第27話

 校舎の中は、すっかり通夜のような空気だった。

誰も互いに触れなかった傷口を、開いて見せ合うことになってしまった。

どんなに時が過ぎてもあの時代の傷は癒えていない。

そもそも先生が亡くなった原因さえも、紅衛兵の吊し上げに耐えかねての自殺だったのだから。


 ここにいる全員があの腕章をつけていた。

けれど、人をその手で殺めたのは、ジャンボだけだった。



「お前の子供、帰ってくるの遅いな」



 誰かがぽそりと言った。その瞬間パチンと悪夢から目が覚める。



「俺、そろそろ帰るよ。二人は明日も学校があるし」

「ああ……先生の墓は来年案内してくれ。今日は会えて本当に良かった」



 また来年、と何人かが手を上げた。ジャンボもそれに応えて手を振った。


 来年、自分は生きているだろうか。


 そんな思いは飲み込んで、ジャンボは街中へ走り出す。二人は夜まで遊び歩くようなタイプじゃない。強盗をやっていた頃も本当は、夜が怖かったと言っていた。

それでも17才だ。過保護すぎるのかもしれない。


 さまざまな葛藤が頭の中を飛び交ったが、ひとまず二人の姿を見つけられればそれで、安心できるはずだった。

なのにジャンボが見つけたのは、青ざめた顔で「チョコ!!!」と叫びながら走る、バニラの姿だった。



「バニラ!」

「ジャンボ!」



 二人は少しだけホッとして互いに駆け寄る。しかし、やはりチョコはどこにもいない。



「なぁ、ジャンボ……チョコはジャンボ達と一緒にいたんじゃないのか?」

「いや、俺たちは会ってない。バニラと街を回ってるんだと思ってた」

「でも、チョコは「忘れ物したからちょっと取ってくる」って言って、すぐに校舎に戻ったんだ……。

ジャンボ達にも会ってないなんてそんなはずないんだ……」



 バニラは真っ青な顔で訴えた。校舎を出てから今の時間までほとんどをチョコを探すのにあてていたのだろう。

飲み物をひとつ持ったきりで、バニラは他になにも買った様子さえない。


 バニラは「すぐにチョコが校舎に戻った」と言った。

チョコはきっと隠れて聞いていたのだ。元紅衛兵たちの会話を。

もう、そうとしか考えられなかった。



「バニラ、家に帰ろう」

「な……チョコを置いていくつもりかよ!」

「違う……俺は……ずっといつかこんな日が来ると分かってたんだ」



 なんの答えにもなっていない。けれどジャンボの生気のない顔を見て、バニラもただ事じゃない何かが起こっていると、悟らざるを得なかった。


 バニラはジャンボと共にトロリーバスに乗り、家を目指す。

三人で約束したのだ。雨が降る前に帰ると。

でも、バスの窓にはもう、雨がぽつぽつとぶつかり始めていた。


 空はぐんぐん暗くなる。

バスは見慣れた停留所で止まり、小雨の中、バニラはいてもたってもいられず飛び出した。

ジャンボはその背中を追えなかった。


 なんとかバスを降りて、両手で顔を覆う。家に帰らないわけにはいかない。


 もしもチョコが家で待ってくれていたなら、もう隠し事はしない。

その上で殺されようとも、仕方のないことだ。

けれどもし、チョコの憎悪が俺ではなく、別の誰かやチョコ自身に向かってしまったら……とてもその先は考えられなかった。


 自分はどうなってもいい。

どうかチョコを守ってくれと、いつもはまともに信仰していないのに、神に祈った。

仏だっけか?なんでもいい。なんでも構わないからどうか……。


 なんとも身勝手な祈りを繰り返し、ジャンボは見慣れた道を歩く。

あの時代のあと、背後を警戒しながら歩いた道を。

彼らと出会って、幼い手を両手でつなぎながら歩いた道を。

成長した彼らが荷物を持ってくれて、三人で笑いながら通った道を。


 今は雨がひたして、ジャンボは一人、暗闇に向かって歩いていた。

傘なんてない。雨が降る前に帰る予定だったんだ。

押しつぶされそうな後悔を抱えて、ジャンボは歩いた。

初夏でも雨は冷たかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る