第21話

 あの結婚の日から三年が経った。


 相変わらず三人は四合院の中庭で特訓をしたりしているが、17才になったチョコとバニラは、もうすっかり大人の背丈で、声変わりも終わっていた。


 チョコなんかひょいと中庭のベンチを持ち上げて「カンフーベンチ!」などとわけのわからないことを叫んでいる。

頭の中身はそのままに、身軽に動けるモンスターを生み出してしまったのかもしれない、とジャンボは遠い目をした。


 年々兄弟ゲンカの内容も激しくなり、「喧嘩なら外でやってくれ」とジャンボは二人が落ち着くまでいつも中庭に放り出していた。

二人のせいで割れた食器は数しれず、窓ガラスも二ヶ月に一回は割れてる気がする。


 一応二人とも学校で教育を受けているはずなのだが、インテリジェンスよりも、戦闘狂の血の方が勝っていた。



「お前たち将来なにになるつもりなんだよ」



 ジャンボは呆れながら聞いたが、二人はきっぱり「分からん!」と返した。

やはり子育ての仕方を間違えたのだろうか。

窓の外を奇声と共に飛んでいく17才を見ていると、ジャンボはげんなりした。


 とはいえ、その動きもかつてジャンボが彼らに教えたものだ。

自分のように幼い頃から専門の先生の元で育った子と比べれば、彼らの姿はかすんでしまうだろう。


 けれど、同年代の学友たちは二人のことをもはや人間として見ていないようだった。

きっといい意味だと信じたい。


 ジャンボは今年も線香を焚き、その煙の向こうにぽそりと呟いた。



「先生。アナタの苦労が今なら少しだけわかる気がします」



 チョコとバニラは一通り暴れ終えて戻ってきたが、仕事机で線香を焚くジャンボの後ろ姿を見て、背すじをしゃんと伸ばした。



「もう命日だっけ?」

「たぶん、そろそろな」



 チョコとバニラはなんとなくジャンボの隣まで椅子を引き、一緒に座って煙を見つめた。



「やっぱり、遺体はみつからないのか?」

「ああ」



 チョコとバニラは、毎年線香を焚くジャンボを見てきた。

しかし供え物があるわけでもなく、故人の写真も花もない。

養成学校の先生の死を悼んでの時間だとはすぐに知ったが、ジャンボはいつもそれ以上、なにもしなかった。



「思えば先生の好きな食べ物も花も知らないんだ」



 そんなことをポツリと言ったのを覚えていた。

しかし、今年のジャンボはひと味違う。壮大なプロジェクトを終わらせていたのだ。



「命日は相変わらず分からないけど今年は墓を建てたんだ。一緒に来るか?」



 なんでもない事のようにさらりと言ったが、チョコとバニラは存分に驚いた。



「ジャンボが?墓まで建てちゃったの?」

「調べてみたら先生って身よりもなくて、結婚もしてなかったらしくて。墓もたぶん……どこにもないんだ」



 悲しげに語ったわりに、ジャンボはおどけた顔をした。



「だから作っちゃった」

「財力ヤベー」

「そんな言い方するなよ」



 本当はずっと前から、ジャンボは先生の墓について調べ、ないなら作ってしまおうと考えていた。

けれど、まずは先立つものがない。

チョコとバニラの教育費、そしてもちろん生活費も捻出していたが、それ以上の余裕はなかった。

墓なんて一気にまとまった金が必要だし、維持費もかかる。


 そんなことを考えていたある日、彼に転機が訪れた。



「ちょっと江白さん、お願いなんだけど……」

「はい?」



 わざわざ助監督がスタントマンの楽屋にやってきて、腰も低く頭も低く、ジャンボに近づいてきた。



「なんですか……今日の役はなくなったとか?」

「いや、その逆でさ……」



 助監督は台本をめくりながら、とある役を指さした。



「実はこの役の俳優さんが急病で来れなくなっちゃったんですよ。

もちろん代役を探そうってなったんだけど、そしたら監督が「江白にやらせてみろ」って言い出して」

「はっ!?」



 ジャンボは思わず声を上げて立ち上がった。



「セリフもある役ですよね……。しかもわりと重要な役じゃないですか?」

「いや!もちろんそうなんだけど!監督たってのお願いだから……やるだけやってみてくれません?」



 助監督はあいまいな笑みを浮かべた。

ジャンボはふと、今撮影している映画の監督が、初めてこの業界に入った時に、世話になった監督であることを思い出す。

何もわからず闇雲に受けたオーディションで、先生の死を悼んでくれたのもこの監督だった。

そして、ジャンボのスタントマンの素質をアピールし、事務所まで探して入れてくれたのだ。


 本当に世話になった人だった。

けれど、だからこそ、期待を裏切らないか不安だった。



「江白さんならできるできる!まぁまずはやってみましょ」



 助監督は心のうちも知らずに軽くジャンボの肩を叩き、そしてそのまま引きずるように監督の元へジャンボを連れていった。

会話を聞いていたスタッフたちは皆、心の中でジャンボを応援した。


 そしてこの瞬間こそが、ジャンボの人生を大きく変えたのだ。


 アクションを演じるのはいつも通りだが、そこに表情が加わるのは、初めての試みだった。

初歩的なことも分からず、心が折れそうになったが、監督は言った。



「京劇の舞台だと思ってやれないか?」



 その瞬間、ジャンボの表情や仕草ががらりと変わった。


 歌劇ではない。そもそも京劇でもない。

けれど芝居には変わりないのだ。

不安は吹き飛んで、ジャンボは堂々とカメラの中の一人となった。

もちろん、俳優業を専門としてきた人たちに追いつくほどではない。

それでもジャンボの芝居には光るものがあった。


 そうしてこの映画が公開された折、映画業界はちょっとした騒ぎになったのだ。

「この俳優は誰だ?」と。


 監督は誇らしげにジャンボを売り込みまくったらしい。

もちろん嬉しいことだが、どうして自分がそこまで監督に気に入られているのか分からなかった。


 そんな心を知ってか、監督は笑った。

「俺はそもそも京劇が好きだったんだよ。本当は今でも京劇映画を撮りたいんだ」


 スポンサーが許してくれないけどな、と監督は寂しげに笑った。

「もしもいつか俺が京劇の映画を撮れたら、主役を務めてくれよ」


 監督は豪快に笑いながら、冗談めかして言った。

けれど、彼はきっと本気だ。

ジャンボは決意を込めて頷いた。

そして俳優の養成学校にも通うようになり、たった3年、されど3年。


 彼はアクションスターの仲間入りを果たしたのだった。

本人ははじっこのすみの方にいるだけだと言ったが、現実的な話、収入も大きく変わった。


 ブロマイド撮影なんてものもされ、ずいぶんカッコ良く切り取られたその一枚を、チョコとバニラは大笑いしながら見ていた。



「すげえカッコつけてる」

「あははははははは」

「見るなよ!」

「うははははは」



 ジャンボはにんまりとからかってくる二人を中庭に追い出した。

こうなってくるとサインなんかも考えないといけないらしい。


 それはさておき、隣人の娘夫婦はあの時の言葉通り、ちょくちょく四合院を訪ねてきていた。



「チョコ君もバニラ君も大きくなったねぇ」



 なんて会話をしている際に、二人のバカはニヤリと笑い、懐からジャンボのブロマイドを取り出した。



「え!?何コレ!?非売品!?非売品なの!?」



 混乱しなぜか非売品かどうかばかり確認する隣人の娘は、ブロマイドをがっつりと掴み、決して離さなかった。

陰からその様子をそっとうかがっていたジャンボを目ざとく見つけ、ブロマイドを持ったまま駆け寄った。



「サインください」

「あの……それ……あげるとも言ってないんですけど……」



 彼女はこの世の終わりのような顔をした。

ジャンボは慌ててテキトーな言葉でつくろう。



「いや、でも、ネガはあるんで大丈夫です。たぶん。こんなんでよければどうぞ」



 彼女は分かりやすく輝くような笑顔になった。


 そんな彼女のあとを追いかけて、旦那やチョコやバニラが歩いてくる。

ジャンボはこそこそと旦那に近づいた。



「あのぅ……旦那さん的にはアリなんですか?」

「もちろんアリですよ。嫉妬はしてますけど」



 旦那の背後でメラメラとなにか燃えているのを感じ、ジャンボは聞かなきゃ良かったと肩を落とした。

その間も彼女はジャンボにサインを要求したが、ジャンボは首を横に振る。



「サインなんて考えてないですよ。そのブロマイドだってなんで撮ったのか……」



 後ろ向きな発言は全員に無視されて、勝手に「ジャンボのサインを考える会」が発足してしまった。

本人そっちのけで思い思いのうんこ(のようなデザイン)を繰り出してくる。

シロウトが考えるサインほど恥ずかしくみっともないものはない。

だからジャンボもサインなど考える気はなかった。


 しかし、チョコがマジのうんこを描き出した横で、旦那さんだけはお洒落で書きやすそうなサインを、何個か提案してくれた。



「すごいですね。なにかデザイン関係のお仕事でもされていたんですか?」

「いえ、完全に趣味ですよ。仕事は家業を継がなければならないし」

「もったいないですね。この短時間にこれだけのクオリティのものをいくつも作れるのに」



 思ったままを口にしたのだが、旦那は唐突にジャンボの両手を握った。



「ジャンボさん!!」

「は、はい……」



 旦那は目をうるうるさせている。



「美術なんかでは食っていけないと、俺はずっと言われてきたんです。でも、今日初めて俺は……俺は……!」

「一旦落ち着いて手を離しませんか?」



 なんだか感極まってる彼に控えめに声をかけたが、彼はまっすぐジャンボの目をみつめた。



「俺は今日、アナタのファンになりました。俺にもサイン入りブロマイド下さい」

「は!?」

「でも嫉妬はします」

「ちょっと!?」



 チョコとバニラはもはや変形型うんこの絵とか、わけのわからないものを量産しているし、この場は混沌を極めた。


 とりあえずサインは旦那さんの案を頂くこと。

ブロマイドは一枚しかないので喧嘩しないで待って欲しいこと。

大量生産された狂気のうんこ博覧会を今すぐ取りやめること。


 ジャンボは全員をなんとか説得し、酷く疲れたのを覚えている。

でも、とても賑やかで楽しい日だった。

あのブロマイドが売れているのかは知らないが、少なくともジャンボはアクション俳優として、撮影に呼ばれるようになった。


 チョコとバニラは「本当に映画の人になった……」などとアホなことを言っていた。

気恥しいが二人にねだられて、三人で映画館にも足を運んだ。

スクリーンの向こうに映る自分の姿を見て、ジャンボはどうしても信じられない気分になった。

映画館にこっそり忍び込んでいた孤児の二人は、今や17才になって、あの頃から変わらない瞳で映画を見ている。


 自分なんかは、彼らと変わらないあの17才の日、芝居を捨てたはずだった。

二人を養いたい。ただそれだけの思いで舞い戻るはめになっただけなのに、ずいぶん遠くまで来てしまった。


 上映後、ワイワイはしゃぐチョコとバニラを乗せて、ジャンボは車を家へ走らせた。



「墓……建てるか」



 ふとつぶやいた声はたまたま二人に届いたようで、彼らは鳩が豆鉄砲食らったような顔をした。



「墓……?」

「わりと金も自由になってきたなと思ってさ。言うほど欲しいものもないし……。そろそろ墓かなって」



 チョコとバニラは青ざめ大いに慌ててジャンボを止めたが、三人の会話は噛み合わなかった。


 線香の煙を見つめていると、色々なことを思い出す。

いつかあちらに行った時、先生と話す話題には困らないだろうなと思った。



「で、結局お前らはどうするんだ。別に留守番でもいいし、好きに遊びに行っててもいいけど」



 チョコとバニラは即答した。



「一緒に墓参り行くよ」



 線香の煙がふわりと漂う。

今年はきっと、花や供え物も買うことになるだろう。

先生はなにが好きだったんだろうか。

それ以外にだって、今なら聞きたいことが山ほどある。けれど。


 ジャンボは考えるのをやめた。

せめて弔いさえできればそれでいい。

そう自分に言い聞かせて目を閉じた。

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