第30話 夏季休暇 その1
夏季休暇に入って数日、朝日はほとんど変わらぬ毎日を過ごしていた。
朝起きるとまず安城家本家までランニング、汗を流して朝食を取る。
安城仮次は基本朝食をとらないので朝食は安城家本家で食べることになっている。
席を同じくするのは安城一夜、安城夕子の母娘とたまに当主である安城竹継。
朝食を終えると道場に向かい安城家の部下達に混ざり訓練を行う。
いつもは一時間ほどで切り上げて訓練校に向かうのだが夏季休暇中なので昼食まで訓練を行う。
昼食はさっきまで訓練していた男達と大部屋で摂る。
そして昼休憩の後、引き続き五時まで訓練を行いシャワーを浴びる。
仮次の仕事によるがそのまま安城家で夕食を取ることもあり、そうで無い日は家に帰り仮次と組手を行う。
仮次に傷ひとつつけられず疲労で倒れるまで組み手は続き、目が覚めると夕食を摂り風呂に入って寝る。
一日の半分以上を運動して過ごす朝日だが、疲労や怪我は全くない。
これは若さによる回復の速さや高エネルギーの食事、アドレナリンも原因ではあるものの、そのほとんどが仮次、竹継の手で体内に注入された薬品のはたらきの結果である。
夏季休暇四日目。朝日はいつも通り安城家本家で朝食を取っていた。
その日は珍しく安城仮次も食卓に着いていた。
「今日は朝日ちゃんに仕事の話があってね」
竹継が口を開いたのは食後に熱い緑茶を一口飲んだところだった。
「仕事?」
「詳細は明かせないけど朝日ちゃんに向いてる仕事だ。
もちろん
朝日はちらりと仮次の顔を窺う。
仮次は聞いていないふりをしているのか、手元の湯呑に視線を落したまま動かない。
「でも、今の私の実力では......」
「もちろん難易度は低いし護衛の仕事だ。
それに前回、仕事の見学に行ったときに表のボディーガードと戦って勝ったそうじゃないか。」
「勝ってはいませんが」
「勝ったようなものだと思うけど、どちらにしろ表のボディーガードと互角なら十分戦力になれるよ。
もっとも、今回は戦闘になる確率自体が低いけど。」
「......」
朝日はたっぷり十秒瞼を閉じる。
身内である自分に対して利益のないことは提案しないことはわかっている。
戦闘による死、重篤な怪我、感覚器官の喪失などのデメリットもほぼないだろう。
そして何より......
「わかりました。」
実戦経験という得難い機会を逃すわけにはいかなかった。
1時間後
黒いドレスに身を包んだ朝日は黒いバンの後部座席に座っている。
隣に座るのは安城家には珍しい女性の殺し屋。
OLのようなパンツスーツに身を包んでいるが、よく見ると拳の傷や首に浮き出る血管など一般人でない部分が垣間見れる。
「これが護衛対象ね」
彼女、箱田が渡す書類を見る。
「?これ、顔写真がない......」
それどころか各所が黒塗りになっているが名前は辛うじて見えるようになっている。
「よくあることよ。書面に情報を載せることはできない顧客が多いから......
護衛対象の顔は私たちはわかってるから」
書類の名前欄には『高橋健■郎』と書いてある。
「もうすぐ着くぞ」
運転席に座る大男、山尾も安城家の部下。
「ま、俺らはバックアップ。出番があるとは限らないから気楽にな」
助手席に座るメガネをかけた最上ももちろん安城家の人間である。
車が止まる。
「このポイントで待機する。」
「メイン班との通信は良好」
「装備確認」
三人はそれぞれ袖口に仕込んだナイフや通信機器を確認する。
「朝日ちゃん。耳にこれを」
片方だけのワイヤレスイヤホンが箱田から手渡される。
耳につけるというより耳の中にすっぽり入るようなイヤホンは髪を下ろすと付けているのかわからなくなるほど小さい。
『ザ、ザザ......』
「ん?雑音がひどいぞ。トラブルか」
「いやさっきまで大丈夫だったぞ」
「いやこれは、」
爆音と共に車が揺れる。
「キャッ!?」
朝日は思わず身を竦める。
「最上、お前が余計なこと言うから出番が回ってきたじゃねえか」
山尾がアクセルを踏む。
「出番ってのはつまり稼ぎ時だろ。箱田、後ろのバッグ取ってくれ」
「はいはい。」
箱田はバッグを2つ助手席に手渡すと自分の分のバッグを開ける。
中には大型拳銃や手榴弾が入っている。
「!?わ、わたしは」
「?ああ、朝日ちゃんの分はこれね」
箱田は懐から大きめのナイフの握る部分のようなものを取り出す。
冷たく感じる金属の表面は幾何学的な彫刻が施されている。
「テーザーガンらしいわ。射程は短めで1mだけど針が不要で高威力。ナイフよりよっぽど危険で役に立つわよ」
「で、でも三人は銃を!」
「あなたは銃を持つにはまだ早い」
朝日に押しつけると銃を確認し懐に仕舞う。
「でも」
「お嬢!捕まっときな。」
車のスピードが上がる。
舞い上がる土煙を黒い何かが斬り裂き仮次の肩を掠める。
「っ!
おい。高橋氏を連れて先に行け!」
安城家の部下が壮年の男、高橋健次郎に肩を貸して走り曲がり角を曲がる。
踵を返した仮次がナイフを構えると共に、土煙に何箇所も穴が開く。
「くっ、はっ」
土煙に穴が空いた箇所から飛び出す槍の先端のようなものを弾くが、次々と繰り出される刺突に対応しきれなくなり後ろに跳びながら苦し紛れにナイフを投擲する。
「いい加減に引退しろジジイ!」
十分距離を取ったと判断し、両手に握った十本のナイフを投擲する。
「つれねえなあ」
砂煙が完全にはれた先に立つのはタキシードを着て黒い傘を差した老人だった。
「腕が鈍ったな坊主」
70歳程の外見でありながら30歳のような口調の老人はゆっくりと距離を詰める。
それには応えずナイフを一本投げる。
「っと」
広げた傘を回してナイフを弾く。
その隙に大きな瓦礫に隠れた仮次は一息つくが気配を感じて前に転がる。
立ち上がり両手のナイフを投げるが傘を広げるまでもなく避けられ、ナイフは老人の背後に飛んでいく。
「遅い遅い。どうやら引退するのはお前さんのようだな」
「......」
「カッ。反論する気概もないと見える」
項垂れて血が垂れる脇腹を抑えた仮次を見下ろす老人は傘を上段に構える。
「引退を誓い許しを請え!」
仮次が顔を上げる。
「老いたな」
仮次が投げていたナイフは一対になっていて互いを繋ぐようにワイヤーが取り付けられていた。
ナイフとナイフの間にある物体、この場合は老人に引っかかったワイヤーは物体を中心として円を描く。
上に跳んでワイヤーから逃れようとするが逃れる先を目掛けてナイフを投擲されて老人は動けない。
ワイヤーに巻きつかれて動けなくなった老人の背中に、仕上げのようにナイフが突き刺さる。
「ぐっ...こ、小僧...」
「小僧か坊主かはっきりしな。」
服の砂埃を落としてゆっくりと近づく。
「で、引退を誓って許しを請うか?」
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