第21話 合宿所 早朝
学校から家に帰って自分の部屋に行き、宿題をしながら母親の帰りを待つ。
時計の長針が一回りしたところで扉を開く音がして部屋から飛び出す。
「ママ!」
玄関で靴を脱いでスリッパに履き替えている母親の胸に飛び込み、顔を見上げる。
「......」
安城朝日は合宿所の大部屋で目を覚ます。
隣の布団で寝ていたはずの友人、西東恵の腕を首から外し起こさないように布団から脱出する。
代わりとばかりに近くにあった朝日の枕を抱きしめ眠り続ける恵をよそに着替えて外に出る。
時間は朝6時。ほぼ夏とはいえまだ明るくなり始めた時間だ。
合宿はすでに三日目に突入していた。
初日のプールでの訓練後、他の生徒たちのほとんどが筋肉痛で苦しむ中、朝日はそれを感じることはなかったため早朝の自主訓練を継続することができている。
念入りなストレッチの後、ジョギング、ランニングを開始する。
筋肉の負担を強化するため場所は誰もいない砂浜を選んだ。
おそらく、いや間違いなく現役の殺し屋であろう男女に何度かすれ違ったり追い越されたりする。
走りながら会釈をすると、無表情かにこやかに笑いながらかはあるが全員が挨拶を返してくるのはリゾート地にいる余裕か、それとも殺し屋の人格形成によるものか。
シャワーでさっと汗を流した後、着替えて小さい荷物を持ちもう一度海辺へ向かう。
砂浜はよく整備されていてごみはどこにもないが、二日目の朝で朝日はすでに大きな流木を見つけていた。
流木を砂浜に突き刺し、地表に1mほど流木が出ているようにすると流木から5mほど距離をとる。
流木に向き直った朝日は少し膝を曲げ、太もものベルトに手を伸ばす。
深呼吸をした朝日はベルトから投擲用に作られた細身のナイフを一本抜き取る。
「ふっ!」
小さく息を吐きながら右手から投擲されたナイフは流木の真ん中に勢いよく突き刺さる。
「よし...!」
続けて左手で投擲したナイフは流木の真ん中より下に刺さるが利き手である右手で投げたナイフと比べて刺さりが甘い。
それを確認した朝日はベルトから次々ナイフを抜き取っては投擲する。
「...はぁ...はぁ...」
左右それぞれ十本ずつ、合計二十本のナイフを投げ切った朝日は肩で荒い息をする。
そして流木に刺さったり砂浜に落ちたナイフを回収し、投げる。
それを何度も繰り返し汗を拭うタオルに重さを感じ始めた時、気配を感じた朝日は後ろを振り返る。
「ジャパンのクノイチは朝から元気に遊ぶのが流行りなのかい」
金髪碧眼でありながら流暢な日本語を話すその男は短パンの水着に派手な赤いアロハシャツを羽織っている。
顔立ちや体格は完全にヨーロッパ人のそれで静かな眼差しや身のこなし、腕の筋肉から腕のいい殺し屋である......と現役の殺し屋ならわかっただろうが、朝日の目ではまだわからなかった。
「っはぁ...遊びでは...ありません」
胸に手を当てて荒い呼吸を整える。
「ああ、すまないネ。ジャパンの女性は年がわかりにくいから」
「いえ。それよりあなたは?」
「ジャパンで大きな仕事が終わったからこの島で数日バカンスしようと思ってネ。
早起きして散歩していたらオモチャで遊ぶ子供がいたから気になった」
「そうですか」
では、と言って再び流木に向き直りナイフを構える。
「回転数が悪い」
「えっ?」
ナイフを投げようとした動作が止まり、手から零れ落ちたナイフが足元の砂に刺さる
「一本目のナイフを投げてから二本目のナイフを投げるまでが長すぎる。
投げナイフの本領は無音での暗殺だが君の狙いは違う。
牽制、あるいは面制圧だろう?」
朝日は愕然とした。
「暗殺以外で投げナイフを使用するとすれば自分より強い敵に対する中距離攻撃の手段か。随分と生き急いでいるネ」
「訓練の様子を見ただけでそこまでわかるものですか?」
「一流ならネ」
男は足元に落ちたナイフを拾う。
「ジャパンには下手な鉄砲数撃ちゃあたるという言葉があるらしいが、その言葉の通りさ。
一本借りるよ」
「え、ええ」
男がナイフを持った右手を振りかぶると、腕の筋肉が紅潮し大きく盛り上がるのが見て取れた。
「遊び、いや訓練を邪魔したお詫びにいいものを見せてあげるよ。
本物をね」
男が勢いよく腕を振ると朝日の髪が風でぶわっと吹き上がった。
炭酸のペットボトルを開けた時のようなパシュッとした音とともにナイフが飛んでいき流木に接触、深々と刺さる......
と思ったがナイフは流木を貫通し数メートル向こうの砂浜に刺さる。
大きな穴が開いた流木の上部がバランスを崩して落ち、砂浜に転がる。
唖然とする朝日をよそに男は投げたナイフを回収して戻ってくる。
「ほら、返すよ。
これが格上を殺す投げナイフだ。参考になったかい?」
男は豪快に笑いながら宿泊しているであろうホテルへ歩いて帰っていく。
朝日は礼を言うこともできずその場に立ち尽くす。
「あれが一流......」
超一流の殺し屋に復讐を誓った朝日だったが、殺し屋の実力を改めて思い知ったこの一件は朝日の心に淡い影を落とした。
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