第31話 夏季休暇 その2

朝日達の乗った車は細い路地の入口に止まる。

「箱田と最上は二人で護衛対象を引っ張ってこい。

 箱田。後部座席の扉は開けたままにしておけ。

 お嬢は待機だ。」

運転席の山尾が振り返って言う。

「しかし、」

腰を浮かせた朝日を手で制す山尾。

箱田と最上は車から降りて路地に入っていく。

「楽をさせようとしているわけじゃない。

 万が一護衛対象が一人で路地から出てきたら、護衛役は運転手の俺を含めて二人だ。」

朝日がおとなしく後部座席に座り直したのを見て前を向く。

「万が一だからそうはならないと思うけどな。

 飲み物でも飲んでリラックスしておくか?」

「いえ、大丈夫です」

朝日の沈んだ小さな声はイヤホンを通すことでよく聞こえた。

「まあそう言わず」

振り返った後部座席には誰も座っていなかった。

頭を掻きむしり、イヤホンに手を当てる。

「お嬢がそっちに行った。俺は運転席から離れられない。そっちでカバーしてくれ」

実戦ができるとチャンスかと思いきやそれを不意にされて黙っているほど、朝日は我慢強くなかった。


「......」

朝日が細い路地を抜けるとそこは公園のような広場があったが、へし折られた街路樹や壊れたベンチ、割れたガラスがところどころに散乱していて戦場の様相を呈している。

「お嬢!早く車に!」

広場の奥から男性を背負った最上が走ってくる。

「箱田さんは!?」

「別ルートで脱出した!」

最上と一緒に広場から抜けるために踵を返そうとした瞬間、最上の後ろに人影が見えた。

「!」

太もものベルトからナイフを取り、投げようとするが振りかぶった状態で体が硬直する。

その隙に人影は手に持った番傘を横薙ぎに振る。

「ぐあぁっ!」

最上に背負われた男が悲鳴を上げる。

「っ!」

反射的に朝日が投げたナイフは広げた番傘に阻まれる。

「最上さん!先に行ってください!」

筋肉がついたとはいえ朝日に成人男性を背負って走れない以上、足止めするのは朝日の役割になる。

「くっ。

 お嬢!5分持たせろ」

最上を追おうとする人影の行手を遮る。

やるとなった以上、さっきのようなためらいは朝日には無くなっていた。

ナイフを逆手に持ち腰を落とす。

「チッ。邪魔すんな」

土煙が晴れると人影がぱっと見よりも小さいのがわかった。

手にする番傘の大きさと相まってさらに小さく見える。

黒いフードの奥から聞こえる男、といより少年の声はその背丈から想像するより若い。

「退け」

少年は手にした番傘を横薙ぎに振る。

避けきれないと直感した朝日は右腕でガードするがガードした腕ごと薙ぎ払われる。

「ぐっ

 お、重....!?」

地面に横倒しになる朝日だがやられるばかりではなく、少年もその場に膝をつき最上を追いかけることができないでいる。

「て、テメェ...!」

少年は太ももに刺さったナイフを抜く。

番傘が当たる直前、朝日は左手に持っていたナイフを少年の足めがけて投擲していた。

少年が動きを止めている隙に立ちあがろうと手をつくが脇腹の痛みに腕の力が抜けて仰向けに転がる。

「痛っ......!」

その隙を見逃す相手ではない。

朝日の顔目掛けて番傘を叩きつける。

番傘が地面を割り、すんでのところで転がって避けた朝日が投げたナイフが瓦礫に阻まれる。

(ただの番傘じゃない。金属製、いやもっと......)

体勢を立て直し、太もものベルトに触れてワイヤーを巻き取り投げたナイフを回収する。

先程は不覚を取ったが足を負傷した相手ならば先手は譲らない。

「しっ!」

両手に持った8本のナイフを一度に投擲する。

少年は広げた番傘を高速で回しその影に隠れる。

(しめた!)

番傘を目掛けてダッシュで近付く。

番傘の陰にいる少年からは朝日の姿が見えないはずだ。

瓦礫を踏み台にして番傘を飛び越え、前方宙返りをしながら空中でナイフを構える。

頭が下を向いた状態で番傘の陰に隠れた少年目掛けてナイフを投げようとするが少年の姿がない。

「甘ぇよメスガキ」

後ろから少年の声がしたと思った時には今度こそガードされていない脇腹に衝撃が発生する。

「かはっ......!」

固定された番傘で相手が視界に入らなくなるのは朝日も少年も同じ。

しかしそれを仕掛けたのは少年の側。朝日が後手を踏むのは当然と言えた。

痛みに耐えながらなんとか両足で着地した朝日は右脇を庇いながらも左足で蹴りを放つ。

もちろんつま先や踵が命中した時には仕込まれたナイフが飛び出る。

しかしその蹴りは少年が手にしている、おそらく番傘と同じく金属製であるだろう折り畳み傘に弾かれる。

苦し紛れに投げたナイフは少し体を傾けるだけで避けられ、さらに少年はナイフが通り過ぎた軌道を折り畳み傘を振り抜く。

「ケッ。メスガキの癖に古くせぇ技を使うじゃねえか」

太もものベルトを触ってワイヤーを巻き取ってもナイフは戻ってこない。

「......そっちは鋼鉄製の傘?ずいぶん変な武器ね」

時間を稼ぎながら懐のナイフを数える。

残り15本。

「これでも百年以上ある由緒正しい武器だ」

「じゃあそっちの技術の方が古臭いじゃない」

返事の代わりに伸びた折り畳み傘が横薙ぎに振られ、バックステップで避けながらナイフを2本投げる。

「うぜぇぞ!」

縮めた折り畳み傘で叩き落とされワイヤーを切断されるが、朝日はその隙に瓦礫の影に隠れる。

「ああ!?」

ナイフを投げ、また別の瓦礫に隠れる。

「クソッ!」

少年が番傘を取りに行かないようちまちまとナイフを投げる。

脇腹の痛みからして、折り畳み傘は金属製とはいえ番傘よりは軽い。

広げた状態で地面に固定された番傘になんとか辿り着いた頃にはナイフの残弾は2本だけになっていた。

「おい!俺の傘から離れろ!」

近付いてくる少年に苦し紛れに残りのナイフを投げ、番傘を手に取る。

「ぐ、ぐううううう......!」

数ヶ月前には両手でも持って浮かせることもできなかっただろうが、なんとか片手で持ち上げて両手で肩に担ぐことができた。

「そぅ......れっ!」

最上が逃げたのとは逆方向に番傘を投げ飛ばす。

ガシャーン!という大きな音がする。

「じゃあね」

正直、自分に勝てる相手にも思えたが、投げナイフを回収するからくりが知られている以上これ以上の戦闘は難しい。

路地に逃げ込もうとした朝日はしかし少年の折り畳み傘に行手を遮られる。

「待ちな」

「何?大事な武器を取りに行けば?」

「仕事をほっぽり出して自分の道具を取りに行くと思うか」

箱田から渡された、ナイフの柄型のテーザーガンを握る。

相手を逆上させて距離を詰めさせて1m以内に誘い込む作戦は成功した。

「どちらにしろ仕事は失敗ね。」

テーザーガンを少年の方を向け、強く握る。

ナイフの刃があるべき部分の蓋がパン!と大きな音を立てて外れる。

「あ?」

少年のポカンとした顔はしかしすぐ苦痛に歪むことになった。

テーザーガンの開口部から一瞬光が迸る。

「アガッ!?」

朝日はしかし、光にも倒れた少年にも気を割くことができなかった。

朝日の耳には今まで聞いたことのない繊細な女性の声が響いていた。

『マスター。初めまして。標準戦闘用AI、ラティーマです。

 緊急時と判断しましたのでテーザーガンモードで起動しました。』

「こ、これは?」

急いで周りを見渡して声の主を探すが誰もいない。

『周囲を探索。3m西からアンノウンが接近。音声から安城家所属の殺し屋、最上氏と思われます。』

半ばわかっていたが声の主は朝日の手の中にあった。

「あなたは?」

『先ほども申しましたが、標準戦闘用AI、ラティーマです。』

シュルシュルという音と共に先程外れた金属製の蓋がテーザーガンに戻っていき、パチリと嵌って元に戻る。

『私はある方の依頼で作られ......』

「お嬢!無事ですか!」

「最上さん!」

『マスター?話を.....』

テーザーガンを懐にしまい路地に向かおうとする。

「テ、テメェ......!

 何しやがった......!」

少年が折り畳み傘を杖にして立ち上がっていた。

「こうなりゃお前だけでも......」

反射的に地面に偶然落ちていたナイフを拾い、懐にしまったテーザーガンを握る。

少年が折り畳み傘を広げ、重心を朝日の方に向けた瞬間、その動きが止まる。

「......チッ。今回は見逃してやるよ。」

番傘を投げ飛ばした方に走り去る少年を追う体力は朝日にはなかった。

結局護衛対象の男と同じように最上に背負われて車に戻ることになった。




「弟子に撤退命令を出したぞ。これで良いのか小僧」

通信端末を手に仮次を恨めしそうに見る老人。

「ああ。こちらでも確認した。ご苦労。」

そう言うと背中のナイフを抜きワイヤーを解く。

「しかし、それほどまでに娘が大事か」

「経験を積めるようにお膳立てしたのは俺だからな。責任があるのさ」

「ふん。わしが止めなければあの娘の命はなかっただろうからいい判断だったかもしれんな」

「そんなに強いのか、あんたの孫は」

立ち上がろうとする老人に手を差し伸べる仮次を老人は無視して立ち上がる。

「才能だけで言えばわしの息子以上、いやわしをも超えるだろうな。

 訓練用の重すぎる番傘をビニール傘のように扱う腕力、自作の折り畳み傘に仕込むギミック、どれをとっても天才だ」

仮次は目を見張る。

「そりゃマジか爺さん」

「カッ。楽しみにしておけ」

老人は傘を杖にして歩き出す。

それを見送る仮次が声をかける。

「おいじじい!」

「あ?」

老人が振り返った瞬間、仮次の右手からナイフが放たれ老人の右手の指が地面に落ちる。

「ぐっ!?」

「すっぱり切ったからちゃんとくっつくさ。いや、最近の義肢は性能がいいからむしろ取り替えたらどうだ?」

「こ、小僧!」

「あんたの孫が俺を殺しにくるのが楽しみだ。」

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