第26話

 という気分だったのだが。



「……すげぇー!!!」



 全員がハッと部屋の隅を見ると、チョコとバニラが頬を上気させて、ずっと拍手を送っていた。

なにかの魔法が解けたように、それぞれ配置からゆっくり動きだし、床に座り込む。


 チョコとバニラはずっとその間も拍手を続けていた。

こうなると少し気恥しい。



「もっと練習しとけば良かったな。こんな若い観客がいるんならさ」



 全員が照れ隠しに笑った。

ジャンボもヘロヘロだが、彼らの元へ歩き、頭をわしわしと撫でる。


 しかし、チョコとバニラの興奮は全く醒めなかった。



「あの動きってどうやってんの?」



 動きの一つ一つを記憶していたかのように、チョコとバニラの質問は始まる。

疲れ切っていた男たちの間になにか炎がともった。



「あの動きってこれか?」



 ジャンボと立ち回りを見せた仲間が、よいしょとかけ声をかけながら、人間離れした技を反動もなしに見せつける。

チョコとバニラは頷き、見たままの動きを再現しようと、床を蹴った。

 


「嘘だろ……」



 誰かが呟いた。

チョコとバニラは見ただけで、ほとんど同じ動きが出来てしまったのだ。



「ジャンボ!どういうことだよ……!」

「立ち回りを教えこんだのか!?」



 ジャンボは戸惑い首を横に振る。



「違う。二人が勝手に覚えたんだ。やって見せてくれといつも頼まれたけど……」

「今、二人は普通の学校に通ってるのか?」

「え、まぁ……」

「こんな才能捨てておくのもったいないぞ!絶対いい役者になる!」



 しかしジャンボの顔は険しくなった。



「今の京劇……みんななら子供にやらせたいか?」



 仲間はうっと言葉につまった。

確かな答えをだせるものなど誰もいなかった。

しかし、中でも年長だった仲間が、あの頃のように真っ先に行動を起こした。



「なぁ、チョコ、バニラ。ここからはちょっと大人の話をさせてくれ」



 そう言いながら懐から札をピラッと出して、二人に手渡した。

すると、俺も俺もと二人の元にみんな集まっていき、戸惑う二人の手の上には札の山がデーンと出来上がっていた。



「ちょっと!子供に渡す額じゃないだろ!こんなにもらえないよ」



 ジャンボは焦ったが、その肩をポンッと叩き、仲間は首を横に振った。



「こういう機会がなきゃ甘やかしてやれんのよ。それになんだ、出生祝い……?じゃないな。この場合なんて言えばいい?」



 誰からも的確な答えはなかったが、誤魔化すようにバンバンとジャンボの肩は叩かれた。



「まぁ祝いだと思って、今日のところは受け取ってくれよ。お前の子供なら、変な使い方はしない。そうだろ?」



 知らんおっさんにウィンクされ、チョコとバニラはヒェッと思いつつも頷いた。



「ちょっとその金でブラついててくれ。大人だけで話したいことがどうしてもあるんだ。いいな?」

「分かった!」



 二人は頷いた。

おっさんにぽんぽんと頭を撫でられ、二人はふと心配そうなジャンボを見た。



「もう17才なんだぜ。大丈夫だよ」



 バニラが言うと仲間たちは笑う。



「本当だな。子離れもそろそろ必要だぞ」

「茶化すなよ……。変な路地とかには近づくなよ?」

「分かってる!じゃあな!」

「あそぶぞー!」



 二人は勢いよく走っていった。

その後ろ姿を見る目は確実に親の目なのだが、本人はきっと気がついていないだろう。


 二人が遠くに去っていくのを確認して、仲間の1人が聞いた。



「お前、子供にもジャンボって呼ばせてるのか?」



 唐突な質問にジャンボはつい笑う。



「違う違う。たまたまなんだ。江白ジアンバイって発音を聞いて、二人して俺をジャンボって呼んでからかってきた。最初は心臓に悪かったよ」



 ジャンボが何を抱え、何を嫌悪しているのか、仲間たちはわかる気がした。



「やっぱりあの二人は芝居には関わらせたくないのか?」

「いや……本人たちがやりたいって言うなら止めないよ。けど……」



 ジャンボは大きくため息をつく。



「京劇の衰退も、あの頃の扱いも、俺たちは見て来ただろ」


 皆が黙り込む中、今も京劇の劇団員をしている仲間が言った。



「現実的なことを言うと、暮らしはかなりいいぞ。

チョコ君やバニラ君ならあっという間に演目も覚えられそうだし、すぐに人気役者になれるんじゃないかな」

様板戯ヤンバンシィ 【※7】のか?」



─────────

【※7】革命現代京劇。模範劇とも。現在は単に「現代京劇」と呼ばれることが多い。

─────────



 劇団員は少し黙った。ジャンボの言いたいことは分かっている。


 革命運動中、役者たちは同じ演目しか演じられなかったのだ。

最高の役者をそろえた映画を手本に、それを出来るだけ舞台で再現する、ということが全ての劇場で行われた。

演目は国が指示したものに限定されている。

もはやストーリーを暗記できるほどに、観客たちは京劇、いやプロパガンダを見せ続けられていたのだ。


 役者も同じで、いつも同じ演目をやった。

「『紅灯記』【※8】の、あの鳩山の人」と、役者個人を観客が認識するようになるほどに。



───────────

【※8】模範劇のひとつ。革命に身をささげた一家の物語。「鳩山」は劇中に登場する悪役。

───────────




「国に媚びへつらう芸術なんて、芸術じゃない」



 ジャンボはついに言い放った。現役の劇団員にいう言葉ではない。

みながハラハラと見守った。


 しかし、劇団員は少し考え込みジャンボをまっすぐ見た。



「そもそも音楽や絵画も富裕層のための娯楽だった。どこの国も同じだ。芸術が権力に迎合するのは今に始まったことじゃない」

「俺が間違ってるって言いたいのか?

俺たちがここに通ってた頃、京劇は確かに大衆のためのものだった。そうでなくなったから、俺は余計に京劇から距離を置いたんだ」

「なぁ、ジャンボ。京劇は死んでなんかいない。俺はそう思う」



 二人はハッキリと対立して、視線を戦わせた。

しかしついに耐えられなくなった仲間が大きな声を出す。



「やーめだ!やめだ!弔いに来たんだぞ?喧嘩なんか見たくないよ」



 ウンザリしたような声に、ジャンボと劇団員は気まずくなり、目線を互いにそらす。



「せっかく全員がこうして集まれたのに、争うなんてさ。もう争いはいいよ。あの頃、一生分経験した」

「そういえば……あの時代の話はいつも無意識に避けてたな。みんな苦しんだ時代だったよ。たぶん」

「でもやっぱり異常なやつっているもんだよな。いまだに紅衛兵の腕章なんか誇らしげにもってさ。

『俺は2〜30人殺してやった!』なんて自慢げに言ってるバカが居酒屋にいたよ。

……おかげで酒がまずくて」



 全員なんとなく似た経験をしているのか「あー」と頷いた。

「1人殺せば殺人者、100万人殺せば英雄になる」なんて、時の独裁者を皮肉った言葉もあるのだ。

「革命の英雄」なんてどこにもいない事を誰もが知っているはずなのに。


 しかし、ジャンボはどろりとした言葉を吐き出した。

全員、その声を聞いて凍りついた。



「俺は今も紅衛兵の腕章を持ってる。それに、2〜30人殺した」



 仲間たちはしばらく言葉を失った。外の茂みががさりと揺れる。



「……それはさすがに聞き捨てならないな」



 仲間は顔も上げずに険しい声を出した。



「俺たちも、あれには参加したよ。そうせざるをえなかった。生きるために人を見殺しにした。そういう時代だったんだ」



 ジャンボは押し黙っていた。

それぞれの告解は続く。けれど誰もジャンボの言葉を肯定しようとはしなかった。



「お前は「革命」の賛同者だったのか?」

「俺は……」



 やっとジャンボは口を開いた。

少しずつ日がかげり、雲が空に増えていく。

「予報では雨が降る、だから明るいうちに帰ろう」三人で約束した言葉だった。


 けれど、三人はそれぞれ動きだした歯車に逆らえず、そのまま夕方を迎えた。

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