第40話 新しい日常
早朝、安城朝日は安城仮次と共に殺し屋の組織を訪ねていた。
『裏路地』のような大規模な組織ではないがなぜか情報通が集まるため仕事も集まり、今日まで存続している。
雑居ビルの地下階に降り鋼鉄製のドアを仮次がノックする。
数秒の沈黙の後扉の上部に付けられている小窓が開き、青い目が2人を見る。
「......誰だ」
「さて、誰だと思う?」
仮次はそう言うと懐から名刺のような紙切れを取り出して扉の奥にいる男(少なくとも声は男性のものだった)に見せる。
「......」
小窓が閉まる。
朝日は横目で仮次を睨み眉を顰める。
「わかったわかった」
再びドアをノックすると今度は間髪入れず小窓が開く。
「......」
小窓から覗く青い目が何か言いたそうに二人を見る。
「安城仮次だ」
「......名家の次男が何の用だ」
「裏路地と安城家の情報網に引っかからない情報が欲しくてな」
青い目が朝日の方に向く。
「......そいつは誰だ」
「娘です」
朝日がそう言うと小窓が閉まり、重いドアがゆっくりと少しだけ開かれる。
「......寄越せ」
ほっそりとした血色の無い指がドアの隙間から伸びる。
朝日には青白い2匹の蛇が暗闇の中に浮かんでいるように見えた。
仮次が無言で差し出した紙切れを指がひったくると勢いよくドアが閉まる。
「ちょっと......!大丈夫なんですか」
「いや、これでいいはずだ」
ガチャガチャガチャン!と大きな金属音が響いた後、ゆっくりとドアが開く。
「入れ」
2人が中に入ると背後でドアが大きな音を立てて閉まる。
中はバーのようになっていて右奥のカウンターの他は二人掛けのテーブルが4つほどあり、扉がカウンターの奥に1つ、その他に2つある。
2人がカウンターの席に座るとバーテンダーが前に立つ。
「いらっしゃい」
「情報が欲しい」
鞄を隣の椅子に置いた仮次は折りたたんだ紙片をテーブルに滑らせる。
「その場所と時間に仕事をした奴を探している」
バーテンダーは紙片を開くともう片方の手で携帯端末を操作する。
「生憎こっちには情報はないが、この地区ならもしかすると...」
顎で2人の後ろを指す。
2人が振り向くと小太りの男がノートパソコンに向かっている後姿が見えた。
「あいつなら知ってるかもな」
「そうか」
紙片を受け取り代わりに紙幣の束を円筒状に巻いたものを握らせる。
「おいおい。相場の十倍はあるぜ」
「いい。受け取っておけ」
バーテンダーは周囲を窺ってから金を懐にしまう。
「受け取っておいて何だがあいつが知ってる確信はないぞ」
「わかってる」
仮次は朝日の肩を軽く叩くと1人で席を立つ。
「嬢ちゃんは何か飲むかい」
「水かお茶をもらえますか」
「アイスコーヒーでよければ。
しかし気前のいい兄ちゃんだな」
「もしかしてあの人を知らないの」
「俺は最近入ったバイトでね。
門番の男は知ってたみたいだけど有名人かい?
ミルクとガムシロは?」
「両方お願いします」
「ここ空いてるか」
「あ?」
仮次は返事を待たずに小太りの男の向かいの椅子に座る。
「おい!まだいいとは言ってねえぞ」
「あんた、名前は」
「藪、と呼ばれてる。あんたは安城仮次だな」
「へぇ......」
「で、何の用だ」
ノートパソコンを閉じた男はにやけ面を隠さずにストローでアイスコーヒーを啜る。
「どうやら急いでるみたいだが」
「チッ。この仕事をした奴を探している」
藪は仮次から渡された紙片を見る。
「何々......
で、なんでこれを知りたいんだ?」
「情報を買うのはこっちだ。で、知ってるのか」
「さぁて......」
グラスの底に残った液体を啜るズズッという音が響く。
「?ああ、急いでるんだったかな?」
「白々しい......」
携帯端末を操作し電卓機能を起動する。
「これでどうだ」
金額が表示された画面を見せると、藪は無言で画面の「0」を2回タップする。
「お前......」
青筋を立てた仮次を見てむしろ機嫌がよくなった藪は残った氷を口に含みかみ砕く。
「流石にそんな金は無い」
「そうかい。
おいバーテン!おかわりだ!」
「あいよ」
大声でおかわりを注文した薮はノートパソコンを開く。
「で、いつまでそこに座ってんだ?さっさと帰りな」
仮次は立ち上がる。
アイスコーヒーを持ったバーテンダーが近づいてくる。
「そうだな。じゃあ、」
アイスコーヒーをバーテンダーの手から取り上げ、藪の頭上に放り投げる。
「0円で買わせてもらおう」
「な......」
薮の視線が頭上に向いた瞬間、さっきまで座っていた椅子を蹴り上げて椅子の足を掴み横薙ぎに振る。
座面のクッション部分が上を向いた薮の顎を打ち抜き、薮はノートパソコンのキーボードに突っ伏すように倒れる。
グラスが薮の後頭部に着地しその周りにアイスコーヒーと氷が降り注ぐ。
「なっ!」
バーテンダーが懐に入れた腕を仮次が掴んで引っ張る。
バーテンダーの手には赤いボタンが握られていた。
「何だ警報装置か。紛らわしい」
「ヒ、ヒィ〜!た、助けてくれ!」
ボタンを手放しカウンターの陰に走って隠れるバーテンダー。
「朝日!」
仮次が投げた藪のノートパソコンを受け止める朝日。
「データをぶっこ抜いておけ!」
「う、後ろ!」
仮次が振り返ると細く青白い手が仮次の顔面に迫っていた。
「フッ!」
右手にいつの間にか握られたナイフを投げながら後ろに跳ぶ。
「......安城......仮次......」
門番をしていた男の右手から仮次が投げたナイフが次々と落ちる。
「やはりお前か、皮剥ぎジュドゥー」
そう言う仮次が着ていたワイシャツの胸元が裂け、肌着に血が滲む。
ワイシャツの裂けている部分を広げると、肌着の一部も裂けているのが分かる。
「裂け目は作った......そこからゆっくり剥いでやる......」
男は爪についた血を振り払う。
「やってみろ」
左手にナイフ、右手にワイヤーを握りジュドゥーを迎え撃つ仮次。
朝日はカウンターに受け取ったノートパソコンを置き、右太もものベルトからナイフの柄のようなものを取り出す。
「ラティーマ、起動」
『ラティーマ、起動しました』
朝日の手に握られた機械から音声が発せられる。
「ラティーマ、このパソコンのすべての情報を抜き出して安城家のサーバーに送信して」
『了解』
朝日がパソコンの端子にラティーマを押し当てると、ナイフであれば刃が付いているであろう位置の蓋が開き中から昆虫の足のような部品が伸びて端子の中に入り込む。
「あ、あんた何を、」
「動かないで」
カウンターの陰から目だけを出したバーテンダーを右手に持ったナイフで威嚇する。
「ヒイッ!か、勘弁してくれ......」
『侵入成功。データコピー完了まであと3分程です。
再生時間が3分程の陽気な音楽を検索しますか?』
「そこから動かなければ手出しはしません」
「そ、そうか」
朝日に無視されたラティーマは一瞬立体映像モジュールを起動し『( ̄3 ̄)』と顔文字を表示する。
そんなやりとりをする数メートル背後ではジュドゥーと呼ばれた男の攻撃を仮次が凌いでいた。
「くっ」
「どうした......動きが鈍いぞ......」
膝より下まで伸びた長い腕、その腕がしなり上下左右から襲いかかる。
よく研がれた爪が衣服だけでなく皮膚、時には肉を容赦なく剥ぎ取り削ぎ落としていく。
「おらっ!」
苦し紛れに投げたナイフをジュドゥーは軽々と避ける。
「距離が近い......投げナイフは当たらない......」
「普通は避けられないんだが、じゃあこれならどうだ」
ワイヤーが握られた右手を引くと、投げたナイフに付けていたワイヤー同士が絡まりジュドゥーを捕らえようと背後から襲いかかる。
「無駄だ......」
ジュドゥーはそれを無視して仮次に接近する。
胴体が触れる直前まで接近したジュドゥーは爪を仮次の眉間に押し当てる。
「自分ごと拘束するか......?
だが......俺ならそれより早くお前の顔を剥ぐ」
仮次の眉間から血が垂れ落ちる。
「クックックッ......」
「?何だ......」
絶体絶命の状態で笑う仮次を訝しげに睨むジュドゥー。
「お前でも気付けないか。自信になったよ」
「......これ......は......」
ジュドゥーは膝を付くと横倒しになる。
「痛つつ......余裕かまし過ぎたか」
ボロボロになったワイシャツを脱ぎ捨てて鞄から取り出したワイシャツを着直すがあちこちに赤い染みが浮き上がる。
「朝日、終わったか」
「もう少しです。ラティーマ?」
『データ抽出は今終わりました。
送信を開始しています』
「そうか」
そう言ったと思うとノートパソコンに投げナイフが4本突き刺さる。
「よし。手筈通り朝日は撤収していい。」
「分かりました。と、父さん」
ラティーマを手にバーを出ていく朝日をじっくり見送る仮次に声がかかった。
「その、私はどうすれば......」
声の主は勿論カウンターの陰に隠れたバーテンダー。
「ああ。あんたバイトだろ。早く逃げな」
「は、はい〜!」
「あ、ちょっと待ってくれ」
逃げようとするバーテンダーを呼び止める。
「これは警報装置か?」
「は、はい!押したら周囲の店から警備が集合し、」
バーテンダーの言葉を最後まで聞かずにボタンを押す仮次。
「な、何故......?」
「ん?逃げるんだろ。ほら早く」
混乱したバーテンダーは転びそうになりながら店を出る。
仮次は鞄から取り出した小型のヘッドセットを耳に取り付けると電源を付ける。
「こちら仮次。
警報装置があったから押したぞ。これで他の施設が多少手薄になる筈だ」
『こちら本部。
了解しました。それでは機を見て他の施設も突入、破壊を開始しますので仮次さんもすぐ脱出、帰還して下さい。』
「足止めはしないで良いのか」
『組織を破壊した後、警備として雇っていた殺し屋の一部はこちらで雇う予定らしいですから』
「了解」
鞄を持って店を出る。地上に出る前に不審に思われないよう、血まみれのワイシャツを上に着た作業着で隠す。
ビルの前に停まっていたタクシーに乗り込む。
仮次が何か言う前にタクシーはすぐ発車する。
運転手はバックミラー越しに仮次に会釈する。
「お疲れ様です、仮次さん。本部へお送りします」
「頼む。
ああ、車内を汚したらすまんな」
「いいえ。本部で医務班と一緒に清掃班が待機していますのでご安心を」
「そうか」
安心した仮次は滲む血を気にして起こしていた上体を座席の背もたれに沈ませる。
「着いたら起こしてくれ」
安城家での安城仮次と安城朝日の戦いから2週間経っていた。
怪我が治った2人は安城家と裏路地の情報網に頼り切りではいられないと判断し、仕事や訓練の傍ら朝日の両親が殺された事件の情報収集に勤しんでいた。
今回はその情報収集を兼ねて裏路地への情報提供を拒んだ中小組織への制裁(という名の襲撃)任務を受けていたのだった。
「早く終わったから訓練校に行けるかな」
朝日は仮次のことを「父さん」と呼ぶことに慣れ始めていた。
人間は慣れる生き物だといういい証左でもあったが、同時に悲しさでもあった。
兎に角今は復讐相手を見つけることと復讐する力を付けることが肝心だということもわかっているが復讐相手が見つからないと目標が明確でないためモチベーションが最高潮まで上がらないのも朝日は自覚している。
複雑な心境だが足は訓練校に止まることなく向かっている。
最高潮でないだけで普通の人間ならあり得ないレベルのモチベーションが彼女を支えているのを一番自覚していないのは彼女自身であった。
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