第29話

「ジャンボ」



 その瞬間は突然訪れた。

雨音に紛れて消えてしまいそうな声だったが、ジャンボは振り返る。

するとそこにはチョコが立っていた。



「聞きたいことがあるんだ」



 チョコの声は普段の騒がしさとは別人のようで、軽く飛んでいきそうな空虚な声だった。

まるでバニラとは正反対だ。



「……俺も聞きたいことがある」



 ジャンボの声にチョコは頷いた。



「先にどうぞ」



 ジャンボは諦めたような声で、チョコに問いかける。



「その青龍刀はどこで手に入れたんだ」



 大きいエモノは17才のチョコの手に、あまりにもしっくり収まっていた。



「ひろった。って言えば、ジャンボは納得するだろ?あの時みたいに」



 彼と出会った日、南米の武器を振り回していたチョコの姿がよみがえる。



「誰かから奪ったのか」

「いや、これは違うよ。買ったんだ。路地裏の露店で丁度いいのがあったから。

でもマチェーテは違う」



 チョコの目に狂気の光がともるのを見た。



「殺し損ねた紅衛兵から奪ったんだ」



 紅衛兵も、もとは共産党も、ソ連からの支援に大きく頼っていた。

しかし時が経つにつれて流れてくるものは玉石混交になり、あんな変な武器も紅衛兵に渡ったのだろう。

殺したいほど憎い相手の武器を使い、この子は9才まで生き延びていたのか。


 めまいがしそうだが、ジャンボはじっと彼から目をそらさなかった。

いつかこうなる日が来ると分かっていたから。

チョコは青龍刀の切っ先をジャンボに向ける。



「ジャンボも紅衛兵だったの?」

「ああ」



 沈黙を雨音が塗りつぶす。



「どうして腕章をとってあったの」

「忘れないためだ。紅衛兵だった自分を」

「何人殺した?」

「分からない。2〜30人だったと思う」



 チョコは黙った。

もう聞きたいことなどないのだろう。

俺の声など聞きたくもないはずだ。


 けれど、ジャンボはチョコに伝えた。



「学校の仲間にお前の事件のことを確認した。アイツらはイヤイヤ紅衛兵をやってただけで、殺人には関わってなかった。

だから……アイツらは許してやってくれ」

「ふぅん」



 興味もなさげに、チョコは青龍刀を揺らした。



「俺だってそこまで馬鹿じゃないからさ。ジャンボくらいの年代の人は、大体が紅衛兵だったって知ってるよ。

後悔してる人も多いし、なんとも思ってない人もいる。

あの日の犯人のことも思い出したけど、もういいんだ」



 チョコはジャンボに向かって歩き出した。



「アンタ以外は、もういい」



 チョコはジャンボの目の前で大きな刃を体ごと振りかざした。

体重の込められた刃は深く傷をつくって骨を断ち、ジャンボは体の力を失うが、その肩をチョコは掴んで引き上げた。

そして、刃を体に深く突き立て貫いた。

耐え難い痛みと、雨に溶ける血が、ジャンボの意識を奪っていく。

チョコは刃を引き抜き、出血はさらに加速した。


 地面に落ちていくジャンボの顔のそばにしゃがんで、首の真横に青龍刀を突き立てる。



「なにか言い残すことは?」



 一応、義理で聞いてやる、という声だった。

しかし、ジャンボの意識はとっくに朦朧とし、まともな言葉など残せそうもない。



「飯を、ちゃんと、食え……お前は、好き嫌い……ダメだ……」



 チョコは訝しげにジャンボを見下ろした。

ジャンボはギリギリの意識で呟き続ける。



「服は、毎日、洗濯……した方が、いい……風呂も、できる、だけ、入って、お金は……大切に、使え、困ったら、大人に……頼って、いつか、お前たちも…………幸せに…………」



 もう声は出せなくなった。


 ジャンボは目の前にある顔が9才の彼に見えた。

思わずその頬を撫でる。

そして、手は崩れ落ちた。

雨でふやけた地面にしずみ動かなくなった。


 チョコはその横でしゃがんでいた。

雨がずっと二人に降り注いでいた。

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