第35話
チョコとバニラは背筋が凍る思いがした。
ジャンボの後ろにいつもいた死神の正体は、これだったのだ。
「こうやって道ばたで打ち捨てられて死ねたら、それでいいやって思った。倒れた紅衛兵の腕から腕章を抜き取って、大体の持ち物も漁った。
せめてもの弔いに彼は埋めたよ。どこの誰かも知らないけど、ゴミ捨て場で倒れてるよりかはマシだと思った」
ジャンボは乾いた声で続けた。
「俺はその腕章を自分の意思で左腕に巻いた。読めもしない語録を腰のポーチに入れて、広場の集会にも行ってみたよ。
紅衛兵のために飯が配られて、それをモソモソ食ってた。
わりと誰だって紅衛兵を名乗れるようになってたから、俺は幽霊みたいにフラフラそれらしい場所を漂ってたんだ。
所属とかも特にはなかった。名簿の管理もそんなにできてなかったんじゃないかな。
そんな宙ぶらりんな生活を2〜3年続けた。
似たようなやつは俺以外にも結構いて、互いに声をかけあうでもなく、モソモソ飯を食って、紅衛兵のための施設を利用して漠然と過ごしてた。
やっと上の存在に目をつけられたのが、本当に革命運動の末期の頃かな。
「風紀を乱すやつ」として俺らは呼び出されたよ。
やっと道ばたで死ねるかな、なんて思ってただけなんだけどな」
一気に話して、またジャンボは休憩した。
チョコもバニラもすっかり拍子抜けしていた。
紅衛兵という言葉を聞くだけで拒絶反応が出ていたのに、実態はあまりにも空虚だった。
ジャンボはまた話し始める。
「偉い人に活動内容を聞かれて「分かりません」なんて答えた。所属の隊も「分かりません」なもんだから、偉い人も頭抱えてたな。
そこで初めて名簿を渡されて「名前と拇印を押して、この隊に行くように」って指示された。
その時に……別に大きな意味はなかったんだけど柏じゃなくて、白って書いたんだ。
これまでの自分もこれからの自分も、イヤだったのかもしれないな」
特に辛そうでもなくさらりと言った。
チョコとバニラはどこかで期待していた。「このまま話が終わってくれないかな」と。
でもジャンボは、嘘でないのならこの後、人を殺すのだ。
とても信じられない気持ちだった。
「ようやくそれらしい活動に加えられてしまって、俺は隊で行動するようになった。
俺たちが向かったのは他民族も入り混じるくらいの地域だった。酷かったよ。金銭なんて機能してない。
「飲み物取ってきてくれ」って言われたら、近くの店の棚からとってそのまま出て手渡した。
店主もなにも言わずにじっとしてただけでな。
でもこんなのも甘い方かな。もっといくらでも最悪な略奪や強盗がそこら中で起きてたから」
シーンと病室は静まり返る。
淡々と話す声が余計に恐ろしかった。
そしてついに、ジャンボの話はあの日へ辿り着く。
「野営する時もたまにはあったけど、ほとんどはその場の民家を奪ってたんだ。俺たちの隊も例にならって、住民を追い出そうとしてたよ。
俺はなんにも感じなかった。
目の前で泣いてる子供を何人も見たのに、なにも思わなかった。
そして……あの民家も隊は取り上げようとしたんだ」
それまで淡々としていた声に苦悩が混じる。
「三人家族だった。夫はすぐに放り出された。
奥さんと娘さんがいた。放り出すもんだと思ってた。
でも、奥さんも娘さんも美人の部類に入るんだろうな。
隊長が気に入ったらしかった。
他の奴らの顔が一瞬で変わっていくのも見た。
単純に俺は理解できなかったんだ。旦那はドアの外で叫んでた。
隊長が二人の服を奪って笑ってたんだよ。
「今日はツイてるな」なんて笑ってた」
チョコは頭を抱えてうずくまった。
あの目をチョコも見たのだろう。
ジャンボはチョコを悲しげに見ながら言った。
「俺は隊長と娘さんたちの間に入り込んだ。
「この行動の大義はなんですか?」と聞いた。
俺だって相当イカれてたのに、正気に戻るくらい、目の前の光景が悲惨だったんだ。
隊長は一瞬だけ気まずそうにしたけど、すぐに表情を戻した。
「名前はなんだ?」と聞かれて答えると「落ちこぼれの奴らか」と笑われたよ。
まぁ、それについては自覚はあったけど、今、目の前で起きていることに俺は説明を求めた。
「アナタ方は字が読めるはずだ。語録に女性を貶めていいと書いてあったのですか」と確か聞いた。
……それが決め手かもしれない。
「もしかしてお前、京劇学校の江柏か?」と言われた。
心臓が止まるかと思うほどゾクリとした」
あの日、女性を庇うように立つジャンボを、隊員たちは嘲笑った。
「そりゃあ京劇になんてかまけてちゃ女性経験もないだろうなぁ。今日が格好の日だろ?なんの問題があるんだ」
「どうして俺が京劇の学校の生徒だと……」
うろたえるジャンボに隊長は馬鹿にするように笑った。
「知らないのか?最近お前らの学校の先生は自殺したんだ。それもお前らの通ってた校舎の中で!
名簿はほとんど残ってなかったけど、何人かは情報が回ってきた。
時代遅れの劇団員の江柏君は、やっぱり京劇の仲間が恋しいか?」
答え次第でジャンボは切り捨てられて、路肩に放置されただろう。それを望んで巻いた腕章だった。
それなのにジャンボは、頭からストンと正気が抜け落ちてしまった。
背中に携帯してた大ぶりの剣を抜くのと同時に、隊長の手首を切り落とした。
次の行動をとる前に首を落とした。
一瞬の出来事に対応できなかった奴らも全員切り裂いた。
叫びながら逃げていく背中目がけて、剣を投げつけ突き刺した。
室内にいた数人は全て、血の海に倒れて動かなくなった。
ジャンボは額をおさえて、無意識にイスに腰掛ける。
「あの……」
怯えながら娘を抱えた母親が、ジャンボに声をかけた。
ジャンボは視線を向けず、言い放つ。
「逃げてください。これ以上は面倒みれない」
虚ろな声だった。
母娘はすぐに服をまとって、裏口から走っていった。
夫と合流できただろうか、なんてふと思っていると、騒ぎを聞き付けた他の隊員が民家に入ってきた。
「何が……あったんだ……」
遺体の山の中央で、丸腰のままイスに腰かけるジャンボを戸惑いの目で見つめる。
ジャンボはゆらりと立ち上がった。
武器を構えようとした次の瞬間には、隊員の手はなかった。
叫ぼうとしたら頭がなかった。
ジャンボは拾った刃物を次々変えていく。
人の血と脂がついた刃はどんどん切れ味が落ちてしまう。
やはり駆けつけた一群も全員殺した。
銃を持っている者もいたが、動作はあまりにも鈍い。
頭の上を飛び越えて、背中から心臓を刺した。
そのまま、外で炊き出しを行っていた隊の方へも向かう。
「江白!ちょうど飯ができたから呼ぼうかと……」
笑顔で呼んだ隊員は血まみれのジャンボを見て、表情を変える。
次の瞬間には胴体と頭が離れていた。
ジャンボが通った道には、全て遺体だけが転がっていた。
「全員殺した。たぶん2〜30人だったと思う」
チョコもバニラも凍りついた。
その声に罪悪感もなにも感じなかったから。
まるで別の世界の話を聞いているようだった。
「全員殺して、ふっと気がついたら息が上がってて、手を見たら真っ赤だった。
腹も3発くらい撃たれてたし、なにか刃物も刺されてたな。
全然気が付かなくてさ。
気がついたら突然、体の力が抜けたんだ。その場に崩れ落ちた」
ジャンボの目は遠く虚ろにあの日を見る。
「うつ伏せに倒れてさ。あ、俺死ぬんだーって思った。
紅衛兵の一人として、名前も分からないような雑兵として死ぬんだろうなーって。
もう目なんかも見えなくて風の音が聞こえた。
本当に悲しくも嬉しくもなくて、そうかーって思っただけだったんだ。
そこからは途切れ途切れだけど、人の声が聞こえて、自分の体が運ばれてるみたいで、埋めてもらえるのかな?なんて、ずっと他人事のように思ってた。
……もう京劇のこと考えなくていいんだーって思った」
ジャンボは暗い顔で笑った。
「でも……生き残っちまったんだよな。
逃げろって言ったのにあの母娘が村の人と一緒になって、ずっと高台から俺を見てたんだってさ。
「映画みたい」なんて誰かが言ったって。
山の奥の方に誰にも見つからないよう建てられた小屋があって、病院ごと引っ越して来たのかって感じの設備があってさ。
よく分からない管まみれになって生きてた。
目が覚めたのを知ってあの母娘が訪ねてきたんだ。お礼が言いたいとか言って。
断ったよ、でも深い意味はないだろうけど娘さんに首に抱きつかれた。
その瞬間、あの日の光景が蘇ったんだ。
動かないはずの体が勝手に起き上がって、娘さんをはね飛ばした。
そうしたら機械がピーピー言い出すし、管は抜けるし、俺はまた倒れるし。
……もうなー。全部限界だったんだよ。
次に目が覚めたら手紙が置いてあって「アナタの幸せを祈ります」って書いてあった。
幸せなんてさ、もう過去にしかなかった。
あの学校で過ごした日々が俺の全てだった。
道ばたで誰にも知られずに死にたかったなーなんて、思ったら突然、殺したアイツらの声が聞こえた。
「簡単に死ねると思うなよ」って」
泣きも悲しみもせず、当たり前のようにジャンボは言った。
「そりゃそうか。俺は生きる権利も死ぬ権利も棄てたんだな、と。納得した。
これで話は終わりだ」
独白が終わり、ジャンボは長くまぶたを閉じた。
体力をかなり使ったのだろう。呼吸は浅くなっていた。
「そんな大切なこと、もっと早くに教えて欲しかった」
チョコはうつむきながら言った。
「確かにな」とジャンボも静かに答えた。
「今のお前らには俺がなにに見える?」
ジャンボは二人に問いかける。
「大量殺人犯か?革命運動の犠牲者か?母娘を救ったヒーローか?」
長い長い沈黙が続いた。
だからこんな話を聞かせる前に死んでおけばよかったのだと、ジャンボは思った。
しかし、しばらくして二人は、ほぼ同時に口を開いた。
「ジャンボはジャンボだよ」
「親だし師匠だけど、やっぱりただのジャンボだよ」
二人は自分たちの言葉にうんうんと頷いた。
なにかにカテゴリー分けなんてしなくとも、ジャンボは一人の人間として、自分たちと生きた家族だ。そう二人は結論した。
「ずっと親とか家族とかジャンボは気にしてるけどさ。フツーの親ならぶった切られて刺されたら怒ると思うよ」
チョコは薄く笑って言った。
「今からでも俺、出頭するよ」
ジャンボは青ざめて無理に起き上がろうとした。
今聞いた話の通りだ。
管は抜け、計器はピーピー鳴り、ジャンボは意識が混濁する。
看護師が飛んできてジャンボを叱ったが、彼はチョコの事だけを見ていた。
「頼むからやめてくれ」
その声は確かにチョコに届いた。
けれど、チョコはあまり表情をかえずに病室の外に出てしまう。
「チョコ!」
「江白さん動かないで!」
暴れるジャンボは取り押さえられて、なにかの注射で意識を奪われていった。
またこの腕は彼に届かない。
集まった看護師に押さえつけられたまま、ジャンボはぐったりと倒れ込む。
無力感だけを感じて、意識は途切れてしまった。
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