第15話

 なにも知らないジャンボが帰ってきたのは、その40分後のことだった。

本当は10分20分で帰るつもりだったのだが、よっぽど自分は新郎に会いたくないとみえる。


 まぁ、もし自分が居なくてもチョコとバニラがなんとかしてくれるだろう。

なんて、無責任で楽観的な気分でもあった。

つまりヤケクソである。


 なのに戻ってきたジャンボが見たのは無人の赤いテーブルと、必死の形相で駆けてくる新郎の姿だった。



「嘘だろ!!」



 何に文句を言えばいいのかも分からないまま、ジャンボもテーブルの前へ走った。

ちょうど同じくらいのタイミングで、赤いテーブルをはさんで二人は肩で息をする。


 しかし、1時間後の予定が20分も早く来て、険しい顔をしているのを見ると、ジャンボは不安で逃げ出したくなった。

どうしてチョコとバニラはいないんだ。

迎親ってもっと楽しむものじゃなかったっけ?



「あなたが、ジャンボさん?」



 息も切れ切れに、汗を手の甲でぬぐいながら、新郎が視線をこちらに向けた。

顔を見たのは初めてだが、なんだか鼻につくヤローだなんて思ってハッとして、ジャンボはありったけの愛想笑いを振りまいた。



「そうです。本日はお招き頂き誠にありがとうございます」

「俺の苦手なものを方々で聞いて回ってたらしいですね」



 ジャンボは笑ったまま固まった。

新郎の目には明らかに闘志の炎が燃えている。やばい。



「どんな関門でも突破してやろうと思いましてね。他のは全部さっさとすませて来たんですよ」



 完璧に勘違いをされている。

ジャンボは汗をダラダラ流しながらも、役者スマイルで誤魔化した。



「特別なものは用意してないですよ。ほら、ここにあるコップ3つだけです」

「全部飲み干せということですか?」

「いや、一口で充分でしょう。2つは砂糖水、そして1つは新婦の実家の水が注がれています」



 少しだけ芝居がかった動きで、ジャンボはコップに手のひらを向けた。



「愛があれば新婦の家の水がどれか分かるはずです。さぁ、お好きなのからどうぞ」



 一応、職業がエンターテイナーであるため、ジャンボはなんとか盛り上げようとそれらしく振舞った。

そうしなければ用意してあるのが貧相なコップ3つだけだとバレてしまう。


 選択の時が訪れる。


 新郎はしばらく悩み、ジャンボの表情などもうかがったが、そこは役者である。

どのコップに手が伸びようと、ジャンボは顔色ひとつ変えなかった。

というか、さっさと全部一口ずつ飲んで当てて、大手を振って新婦の家へ行ってくれと、それだけを祈っていた。


 なのに新郎は意味もなく、最初のコップ1つで悩んでいる。

このために20分も時間を作ったというのだから、それも無理もない、のだろうか。

いつまで役者スマイルしてりゃいいんだと、ジャンボは疲れ始めていた。


 しかし、やっと新郎はひとつのコップに決めたらしい。

これで変な疑いは晴れるだろう。

そう思っていたのに、口をつけた瞬間、新郎はなにかを悟ったような、不正を暴いたような、あくどい声で笑い出した。



「これがあなたにとっての「砂糖水」ですか……しかも「一口で充分」と」



 辺りは不穏な空気に包まれた。

確かにここに入っているのは水と砂糖水のはずだ。

ジャンボ自身が用意したのだから。


 だが、次の瞬間、新郎はコップを直角に傾けて全て飲み干し、勢いよくテーブルに置いた。

視線があってしまい、ジャンボは怯える。

新郎の目は完全に据わっていた。

そのまま二杯目に手を伸ばそうとする新郎の腕を、思わず掴む。



「ちょっと!ちょっと待ってください!」



 ジャンボはコップを手に持ち鼻に近づけた。

そして、ぎょっとし顔を歪ませる。

コップの中身はおそらく全て、普段自分が飲んでいる白酒とすり替えられていた。

誰が?なんのために?


 ジャンボはなぜかこの場にいない悪ガキ2人の姿を思い出す。



「やりやがった……」



 ジャンボは思わずつぶやいた。

新郎はいつまでも自分を掴んでいる手を振り払い、制止も聞かずに2杯目を飲み干してしまう。

そして3杯目もすでに酔いが回った動きで新郎は手を伸ばしたが、さすがにジャンボは手首を掴んで止めた。



「このあと式もあるでしょう。やめてください。お酒なんて用意してしまったのは、本当に手違いなんですよ」

「どうして止めるんですか。たった3杯の酒を。俺が「酒乱」だからですか?」



 ジャンボは何も答えられず固まった。

そしてあっという間のことだった。

新郎は手首を掴んだ腕を掴み返し、ジャンボを横にほうり投げたのだ。


 異変を察知したやじ馬たちが集まる輪の中に、ジャンボは転がり込む。

新郎はやじ馬のざわめきも意に介さず、3杯目を飲み干した。

そしてツカツカとジャンボの方へ歩いていく。



「初めて酒を飲んだ時です。酩酊状態になった俺は一族への罵詈雑言を撒き散らし、ずいぶん暴れたらしいですよ。

両親からも言われました。

「反抗期もなかったのにどうしてなんだ。これじゃ嫁も見つからない」ってね」



 新郎はジャンボの胸ぐらを掴み、そのまま彼を立たせた。



「色んなものが積み重なっていたんです。自分でも自覚できないほどに。

あの時代だって俺は農村部に送られて、下働きをさせられていた。

でも、アナタは彼女に誇らしげに言ったそうですね。

「自分は紅衛兵だった」と」



 一瞬でジャンボの呼気が殺意にそまった。

かすかな理性がチョコの姿を探したが、どうやら近くには居ないらしい。


 いつしかギャラリーも増えていたが、信じられないほど静けさに満ち、誰も手出しをしようとは思えなかった。

ジャンボは胸ぐらをつかみ返して、新郎を薄く開いた目で睨みつける。



「俺が紅衛兵だとアンタ達の結婚になにか迷惑がかかるのか?」

「白々しい。全て計算づくなんでしょう」



 新郎はそう言い放つと同時にジャンボを殴り倒した。

また群衆に倒れ込み、悲鳴が少し上がるが、ジャンボはゆらりと起き上がる。



「なにが計算づくだって?」



 新郎は顔をひきつらせて、山積したものを吐き出すように話す。



「俺が酒の席で暴れたのは一回だけだ。けれど親族の全員が集まる大事な場だった。

……誰もが俺に失望する中、彼女だけは普通に接してくれたんだ。

たまたま出会った公園で、他愛のない話を何度もするようになった」



 言い終わるか終わらないかの内に、ジャンボは新郎を殴り返した。

吹き飛ばされ倒れる彼に、ジャンボは冷たく問いを繰り返す。



「全て計算づくっていうのはどういうことだ。俺が紅衛兵だとアンタ達の結婚になにか問題があるのか!!」



 怒声が響く。新郎は迫力に気圧され地面に座り込んだままだったが、すぐに拳を握り、ジャンボに掴みかかった。

ジャンボも即座に掴み返してお互いに怒鳴り合う。



「この酒は俺の子のイタズラだ!わざわざ俺の過去までもちだして、なにが言いたいんだ!」

「彼女は俺が酒を飲んで暴れたことを知らないんだ!親戚の全員でひた隠しにしてたからな!

でもアンタはどこかから聞き付けた!そして俺を暴れさせて式をめちゃくちゃにさせようとした!そうだろ!?」

「被害妄想も甚だしいな!俺が聞いたのはただの噂だ!

アンタには酒を飲ませるのは避けた方がいい。酒の席をいつも断るから、苦手なんだろうと。

それ以上は今アンタが勝手に喋ったんだ!」

「この期に及んでまだ善人ぶる気か!?アンタ紅衛兵だったんだろ!何人殺した!?俺たちみたいなのをこき使って楽しかったか!?

そんな奴がどうしていつまでも彼女の心の中にいるんだ!」



 その言葉を聞いた瞬間、ジャンボは息の根を止められたようになった。

腕の力が抜けて下に垂れ下がる。

瞳からも怒気が抜けて、ぼんやりと虚ろに変わり、ジャンボは黙り込んでしまった。


 明らかに新郎は、言ってはならないことを言い放った。

やじ馬でさえもそれは分かった。



「なにしてるの!?」



 沈黙を切り裂き、戸惑いと悲しみの悲鳴が響く。新郎は酷く狼狽して、ジャンボから手を離した。

ドレス姿の新婦が裸足のまま実家から走ってきたのだ。


 本来なら新郎は全ての関門を終えたのちに、裸足の新婦を抱え、一度も地面に足がつかないよう、婚車ウェディングカーまで彼女を運ぶ。

その時初めて、新婦の親にドレスに合わせた靴を履かせてもらうのだ。


 だからきっと、彼女は靴も履かずに駆けてきた。

新婦は今にも泣きそうな目で、怪我だらけの二人を見る。

そして目線も合わさずにうなだれるジャンボを、まず平手打ちした。


 次にうろたえる新郎の頬を平手打ちした。

場はしんと凍りついていたが、彼女だけは涙を押し込んだ声で、二人に告げる。



「二人とも、一度ウチの中へ来て下さい」



 逆らえる状況ではなかった。

それに新婦の足は石か何かで切れたのか、小さく血が滲んでいた。

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