第17話

 戸口の外からすぐに追いついてきた隣人の呼ぶ声が響くが、ジャンボはまるで聞こえていないように部屋をさまよい、酒のビンに囲まれて寝る二人の悪ガキを見つけた。

試しになめてみたのか、香りをかいだだけなのか、二人とも見事に顔を真っ赤にしてヨダレを垂らして寝ている。


 出会った時から五年が経ち、二人はもう14才になった。

ずいぶん成長したと思ったのに、寝顔だけはいつまでも変わらなかった。

二人を寝床まで運び、なんとなく頭をなでて、頬に触れようとするが、手がパッと彼らを避ける。


 いつも見ていた夢がよみがえる。

道にあふれた死体と、その道を作り出した自分の血まみれの手。



『アナタは彼女に誇らしげに言ったそうだな。「自分は紅衛兵だった」と』


『何人殺した!?楽しかったか!?』



 あの晩のことは今も鮮明に覚えている。

まるで昨日のことのように夜は続き、手から滴り落ちた血はいくら洗ってもとれなかった。

こんな手ではチョコとバニラには触れられない。


 玄関のドアを叩く音がよりいっそう大きくなった。

そこに新郎や新婦の声も増えた。

みなが必死にジャンボを呼び止めている。


 その声に反応したのはジャンボではなく、寝床でハッと目を開けたバニラだった。



「ジャンボ……?」



 同じ高さで寝転がり、笑顔を向けるジャンボは怪我だらけでボロボロだった。

その笑顔さえも、次の瞬間には崩れ落ちてしまいそうな、疲れた顔で。


 その間も、扉の前の声はやまなかった。むしろ人数が増えたようだ。

チョコもいつの間にか起きて、ほほえむジャンボを見ていた。


 三人ともグシャグシャの正装で寝床に転がっていたのだ。



「ジャンボ……色んな人が呼んでるよ」



 控えめな声でバニラが言った。



「ほっとけば収まるよ」



 やけに穏やかな声には温度がなく、チョコとバニラはゾッとした。

たまに見えるジャンボの背後の死神が、彼の首に鎌をもたげたようにみえたのだ。



「……なぁ、こうなったのって俺たちのせい?」



 十中八九そうだろうが、チョコはあえて聞いた。

しかし、ジャンボは首をゆっくり横に振る。



「違う。俺が浅はかだったんだ。それだけだよ」



 ジャンボはつい二人の頭をなでようとしたが、その手さえも握りしめ隠してしまった。

チョコとバニラは顔を見合わせる。きっと思ってることは同じだ。



「原因が俺たちじゃないなら」

「俺たちはジャンボを連れていく!」



 二人はピッタリと息のあった動作でジャンボの腕を引き、彼を立ち上がらせた。

大の大人一人を楽々と立たせたのである。

14才とはいえ、チョコとバニラの動きはやはり常人離れしていた。

視線を合わせただけでここまで連携のとれる兄弟がどれほどいるだろう。


 ジャンボは玄関にひきずられながら、ただ驚いていた。

そしてジャンボの意志などお構いなく、玄関の扉は開かれる。


 すると隣人や新郎や新婦以外にも、集まっていた街の人たちまでもが、心配そうにジャンボを見ていた。

その中で真っ先に、新郎が深くジャンボに頭を下げる。



「申し訳ありませんでした!!!」



 本気の謝罪の声にジャンボは戸惑った。

頭を上げさせようとしたが、彼はそのまま言葉を続けた。



「勝手に俺はずっと、アナタを敵視していたんです。何も知らずに、自分の偏見だけでアナタを罵ってしまった。

きっとアナタは真剣にお祝いをしようとして下さっていたはずなのに……」



 濁ったジャンボの目が少しだけ揺らいだ。

気まずさという正気だ。



「俺だって……少しはアナタを敵視していました。元々友人でしかないですが……彼女とはもう気軽にお茶も出来ないだろうと思うと、寂しくて」

「いいえ、俺は彼女の交友関係を守りたい。親戚は反対するでしょうが、俺は全てから彼女を守ると決めました」



 とても真っ直ぐな声だった。

そして新郎はジャンボに歩み寄り、右手を差し出した。



「式に来てくれませんか。服は責任をもってすぐに仕立てます。アナタがいなければそもそも俺たちは出会っていませんでした」



 ジャンボは思わず新婦や隣人の顔を見た。

後ろに集まる街の人々の顔も見た。


 この四合院に越してきた頃から、隣人は酷くお節介なばあさんで、ジャンボに襲いかかる死神の刃をはじいては、温かい料理を作り、部屋を片付け、勝手に家事を引き受けてくれていた。


 そのおかげで数ヶ月後には、ジャンボはやっと笑えるようになったのだ。


 街の人たちは、チョコやバニラの境遇に気を使い、極力2人から紅衛兵の話題を遠ざけてくれていた。

そのおかげで今日まで、ジャンボとチョコとバニラは一緒に暮らすことが出来ていた。


 いつの間にか自分たちは、温かい輪の中に受け入れられていたんだと、ジャンボは唐突に悟った。

伸ばされた右手を、自分の右手で力強く握る。



「服は頼みます。だから顔の怪我は任せてください。腕のいいメイクさんを呼びますよ」



 なぜだか街の人々から歓声が上がった。

ジャンボの目も悪夢から覚めたように、強い輝きがともる。

二人は握手を解き、新郎はやっと新婦を両腕に抱え「行ってきます、式場でまた」と頭を下げた。


 四合院の前でずっと待っていた婚車ウェディングカーの運転手も一部始終を見ており、二人を静かに車内へ招く。

隣人は柄にもなく穏やかな笑顔で、新婦に靴を履かせていた。


 全ての雲が晴れ、空と同じくらいの晴天が現れる。

チョコとバニラはすっかり油断してにこにこしていたが、結構な衝撃が頭を襲った。



「いってぇー!!!」



 二人の叫び声に解散しかけていた街の人々はやれやれと笑う。

あとは皆の想像通り、悪ガキ2人はこっぴどく叱られた。


 しかし、それどころではないと急にジャンボは動き出し、どこかに連絡をする。

そして現れたのは、撮影現場でいつも軽口を交わす馴染みのヘアメイクだった。



「俺が刺された件のお詫びに、いつでも呼んでくれって言いましたよね?」



 ジャンボは新郎と共に二人で控え室に座り、ヘアメイクを見上げた。



「確かに言ったし、約束は守りますよ。でもね……怪我が多い!」



 一体なにをやらかしたんだと言いたげな視線をよけて、ジャンボは頭を下げた。



「アナタの腕ならなんとかできると、そう思ったので連絡させて頂きました。どうかお願いします。彼の結婚式のために」

「もちろんできるだけのことはします。けど二人分タダ働きですか」

「飯くらいなら奢りますよ」

「結構です。私のせいで死にかけた人にたかるほどがめつくないんで」



 ヘアメイクは大きな業務用の化粧道具入れを開けて、鮮やかな手つきで怪我を隠していった。

その間に二人と悪ガキの分の服も急ピッチで仕立てあげられる。

もちろん新婦の足の怪我も、ちゃんと歩いても痛くないように手当をされていた。



「これで貸し借りナシですからね。ジャンボさん」



 明らかに「江白ジアンバイ」ではなく「ジャンボ」とヘアメイクが発音したのを聞いて、ジャンボは頷きながら笑った。


 そしてついに、式は多少遅れたものの盛大に幕を開け、二人の主役は晴れ渡った笑顔で現れた。

ジャンボやチョコやバニラは招待席に座って、彼らを拍手で出迎えた。


 人生の門出に立ち会えている。

それも自分の人生の中でも大事な位置を占めていた、彼女のことを祝福できている。

後悔がないと言えばそれは嘘だ。


 でも、それよりも幸せな笑顔で笑う彼女を見られることの方が、何倍も嬉しかった。

チョコとバニラもなにか感極まったのか、気がつくと泣いている。



「なに泣いてんだよ」

「だって〜」



 ジャンボはもうためらわず、二人の頭を撫でた。



「お前らも、きっと幸せになれるよ」

「ジャンボだってそうだよ!」



 二人は涙を拭いながら、ジャンボを見上げた。

もう泣き疲れてジャンボに抱えられながら帰るお子様ではないのだ。



「分かってる。ありがとう」



 こうして彼らの壮絶な一日は終わった。

例のヘアメイクはとっとと退散していたものの、ジャンボたちにちょっとしたお菓子も用意してくれていた。

それを3人でかじりながら家へ帰る。

車を出そうかと新郎が言ったが、3人はなんとなく3人で帰りたかったのだ。


 月がぽっかりと浮かぶ夜道を歩き、ほわほわした気分でトロリーバスを待っていた。






 しかし、今日という一日はまだ終わっていないのだと告げるよう、全速力で駆けてくる誰かの足音が、彼らに迫った。

トロリーバスの停留所、背中に突き立てられたナイフ、ジャンボの頭にあの日の光景が浮かんだ。


 とっさにジャンボはチョコとバニラをかばうように立ち、足音の主の前に立ちはだかった。



「ヒッ!」



 ジャンボの気迫に怯える40代くらいの男性の人影。

遅れてチョコとバニラも振り返る。

その瞬間、チョコと男性の目が合った。



「やっぱり生きてたのか……!」



 男性はチョコを知らない名前で呼んだ。


 ジャンボは驚き、後ろに庇ったチョコを見た。

バニラも同じく隣のチョコを見た。

しかし、当の本人は誰の目も見てないような虚ろな視線を泳がせて、ちょうどやってきたトロリーバスに駆け込んでしまった。



「チョコ!」



 バニラもすぐにその後を追い、閉まりかけのトロリーバスに飛び乗る。

本当はジャンボもチョコを追いたかった。

けれど、もうこの期を逃したらきっと、二度とチョコの真相に近づけなくなる。


 少し指先が震えた。

ジャンボは拳をぎゅっと握り、動揺する男性に話しかける。



「あなたはあの子を……知っているんですか」



 男性の服は正装で、彼も結婚式の招待客であるようだった。

こんな偶然があるだろうか。

心臓だけが大きな音をたてて、ドクンと鳴った。



「私はあの子の叔父なんです」



 トロリーバスの中では、チョコはうつむいて一言も話さずかたまっていた。

バニラはその隣に座り、彼に話しかけ続けたが反応はない。

まるで5歳の時、初めて会った時のチョコを見ているようで、バニラは話しかけるのをやめられなかった。


 どうして試練は立て続けに起きるのだろう。

どうして、もう少しだけでも優しく見守ってくれないのだろう。


 ジャンボとバニラは心の中で天に悪態をついた。

「くそったれ」と。

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