いた。

横にはチョコとバニラがいてくれた。


 震える手でドアノブをしっかりとつかみ、ついに扉を押し開けた。



「えっ……!?」



 ジャンボは目の前の光景が現実か疑った。

チョコとバニラも同じだ。

部屋はうっすらホコリは積もっているものの、小綺麗に整えられ、人が住んでてもおかしくないほどに家具は手入れされていた。


 しかもあのポインセチアも窓際で、いまだに生き延びていたのだ。

まるでいつ先生が奥から現れてもおかしくないような、そんな室内だった。



「俺……幻覚見てるかな?」



 ジャンボはついチョコとバニラに聞いた。

二人も不思議そうに室内を見ている。



「幻覚だとしたら……俺たちも見えてるよ」



 時が逆さに戻ったこの場所で、三人はしばらく呆然とし、立ち尽くしていた。

その時だった。



「誰か来る」



 いち早く足音を聞いたジャンボが二人に小さく呟いた。

公安だろうか。廃墟に勝手に入り込むなと注意しに来たのかもしれない。……それだけならまだいい。


 足音は段々と彼らに迫る。なにか話し声も聞こえた。

複数人がこの場所を目指しやって来ている。



「チョコ、バニラ、お前らは隠れてろ」

「やだね」

「俺たちだって簡単にはやられないよ」



 ずっと前、ジャンボが背中を刺されて生死をさまよった時。

「こんな事が今後も起こるかもしれない」と二人はジャンボ本人から説明を受けていた。

けれど三人で生きていくと決めたのだ。

どうしてジャンボが命を狙われているのか、未だに二人は知らない。それでも。


 足音はついに校舎の中にまでやって来た。

思ったよりも大人数が入ってきたらしい。

さっきまでただの廃墟だったのに、校舎はとたんに賑やかになった。

ジャンボは扉越しに彼らの会話を聞いた。


 そして、目を大きく開く。



『ジャンボはいつ来るんだろう』

『いや、来るかどうかも……でも墓を建てたのが本当にジャンボなら、こっちにも来るんじゃないか?』

『まさか映画の中でアイツの顔見るとは思わなかったよな。今日会えなかったらファンレター書こうぜ、連名で』

『キスマークでも添えてやるか』



 全員楽しそうに笑っていた。

気がつくとジャンボは事務室の扉を開けて、彼らの目の前に飛び出していた。

全員時が止まったように、お互いの姿を見ていた。



「ジャンボ……?」



 やっと仲間の一人が呟いた。ジャンボは頷いた。

次の瞬間、仲間たちはジャンボの元に駆け寄った。



「本当にお前だったのか!」

「ずいぶん心配したんだぞ!ずっとお前とだけは連絡取れなくて!」

「先生の墓建てたって本当か!?俺たちも案内してくれよ」



 皆が思い思いの言葉を興奮気味にジャンボにぶつけた。



「どうして誰にも連絡くれなかったんだよ。せっかく芝居の世界に戻ったんなら、俺たち……」



 寂しげな声にジャンボは慌てて答える。



「あの時、俺は捨て台詞みたいなこと言ってみんなと別れたから……恨まれてると思ってた」

「そんなわけねーだろバカ!」



 ジャンボは悲しそうに笑う仲間に背中を叩かれた。



「あの時のは人生かけたイス取りゲームみたいな時間だった。お前のイスはきっと優先的にあるんだろうってみんな思ってたよ。だからイヤだったんだろ?」



 ジャンボは誤魔化せもせず頷いた。

その肩を組み、仲間の一人がジャンボをこづく。



「でも結局お前、アクション俳優になりやがって!みんな見たぞ!お前が出てる映画!お前はいつもそうだ!」



 そうだそうだ!とジャンボは囲まれこづかれた。みんな歳をとっても変わらず、泣きそうな顔で笑っていた。

ずっとジャンボの胸に突き刺さっていた大きなトゲは、いとも簡単にポロリと抜け落ちた。



「お前、なんか独身だって聞いたけど彼女もいないのか!?」

「うるせー!お前らだってどうせモテないだろ!」

「俺は結婚してる」

「俺も」

「俺子供3人いるよ」



 余計な質問のせいで少数派の独身組は身を寄せあい、悲しげに肩を組んでいた。

そんな騒動の後ろで完ぺきに蚊帳の外だった二人に、ようやく誰かが声をかける。



「そこのお兄さんたちは、ジャンボの後輩かなにかか?」



 ジャンボはハッとし、首を横に振った。



「俺の子供だよ」



 しぃんと全員が黙り込む。

独身組は裏切られた子犬のような目でジャンボを見た。

その様子がおかしくて、ついジャンボは吹き出してしまう。



「笑い事じゃねーだろ!?子供何才だよ!!」

「17」

「おい!こいつ独身のふりして17年前に子供こさえてんぞ!」



 独身組は小動物のように震えてジャンボを見た。子供が3人いると言った仲間も開いた口が塞がらないようだ。

ジャンボはまだ笑っていたが、チョコとバニラを手招きして、仲間にしっかり紹介した。



「こいつらが9才の時にたまたま街で会ったんだ。それからずっと、一緒に暮らしてる」



 また一瞬だけ部屋は静かになった。

けれどすぐに温かく和やかな空気に包まれる。



「なんだよ。やっぱりお前が一番すげぇじゃねぇの」



 ジャンボは照れながらも「ありがとう」と笑って返した。

そしてまた質問責めが始まる。



「なぁ、名前はなんていうんだよ」

「ああ、基本はチョコとバニラって呼んでる」

「おい!どんなネーミングセンスしてんだ!」

「二人が会った時にそう名乗ったんだ。ちゃんとした名前も考えたよ」

「学校はちゃんと行けてるのか?」

「もちろん。俺も二人から少しずつ教わってる」

「今どこに住んでるんだよ」

「ここからバスに乗ってしばらく行ったあたりに四合院があるんだ。その一棟に住んでる」

「なんだよ!それなら全然会えるじゃねぇか!今度遊びに行っていいか?」



 ジャンボは振り返り、チョコとバニラに確認するように視線を送った。

ジャンボ以外からも、大量のおっさんに孫を見るような笑顔を向けられている。


 チョコとバニラは戸惑いながらも首を縦にブンブン振った。

その様子を見て、おっさんの集団は微笑ましいものを見るように、和やかに笑う。



「まさかジャンボが親になってるなんてな。しかもアクション俳優だろ。人生って分からねぇな……」



 感慨深そうに一人が言った。

みんななんとなく広間に移動して、床に座り込んで話し始める。

チョコとバニラはほとんど聞いているだけだったが、ジャンボの表情が初めて見るような和やかな顔なので、つい真剣に聞いていた。

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