第4話
ジャンボの予想通り、スタントマンの仕事は一気に増えていた。
抑圧からの解放というか、立て直しというか、学校などの教育の場も同じで、人々は皆人生の歯車が動き出したように、生活を取り戻そうとやっきになっていた。
そして予想よりもはるか簡単に、ジャンボはスタントマンに起用される。
「アンタ、あの学校の生徒さんなのか!?いや、アンタの学校の名前はこの業界でも有名だよ」
採用担当者が監督だったことは後から知ったが、とても気さくで豪快に笑う人だった。
ただ、一言だけ悲しそうにぽそりと言った。
「先生のこと、気の毒だったな」
ジャンボはなにも言えずにただ頷いた。
先生の死を知った時、それを知らされた時、弔いの言葉などどこにもなかった。
自分もそのうちの一人でしかなかった。
そんな自分がまた芝居の世界へ戻ったなんて、誰に言い訳できるだろう。
背に腹はかえられない、ただそれだけの理由だった。
家に帰れば、小さな子供が二人、自分の帰宅を待っているのだ。
「おかえりー!」
「ただいま。学校の様子はどうだ?」
「えー、その前に映画の話聞きたい!!」
「俺も!!」
ジャンボは仕方なく、自分がスタントマンを務める映画の内容について、秘密だぞと添えて二人に話した。
子供たちはキラキラした目でその話を聞いている。
そんなに素敵なもんじゃない、なんて、つい口をついて出そうになるのをぐっと飲み込む。
「それでお前たちの方は?」
「んー、数は覚えた!」
「教科書はね、やっぱりまだ全員分用意できないってさ」
あの時代に、教育の全てが否定され、それに関連したものは次々と破壊され燃やされた。
それを機に教育の方向性も変わったとか、教科書も次々と発行されて、皆学びを求めているとか、そんな噂はジャンボも耳にしていた。
だが、彼自身が学校教育を受けていなかったので、実感としてはよく分からない。
「教科書の奪い合いとかしてないだろうな」
「なんで?みんなで一緒に見ればいいだけじゃん」
キョトンとする二人を見て、ジャンボはぐっと込み上げるものがあった。
二人の頭をガシガシと撫でる。
「なんだよ!急に意味わかんねぇ!!」
「成長したなぁ、お前ら。ほんの半年だぞ?半年前まではあんなに凶悪だったのに」
「うるせーー!!!」
チョコとバニラは照れたのか、ジャンボから離れてカンフーの型をとった。
「今だってケンカしたら俺たちが勝つ!!」
「ほう。俺にも勝てそうか?」
子供たちは顔を見合わせて、一通り悩んだようだが、口を尖らせてジャンボを見た。
「勝てる!!!」
相変わらずの声量にもずいぶん慣れた。恐らく隣人も。
ジャンボは少し悪い顔で笑い、手を勢いよく前に突き出した。
カンフーの型だ。
「な、なんだと!?」
バニラは驚きで後ずさる。
チョコもオロオロと振り返ったり、よく分からない動きをした。
「俺はカンフー映画のスタントマンなんだぞ。俳優よりも俺の方が、本当は強いんだぜ」
半分は嘘だった。
カンフーの型は映像映えするように迫力のある動きではあるが、上映時には少し早送りもされている。
なにより、戦える拳法としてのカンフーは、映画俳優もスタントマンも身につけてはいなかった。
まぁ、それでも、身のこなしだけで大抵のケンカには勝てるだろうが。
「ジャンボが強くなっちゃったら、俺たちが強くなっても勝てないじゃん……」
バニラはしょぼしょぼと目を細めて、腕を下ろしてうなだれた。
チョコはその様子を見て、それでもまだ型を構えている。
二人もずいぶん性格の違いが出てきたな、とジャンボは心の中で笑った。
「今はまだ、お前らの師匠ってことだな。今日は特訓になら付き合ってやるぞ」
「ホント!?」
「戦ったりはしないぞ。俺もお前らも変なケガはダメだ」
「やったー!!!」
あんまり話を聞かずにチョコは外へ駆け出した。
バニラも嬉しそうにその後を追って、外に飛び出していく。
ジャンボが追いつくと、二人は大したもので、後転したり木に登ったりと、最初に会った時よりもさらに身のこなしが洗練されていた。
きっと、もとから才能がある二人なのだろう。
「柔軟体操はちゃんとしないとダメだ。いつも言ってるだろ」
ジャンボの声に素直に従って、二人は集まり、一緒に体を伸ばした。
ジャンボもその輪に加わって、三人で体操をする。
こうしてると本当に、学校に通っていた時のことを思い出す。
『先生のこと、気の毒だったな』
思い出さなくてもいいことまで、紐づいて、頭の中を横切っていく。
「ジャンボ、なんでボーッとしてんだよ」
「あぁ、いや」
開脚していた状態から、反動もつけずに立ち上がり、誤魔化すようにジャンボは体をひるがえした。
その動きの鮮やかさに、チョコとバニラは見入ってしまう。
「すげぇーなー。本当に映画の人みたい」
「映画の人なんだぞ、俺は」
三人で少し笑った。
こんなにも平和だったことはいつ以来だろうか。
チョコとバニラの過去は、あまり尋ねないようにしてるし、二人もジャンボについて遠慮してるのかそこまで聞かない。
けれど三人は皆、苦しい時代を超えていた。
その上で、偶然が重なって出来たこの生活が、あまりにも貴重で、大切なものに感じる。
バニラとチョコに、最近身につけたカンフーの動きをせがまれて、言われるままにやってみせた。
二人はずっと瞳を輝かせて観察し、真似ようと必死に動いている。
そんな時、隣の家のドアが開いて、ちょうど隣人が姿を見せた。
「おおー、今日もやってるねぇ。なかなかカッコイイよ」
「ありがとうございます」
隣人はもう3人の特訓の様子にも慣れたもので、どこか嬉しそうにしていた。
どうやらずいぶん前に、京劇の学校と同じ建物の中に住んでいたらしかった。
「なぁ、ジャンボさん。ちょっとちょっと」
手招きで呼ばれて、ジャンボは隣人の元へと不思議そうに歩く。
なぜか隣人までもが彼をジャンボと呼んでいたが、それはこの際関係なかった。
隣人の隣に、若い女性が立っていたのだ。
「ほら、これうちの娘」
「娘!?」
ジャンボはニコニコ笑う隣人と、隣の女性を思わず見比べた。
「本当に娘さんですか?こんな美人なのに?」
「アンタそれどういう意味だい!」
隣人はジャンボの腹をビシッと殴る。
わりと痛くて、腹をおさえていると、隣の女性が少し焦ってジャンボに声をかけた。
「大丈夫ですか?もう、お母さんも、そんなに強く叩くことないのに」
「いや、大丈夫です。きっとお母さんもお若い時は、こんなに美しかったんでしょうね」
お世辞を言ってみると隣人は分かりやすく上機嫌になった。女性の扱いがうまいだなんて口が裂けても言えないが、この程度なら日常会話の範疇だ。
なのに、隣人は嬉しそうに笑ったまま、恐ろしいことを口走る。
「私があと30才若ければねぇ……」
ジャンボはその場から思わず逃げようかと思ったが、隣人の娘がジャンボのことを見つめていた。
「な、なにかご用ですか?」
「あの、俳優さんなんですか?」
隣人の娘は羨望のまなざしでジャンボを見ていた。
俳優だなんて言いきられてしまうと、ジャンボはどこか罪の意識を感じてしまう。
「いや、ただのしがないスタントマンですよ。俳優というよりかは裏方です」
「でもね、この人小さい頃は京劇の役者だったのよ」
また隣人が目じりを下げて余計なことを言った。
ジャンボは気まずそうに頭をかいたが、娘の方はさらに瞳を輝かせる。
「ええ!?私、京劇が大好きなんです!あの煌びやかな世界を見ていると、夢中になって、なんだかお話の中に自分も入り込めるようで」
「そんな凄いもんじゃないですよ」
即座に口をついてでたのは否定の言葉ばかりだ。
裏側を知らないから、人々は芝居や映画に憧れるのだ。
実際に役者やスタントマンをやっている彼からすれば、100%の憧れなど受け取れなかった。
けれど、隣人の娘というのは本当らしく、彼女の押しはとても強かった。
「あの、私も実はこの近くに住んでるんです!良かったら今度お茶でも飲みながら、お話を聞かせてもらえませんか?」
ジャンボは戸惑って、思わず隣人の顔を見た。
すると隣人はこの上なく楽しんでいるような、ニンマリとして、ジャンボを見ている。
最初からこのつもりで手招きで呼んだのだろう。
さらにトドメのように、隣人は言う。
「アンタら年の頃もそんなに違わないし、いい夫婦になるよ。元気すぎる子供も二人で育てたらいいさ」
「ちょっとお母さん!!!」
隣人の娘は顔を真っ赤にして隣人を叩いた。
ジャンボも急な話題についていけず、しどろもどろになりながらも、なにか罠にかけられたような気がして、隣人をじとっと見る。
「そういえば、あの二人は弟さんなんですか?」
ジャンボはハッとして振り返った。
すると、最初に会った頃と同じような、警戒心丸出しの顔でチョコとバニラはこちらを見ている。
「ああ、弟ではなくて、養子ですかね……。そういう手続きはしてませんけど、一応親代わりです」
「ええ!?ジャンボさん、私とほぼ同い年ですよね!?」
「まー、その、事情があって。俺が強引に拾ってきたんですよ。京劇の学校の先生にはずいぶん世話になりましたし、その頃のことを思い出してしまって、どうにも放っておけなくて」
「すごい……優しい方なんですね」
温かい笑みを向けられて、ジャンボはつい視線を逸らした。
逸らした先でバニラやチョコと目線があってしまい、どうにもならずに空を見上げる。
その横で隣人の娘は子供たちの方へ歩み寄り、不信感丸出しの視線にも億さず、二人の前にしゃがみ込んだ。
「君たちはなんて名前なの?」
子供たちはモゴモゴしながらも、一応問いに答える。
「チョコ……」
「バニラ……」
「え?」
キョトンとする隣人の娘と子供たちの間に、慌ててジャンボは入り込んだ。
「あ、それは愛称というかあだ名というか。こっちは
なんとか取り繕おうとするジャンボに、隣人の娘はふと言った。
「ご兄弟なのに苗字が違うんですか?」
ジャンボは言葉に詰まって、答えられなかった。
その様子をみて、隣人の娘もハッとして、一気に青ざめる。
「ごめんなさい!私、失礼なことを言いましたね……。どんな事情があったっておかしくないのに、つい」
「いや、まぁ、その……」
ジャンボはうまく答えられなかった自分の方に責任があると感じていた。
二人の苗字が違うのは、もちろん名付け親であるジャンボの意思だ。
血の繋がっていない彼らを無理に纏めようとするよりも、個々で生きていったほうがいいと思った。
その上で手を取り合って生きていけることを、ジャンボは京劇の学校で学んでいたから。
「本当にごめんなさい……。
私だって、そんな、自慢できるような生まれじゃないんです。父は生まれた時からいませんし、だから余計に苗字について過敏になるところがあって……」
「亡くなられたんですか?」
「いえ……父には本妻がいたんです。だから私が生まれた頃には母と二人暮しで、結局父と呼べる人の名前しか知りません」
ジャンボはなんて答えたらいいか分からず、また黙り込んでしまった。
この沈黙はきっと彼女を傷つける。
けれど、決して会話が上手な方ではなく、すぐに必要な言葉を見つけるのが苦手だった。
「すみません、急に変な話を。あの、私もう帰りますね」
彼女は正気に戻ったようになり、慌ててこの場を去ろうとした。
ジャンボは思わず彼女の背中に声をかける。
「いつがいいですか」
「え?」
「その、お茶をするって、さっき」
自分は人が良すぎるんだ、きっとそれ以上の感情なんてない。
そんなことを何度も唱えながら、ジャンボは彼女の顔を見た。
すると、彼女は花が咲くような満面の笑みで、キラキラと笑った。
「じゃあ、来週のこの時間、もし予定が大丈夫ならどうですか?」
「え、あ、えっと、大丈夫です」
頭の中でスケジュールをバタバタと確認し、ジャンボは不器用にうなずいた。
それを見て、さらに彼女は嬉しそうに笑う。
「角の食堂でお待ちしてますね。ここまで来ちゃうと、母がうるさいから」
いたずらっぽく笑う彼女に、ジャンボはうなずいた。
そして彼女は母親とジャンボに手を振って、四合院の前から去ってゆく。
その後ろ姿が見えなくなると、ほうけていたジャンボの横に、いつの間にか隣人が立っていた。
「いい子だろう?」
「ひっ!」
驚いて間合いをとるジャンボを見て、隣人はおかしそうにケラケラと笑った。
「あの子の父親は弁護士だったんだよ。私はただの街の娘だったし、弁護士先生にはもう奥さんもいたから、あの子が産まれたことも告げないまま私が身を引いたんだけどね」
「アンタ、聞いてもないことペラペラ喋りますね」
「なんだい、怒ってるのかい?あの子はね、父親似で頭がいいって言おうとしただけさ」
隣人はわざわざジャンボの横まで歩き、肩をバシンっと叩いた。
「アンタ稼ぎもあるくせに、子供の相手ばっかりで、女の影のひとつもないじゃないか。この機会に感謝して欲しいね」
「本当に余計なことばかり言うばあさんだ」
「おや、騒音でお宅を訴えてもいいんだよ?」
豪快に隣人は笑い、冗談だよ、と付けたした。
「これでもアンタを応援しようとしてるんだ。自分の人生のことも、たまには考えな」
反論しようとするジャンボのことを置いて、隣人はさっさと家に戻ってしまった。
しばらくの無言の時間が流れる。
「ジャンボ、へんたい」
「はっ!?」
つい子供たちの方を振り返ると、全くの蚊帳の外にいた二人は、不機嫌の塊となり、ジャンボのことを睨んでいた。
「お、俺のどこが変態だ!」
「あの女の人と話してる時ニヤニヤしてただろー!!!」
「そうだそうだ!鼻の下こぉんなに伸ばしてた!!!」
子供たち二人はギャーギャー騒ぎ、へんたいと繰り返しジャンボを罵った。
当のジャンボは、決して自分に下心はないと、そう何度も繰り返していたのに。
相手を傷つけないようにする為に、話をすることに男女の差など関係あるだろうか?
「俺は変態なんかじゃない!!!」
子供たちはビクッと肩を震わせた。
この時初めてジャンボは怒りをハッキリと見せたかもしれない。
その迫力に、チョコもバニラも黙り込んでしまった。
ジャンボはそれ以上なにも言えずに二人から視線をそらし、背を向けて呟く。
「特訓は終わりだ。飯を作るから中へ入れ」
子供たちはとぼとぼと、ジャンボと視線を合わせないように横を通り、家の中へ入っていった。
その後を追って、ジャンボも中へ入った。
沈黙の続く中、いつもと変わらず食材を切って、三人前の料理を用意する。
チョコとバニラから、いつもの騒がしさは消え失せて、やはり無言のままに食事をした。
ジャンボもまだなにか会話する気にもなれず、黙って食事をとった。
来週のこの時間に、食堂で会うと約束してしまった。
彼女はきっと約束を守るだろう。
ジャンボは複雑な気持ちで来週に思いを馳せた。
どうしたらいいのか、本当になにも分からなかった。
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