第12話
久々の街での買い物に、ジャンボは当たり前のようにチョコを肩車して、露店の前を歩いていく。
「怪我は大丈夫なの?」
「無理して担ぐほど馬鹿じゃないよ」
外出する時はいつもチョコとバニラにせがまれて、肩車をしてたのだ。
驚異的な体幹により、子供を乗せたまま普通に買い物を続ける姿は、街でも少し名物になりつつある。
「なんだ、ジャンボ。久しぶりだな」
前から通っていた八百屋も、彼をジャンボと呼んで笑った。魚屋も雑貨屋も、みんな彼をジャンボと呼んだ。改めて思うと不思議だが、でもなんだか嬉しい。
ジャンボは笑顔で頭を下げた。
なぜか肩車されたチョコも一緒に頭を下げる。
「今日は葉物が安いよ。よく見てってくれ」
「ありがとうございます」
ジャンボはうろうろと野菜の周りを歩く。正直、葉物は区別が全くつかないのだ。
飯なんて火を通して味付けをすれば、食べられるものだったのに。
「ジャンボ、これ右のは
「そうなのか」
──────────
【※3】小松菜に似た野菜。
──────────
肩に乗ったままチョコはジャンボに耳打ちした。
そんな光景も見慣れたもので、店長はにこにこと見守っている。
「チョコはすげぇなぁ。どこでそんな読み書き覚えたんだ?」
チョコは困った顔でグッと黙り込んだ。
この国ではまだまだ識字率が低く、ジャンボも学校教育を受けていないことから、文字の読み書きはまだ難しかった。
スタントマンの仕事も台本はあるものの、指示はほとんど口頭だ。
貧しい京劇の役者が多く流れ込んだことにより、監督側も最初から口頭で述べることが多くなっていた。
けれど、学校に通いだした途端、チョコは急に真価を発揮し始める。
学校中のどの子よりも、もしかしたら先生よりも、チョコは文字の読み書きが出来たのだ。
本当に嬉しいことだ。本当、なのだけど。
「どこでなんて……知らない……」
チョコはぶかぶかの帽子に力を込めてぐっと握りしめ、そのまま顔を隠した。
店長はいくらか申し訳なさそうな顔をして、もうそれ以上は何も聞かない。
それもあってか、今日もずいぶんおまけを頂いてしまった。
買い物を済ませた帰り道、今度はチョコとバニラは交代して、バニラが肩の上に乗る。
肩車のなにが楽しいのか、なんて聞くのは野暮だろう。
二人は背負われる度に、目をキラキラさせて、嬉しそうに笑っていた。
「ジャンボって背が高いからずっと遠くの山まで見えちゃうじゃん」
「そこまでデカいわけないだろ」
どうでもいい会話を続けながら、のんびりと家へ帰る。
その途中にふと呼び止められて、振り返ると隣人の娘がいた。
「こんばんは。今日も仲良しですね」
「ええ。たぶん」
ジャンボと女性は微笑みあった。
チョコはなんとなくジャンボのズボンの裾をつかみ、バニラは明らかに彼女から目を逸らしている。
「あなたもこの時間に買い物してるんですか?」
「仕事帰りなんですよ。だからもっと遅くなるよりかはいいかなって」
「ああ、だからお互い街でみかけることが多かったんですね」
ジャンボの声は、子供たちと話す時より明らかに優しく、明瞭な声だった。
チョコは居心地の悪さを感じたが、隣人の娘はチョコの方にわざわざ回り込み、そして目線を合わせてしゃがむ。
「チョコ君。できれば私は、君とも友達になりたいな」
チョコは驚き、ついジャンボの方を見上げた。
ジャンボは好きにしろと言いたげな顔で、チョコの頭をなでる。
改めて彼女の顔を見て、なんだか急に照れながら、チョコはしどろもどろに答えた。
「友達……なれるかな……」
「分からないけど、今度君たちが特訓してる時、おにぎり持ってくよ。絶対邪魔はしない。けど、なんだか君たちを見てるとほっとするんだ」
チョコは帽子で顔をちょっと隠して、そっとうなずいた。
女性が手を差し出すと、迷いつつもその手を握り、少しの間握手をする。
「文字の読み書きも、良かったら私にも教えてね。みんな、チョコ君すごい!って噂してるからさ」
「分かった……」
チョコはずっと帽子で顔を隠したままだった。
その様子を見て、なんで俺には帽子がないんだと言いたげなバニラは、ここから逃げ出したい気分だった。
しかし、肩に背負われてしまっているので、身動きも取れない。
案の定、隣人の娘は立ち上がり、バニラとも視線を合わせた。
「バニラ君、ごめんね」
急な謝罪に驚いて、バニラは訝しげな顔をする。なにかを吐き出すように深呼吸をして、隣人の娘は言った。
「私ね、ジャンボさんのこと好きなんだ。だから、君たちからジャンボさんのこと、とろうとしてたかもしれない」
あまりにもキッパリした声に、戸惑ったのはもちろんバニラだけではない。
ジャンボもそう、チョコもそう、道行く人もあらまぁと口を抑える。
酷く慌てる男三人に、隣人の娘は笑った。
「でもね、私がジャンボさんを好きになったの、君たちがいてくれたからなんだよ。
……私はきっと君たち三人が好きみたい。どうかな。バニラ君も友達になってくれない?」
バニラはどぎまぎしつつ、真剣な彼女の目から視線を逸らせなかった。
そして、湧き上がった気持ちを飲み込んで、バニラも頷いた。
やった、と女性は小さくガッツポーズする。
「あの……こんな街中でプロポーズは……」
ジャンボがもごもご言うと、隣人の娘は吹っ切れたように笑う。
「いいじゃないですか。あなたがチョコ君とバニラ君へ本気なように、私も本気だったんですよ」
彼女は悲しげに笑った。ジャンボはそれ以上声をかけられず、少し俯いた。
しかし、やっぱり隣人の娘なのは本当なのだろう。
次の瞬間には明るい声で、ピクニックの誘いを受けた。
「とはいっても、出かけるんじゃなくて中庭ですけど。天気がいい日にみんなでご飯食べませんか?私、こう見えても料理は得意なんです」
太陽のように笑う彼女に、ジャンボは一抹の迷いを振り払い、微笑み返した。
チョコとバニラも、ピクニックの話に食いついているようだ。
みんなで楽しく過ごせるならそれで、きっとそれが一番正しかったんだろう。
ジャンボは今日ではなく、食堂での彼女の告白を思い出していた。
精一杯に伝えられた思いを忘れることなんてない。なのに、自分は逃げた。
今もずっと好きだと言われても逃げ続けている。
『殺して手に入れればいいじゃないか。無理に押し倒せ』
背後の自分がずっと囁く。赤い視界がその都度広がり、繰り返す。
死体が転がって、真っ赤な手が、この手が。
「どうしました?ジャンボさん」
彼女は無邪気にジャンボに声をかけた。
一瞬だけ虚ろな目をして、すぐにそれを隠すようにジャンボは笑った。
そして、自分は恋をして来なかったんじゃない、出来ないんだと唐突に悟った。
あの日、ジャンボの心は壊れてしまったのだ。
どんなにチョコとバニラが笑っても、隣人の娘が微笑んでも、きっと元には戻らない。
不都合なんてなかった。だから気にもとめなかった。
なのに今さら胸が苦しくなるなんて、卑怯だなとジャンボは俯いて、ひっそり笑う。
もう終わった恋なんだ。
自業自得のクセに、自分に言い聞かせている姿は滑稽だった。
「ジャンボさん。食べ物は何が好きですか?」
相変わらず、彼女はキラキラと輝く瞳でジャンボを見た。
吸い込まれそうな美しい輝きだ。
だから、もう、直視はできない。
「なんでもいいですよ。あなたの得意料理をお願いします」
そんな返答でさえ、隣人の娘は気合を入れて、楽しみにしてて下さいねと嬉しそうに笑った。
去っていく彼女にジャンボは手を振った。
ただそれだけの日々が続く。これからもきっと、変わらずに続く。
なのに肩の上から、バニラはぽそりと言った
「ごめん……あの時……邪魔して……」
ジャンボは「いいんだ」とだけ、返した。
三人の影が沈みかけの夕日でうっすらと伸びる。それぞれが、違うことを考えていたかもしれない。もしかしたら同じかもしれない。
でも、もう決して三人はなにも言わなかった。
なにがあっても、三人で生きていこう。
それがエゴだとしても、虚構だとしても、ジャンボの決意はもう揺らぐことはなかった。
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