第13話
あれから五年の月日が流れた。
相変わらずの騒がしさと目まぐるしく起こる様々な問題、それらが詰まった五年間だった。
小さな子供だと思っていたチョコとバニラも、身長を競い合いながらすくすく成長し、もう14才になる。
学校に通い続けてはいるものの、勉強は未だに好きではないらしい。
ただ、勉強だけならジャンボに勝てるので、二人はそんなところにまで闘志を燃やしてるらしかった。
「インスウブンカイ……?また、ややこしいのが出てきたな」
「だから、さっきから説明してるだろ。この二乗の公式を使うんだってば」
「んー……」
ジャンボはそんな二人から勉強を教わることも多かった。
そのおかげで文字の読み書きの不都合がぐっと減り、実はかなり助けられている。
お互いに得られなかったものを得ているような時間だった。
特にバニラとジャンボにとっては。
「あれ、チョコは宿題は?」
「さぁ、なんか包子食べたらやるとか言ってたはずだけど……」
チョコは勉強をサボることが特に多かった。
二人の声を聞いてか、居間の方から慌てたようにガタガタと動く音が聞こえる。
そして一言。
「
どデカい叫び声が轟いた。
今急いで口に
決してサボってはいない、宣言通り包子を食べたら宿題をやるつもりなのだと。
バニラとジャンボは顔を見合わせて、二人でため息をついた。
そして、勉強机を置いたスペースから離れ、居間の方へ二人で歩く。
「あのなぁ」
ジャンボが呆れながらテーブルを見ると、チョコは立ったまま包子を口に頬張って、真剣な目でジャンボの方を見た。
しかし、口だけは動いていて、もぐもぐと包子が消えていく。
すでにその様子を見て、バニラは吹き出して顔を背けていた。
ジャンボはそれでも笑いをこらえ、サボったことを叱らなければと一歩近づく。
けれど、チョコは驚くことに、むしろスタスタとジャンボの方に近づいてきた。
顔の向きも変えずに、ジャンボの前にたどり着き、すごい迫力でムシャムシャと包子を食べる。
「な、なんだよ……」
怯んだジャンボにチョコは叫んだ。
「好吃ー!!!!!!」
目が笑っていないのである。もはや狂気の沙汰だ。
「怖いよ……なんなんだよお前……」
「好吃ー!!!!!!」
「やめろ、こっちに来るな」
ゲンナリした顔で後ずさるジャンボのさらに背後で、バニラはめちゃくちゃに爆笑していた。
包子を食べてるだけでもこの騒ぎだ。
本当にこの二人といると、日々に退屈することなどないだろう。
そんな時、玄関の扉がノックされた。
好吃攻撃は一旦終わり、ジャンボが玄関の方へ向かう。
「あ、こんばんは」
「こんばんはじゃないよ。外まで聞こえてたよ……まったく、男ってのは本当に馬鹿ばっかりだね」
外に立っていたのは隣人だった。
その事を子供たちもこっそり確認し、安心したように再び騒ぎ始める。
そんな賑やかな声を背後に、ジャンボは隣人のバツが悪そうな顔を見て、騒ぎすぎたかななんて少し反省した。
「すいません。毎日、騒々しくて……」
「本当だよ。……この日くらいは、真面目な顔して出てこないと、ぶっ飛ばすからね」
「この日?」
問いかけるジャンボに叩きつけるように、隣人はある封筒を押し付けた。
綺麗な、真っ赤な封筒だ。
少し戸惑ったが、隣人は目を逸らしながらも帰らないので、ジャンボは不思議そうに封を開ける。
すると、中から結婚式の招待状が出てきた。
「娘が……結婚するんだ」
隣人はそっぽを向いたまま、ため息混じりに言った。
急に背後の喧騒が遠くなり、ジャンボは静かに招待状を見た。
「おめでとうございます」
隣人はじろりとジャンボを睨む。
「結婚式なんて出来ない家も多いだろうが……あの子は運が良かったのかね。玉の輿ってやつさ」
「そうですか。ならなお、良かったです」
「なーにが良かったです、だよ」
あの時、友達になるという約束は、ずっと彼らの間で保たれていた。
チョコやバニラと特訓をしている間にも、警戒されつつも彼女がやって来て、ご飯やお菓子をご馳走してくれたりした。
お礼に試写会に招待したこともある。
チョコとバニラもだんだんと打ち解けて、今ではもう気兼ねなく話せるようになっていた。
そして、そんな日々の中、子供たちには聞こえない場所で、ジャンボは彼女から聞いた。
「……恋人が出来ました」
一瞬だけ動揺した。けれど、動揺するのもおかしな話だ。
自分はこの人をフッたのだから。
「幸せになれそうですか?」
「ええ、きっと……」
彼女の瞳が、じっとジャンボの目を見つめた。
そのまばたきや瞳の色も、もう遠くへ行ってしまうのだろう。
彼女がなにを言いたいのか、なにを望んでいるのか、もう数年も友達として隣にいたジャンボには、分かっていた。
「おめでとうございます。お祝い、します」
「ありがとうございます……」
二人で無言のまま、なぜか目を逸らせずに、見つめあっていた。
けれど、離れた場所から自分たちを呼ぶ声が聞こえてくる。
静かなこの場所に、いつまでもいることはできない。
「そろそろ戻りましょうか。あいつらも待ってますし」
「ええ」
ジャンボは背を向けて歩き出す。
その後ろを彼女はそっと歩いた。
その日のあとも、彼女は断片的に恋人について、ジャンボにだけ話す時があった。
とても素敵な人で、優しくて、それも誰にも分け隔てなく、いつも笑顔でいるのだと。
収入についてなんて聞いたりはしなかったが、なんとなく自分とは身分の違う人なのだろうと、ジャンボは悟っていた。
きっとあの時代にも、彼女の恋人は血なまぐさい事には関わっていない。
だから、どうということでもないけれど。
「今度、結婚式をすることになりました」
ついに彼女の言葉から、決定打が放たれる。
最初に話を聞いた時から一年後くらいだろうか。
ジャンボはその日もほほ笑んで彼女の話を聞いていた。
「招待状、受け取って貰えますか?」
「いや、そんな……俺たちじゃ、場違いではないですか?」
「そんな意地悪なこと言わないでください」
「意地悪なんかじゃないですよ。あなたがせっかく掴んだ幸せを、台無しにするような事があったら……」
「そんなことおきません。あなたも、チョコ君もバニラ君も」
きっぱりと言い切る彼女になにも言えず、ジャンボは結局頷いた。
それからまた一ヶ月後のことだ。
隣人が現れて、招待状を叩きつけてきた。
「娘さんはどちらに?」
「式の準備かなんかで忙しいらしいよ。私にはちょくちょく顔は出してるけど……」
煮え切らない口調で、隣人はどこか腹立たしげに頭をかいた。
「婚約者さんとはお会いになられたんですか?」
「そりゃあね。紹介されたし、いいとこの坊ちゃんだってのに、この家の中までわざわざ来たよ。
性格も顔も資産も、まぁ合格点なんじゃないかね」
「そんな他人事みたいな」
「アンタにその言葉そのまんま返してやろうか」
ついに隣人はハッキリと怒りを示し、ジャンボに人差し指をつきつけて、ギロリと睨んだ。
しかし、ジャンボは少し笑って誤魔化すように後ずさる。
「とりあえず、結婚式には行きますよ。アイツらを静かにさせる方法も見つけときます」
「眠り薬でも盛るのが一番早いんじゃないか」
「大丈夫ですよ。絶対に式の邪魔はさせません」
ジャンボが話せば話すほど、隣人は言葉にできない葛藤や怒りを全身に表していた。
けれど、ジャンボはそれをどこか遠くのことのようにも感じていた。
最初に出会った時からずっと、彼女は遠くの人だった。
「あの子たちはともかくとして、アンタにはがっつり働いてもらうよ」
「はっ?」
「
迎親とは新郎が新婦の家に行き、彼女を連れ出すまでの、催し物のことだ。
その際に、新婦の仲のいい友人が、新婦の家の近くで待ち伏せして、新郎を迎え撃つ、という内容である。
とはいっても乗り越えられないような酷い試練ではない。
不味いジュースを飲むとか、即興で歌を歌わなければならないとか。
仕事先のお偉いさんの結婚式に招待されたせいで、ジャンボは一応その内容を知っていた。
けれど。
「知ってはいますけど……もっと適任がいるでしょう?」
「まだふざけたこと抜かすなら鼻折るよ」
わりと本気な殺気を感じ、ジャンボはサッと顔を笑顔に変えた。
隣人はなにか言いたげにしたが、大きく溜息をつき、もう拳を振り上げることもなかった。
「ちゃんと用意しておくんだよ。それじゃ」
とぼとぼと隣人は力の抜けた足取りで、自宅の扉まで歩いていく。
その背中が妙に小さく見えて、ジャンボはぼんやりと目で追っていた。
隣人が扉の中に消えると同時に、様子を伺っていたチョコとバニラが、ひょこっと顔を出す。
「なぁ、何の話してたんだよ」
「なにそれ、招待状?」
なにかが起きていると察知したのか、二人は落ち着かない様子でジャンボの横にくっついた。
ジャンボは開けていた扉を閉めて、二人に招待状を手渡す。
「隣の娘さんの結婚式だよ。俺もお前たちも招待されてる」
「え!?なんでもっと早く言わないんだよ!」
「今招待状を貰ったとこなんだよ。別に遅くはないだろ」
「ジャンボと結婚するんじゃないの?」
チョコはきょとんとして言った。
バニラはその瞬間にハッとして、ようやく気がついたらしく、チョコの頬を掴んで引っ張った。
「なんだよ!痛い痛い!」
「お前、バカッ!本当にバカ!」
「なにがだよ!ちょっと勉強出来るからって調子乗んなよ!」
また喧嘩を始める二人から、ジャンボは器用に招待状を回収し、引き出しの中にしまった。
そして二人の方へ歩み寄る。
その気配に気がついた二人は気まずい顔で笑ってジャンボを見た。
ため息のあとに、ジャンボは二人の頭をわしわしなでる。
「お前たちもいい服買わなきゃな。近くの仕立て屋に行くぞ」
「今から?」
「まだ開いてるだろ。仕立てってのは時間がかかるんだ」
「すごい真剣な顔してる……」
「俺は真剣だよ。お前たちも人様の一生に一度の晴れ舞台に呼ばれるんだ。気を引き締めろ」
「もし……その、なんかしちゃったら?」
チョコが探るように笑いながら聞いた。
バニラも隣で同じ顔をしている。
ジャンボも二人を見て微笑んだ。
「その時は殺す」
ゾッとするチョコとバニラの前で、ジャンボはなにが面白いのか笑い出す。
そして急に正気に戻り、身支度を始めた。
明らかに挙動不審なのだが、それを指摘できるほどチョコとバニラは強くなかった。
ただ、二人とも言われるがまま街の仕立て屋に連れていかれて、しかも髪まで整えられて、ずいぶんシャッキリとして家に帰ることになった。
ジャンボはその間も酷くぼんやりとしたようすで、視線を宙に漂わせたり、かと思うと気付け薬のようになにか飲んでたりする。
それが酒の小瓶だと気がついた時、チョコとバニラはさらに大人しくなった。
ジャンボがどんな気持ちなのか、さすがに14にもなると、勘づかないわけもない。
多少の哀れみの気持ちと悲しさと、あとは挙動不審に対する恐怖心で、二人はひとまず大人しくしている事にした。
「可哀想」などと言おうものなら、中華包丁で叩き切られそうだ、なんとなく。
普段とは立場が逆転したように、放心するジャンボをきづかう生活が始まった。
仕事は毎日行ってるし、支障はないのかもしれないが、家に帰ってくると、とにかくボケーッとしている。
「ジャンボ。一緒に問題解く?」
「いや〜、今日はいいや」
「ジャンボ、ご飯できたよ」
「あー、ありがと」
子供心に大人ってめんどくさいなと二人は感じるものの、よく思い出せば、出会った頃のジャンボの方がよっぽど酷かったのだ。
仕方ないと二人で頷きあい、できる範囲で二人はジャンボを助けることにした。
その甲斐甲斐しさにジャンボだって気がついてはいる。けれど、もう結婚式まであと一週間だ。
あと一週間だけ許してもらおう。その後は埋め合わせもしよう。
そんなことを唱えて、ジャンボは布団の中で丸くなっていた。
カッコ悪いにも程がある。
そんなことは前から分かりきっている。
背後の闇も、呆れてしまったのか、出てこなくなった。
ジャンボは自分の感情がなんなのかも分からないまま、分かろうともしないまま、一週間を過ごした。そのまま、当日が来てしまった。
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