第43話

「部屋が広くって」



 ジャンボはいつになく口数が多かった。



「家に帰ったとたん、部屋に明かりを付けるのが自分しかいないんだってまず思いましてね。

一つずつアイツらの荷物をまとめて、そうしたら色んなこと思い出すじゃないですか。

でも家が今までに無いくらい静かで」



 ジャンボはそこまで話して、自嘲気味に笑った。



「まぁ、9年前に戻っただけなんですけどね」



 普段は自分の話などしないのに、聞かれてもいない話をジャンボは自分の楽屋でベラベラと話した。

終始笑顔ではあるものの、風が吹けば飛んでいきそうな力のないものになっていた。

本当にこの後、彼はちゃんと芝居ができるのか?と不安になるほどに、もはや憔悴していた。



「ちゃんとご飯食べてるんですか?」

「ああ……まぁ、適当に飢えない程度には」

「顔の覇気がないんですよね。メイクするこっちの身にもなってくれませんか」

「そこはあなたの腕の見せどころでしょう」

「いやですよ、そんなのめんどくさい」



 ジャンボはなんやかんや言って名脇役の座を得るほどには人気があるため、自分の周りのスタッフを指名できるようになっていた。

昔から馴染みのヘアメイクの彼女も指名されたうちの一人だった。



「きっとあの子たちは前に向かって進んでるんですよ。もう何年もしたら俺の事なんて忘れますかね」

「ほんっとに卑屈ですね。めんどくさいな。愚痴を聞いたぶんも給料に換算されるならいいですけど」



 ジャンボはもうヘラヘラ笑うばかりだった。

チョコとバニラがいる生活とは、自分を正しく生活させる基盤だったのだ。

その糸がきれた凧のように、ジャンボはフラフラと、だんだん仕事も不真面目になってきてしまった。



「もうそろそろ、役者も潮時ですかね」



 ジャンボはふと呟いた。

二人を養うために始めただけの仕事なのだから、もう彼らは劇団に就職しているし、それならライン工に戻ったとしても、ジャンボにとってはどうでもよかった。

役者として手に入れたものになんて最初から興味がなかったのだ。



「こういう時のために結婚って必要だったんだなぁって、ふと思いましたよ。あまりにも寂しいです。ホント」



 グダグダと愚痴を話してしまった。

彼女に話したところで何がある訳でもないのに、いつの間にか撮影現場で一番話しやすいのが彼女になっていたのだ。

だから指名しているのだが、彼女も嫌だろうな、なんて他人事のように思った。


 しかし、背後から思いがけない声が降ってくる。



「私、初めて会った時からジャンボさんのこと好きですよ。今でもずっと」



 さらっと流れていきそうな声で、作業をしながら彼女は言った。最初は意味がわからず、ジャンボは固まっていた。

なにか答えようとしたのに、なんにも思い浮かばなくて、ジャンボはひとまず振り返ったが、顔がみるみる赤くなる。ヘアメイクはその顔を見て伝染したように顔を赤くした。


 そしてジャンボの顔を掴んで前を向ける。



「髪のセット中なんですから、動かないでください」



 ジャンボはもうなにも言わずに座り込んでいた。

後ろから見ても耳まで真っ赤なのが見える。

全く変なのに恋してしまったな、とヘアメイクはつくづく自分に呆れ、そして溜息をつきながら笑った。


 その日の撮影が上手くいったことは言うまでもなく、ジャンボももう37才だ。

いくら情けない大人とはいえ、彼女の気持ちを汲むことくらいはできた。

彼女も長年ジャンボのそばにいたわけなので、そう多くは望まなかった。


 ただ、ずっと動かなかった歯車がやっとゆっくりと回り始めたことだけは確かだった。

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