第20話 合宿所 地下
「レイズ」
「くっ、降りだ」
「俺も」
黒いパンツスーツ姿の女性の前にディーラーがチップを寄せる。
「今日の客はイマイチね」
女性がボソッと呟いたのが聞こえたわけではないだろうが、フォールドした客の内一人が席を立つ。
「それなら客相手のゲームをやらなきゃいいのに。
ここの客は貴女のレベルでは退屈でしょう」
本間は座ったまま黒髪をなびかせ振り返る。
「......鯉口美穂!いえ、校長と呼ぶべき?」
「鯉口でも美穂でも校長でも。
それにしても、せっかくカジノなのにスーツ?ディーラーと間違えられない?」
そう言う鯉口は露出は少ないが艶やかな黒いドレスを身に纏っている。
「仕事着から着替えるのが面倒なのよ。
それより座ったら?」
顎で空席を示す。
「いや、いいわ」
鯉口は本間の後ろで柱に体を預け腕を組みゲームの様子を見る。
「で?」
どれほど時間が経ったか、自分の手札を見ながら本間はいらいらとした様子で鯉口に話しかける。
「何が?」
「何が狙いで着替えてまで地下のカジノまで来たの?
上で寝てる生徒達を放ってまで。
賭けをする様子もなければ待ち合わせでもない。
私に会いに来たんでしょう」
鯉口は腕を組んだまま微動だにしない
「......まあいいわ。ほら。あなたたち、早く手を開けなさい」
「......9ハイのブタだ」
「俺は8ハイ」
「俺も8ハイだ。姉ちゃんの一人勝ちだよ」
「そのようね。
10ハイでも勝てるときは勝てる」
悪態をつくほかの客をよそに席を立ちバーカウンターに向かう本間。
「もったいぶるのはあなたの悪癖ね。美穂。」
鯉口は柱から離れ、本間の後ろを音もなくついていく。
「で、何の話?」
場所をカウンター席に変え、注文を終えた後話を促す本間。
「これ以上もったいぶるなら賭けに戻らせてもらうわよ。
高い卓が立つの。」
「今回の合宿のことよ」
本間の前にはカクテルが5種、右に座る鯉口の前には徳利と御猪口が置かれる。
「はいはい。裏路地で一番の保養所であるこの施設のプールと1フロアを貸切る財力があるなんてあなた位よ。よかったわね」
すごいすごい、と本間はあきれた様子でカクテルを次々と空にしていく。
「あなたに頼みがあるの」
その言葉を聞いた本間は突然右手に持ったカクテルグラスをテーブルに叩きつけ、手に残った破片の切り口を鯉口の首元に当てる。
「あら、反応できなかった?
気付いてると思ったけど、カジノフロアに入った瞬間からあなた、何人もの殺し屋に狙われてるわよ」
鯉口の頬を汗が伝う。
「いい加減にしなさい。今この場で殺されても当然の立場で頼み事ですって?
裏路地を、組織を裏切ったあなたが?」
「その言葉は......」
鯉口の口が小さく動くが本間にはよく聞き取れない。
「何?」
本間が顔を近づけようとした瞬間、鯉口は右足で本間が座る椅子を蹴る。
椅子が後ろに傾き、割れたグラスを持った右手も鯉口の首から離れる。
体勢を立て直しつつある本間の右腕を掴み空中に放り投げるとともに自分の右側の椅子を引く。
その椅子に着席する形で着地した本間に、残っていた最後のカクテルグラスを差し出す。
「その言葉は今この場で私を殺すことができる人間が言える言葉よ」
「......」
無言で差し出されたグラスをひったくるように取り、それを飲み干す。
堂々とした態度にも見えるがその指はかすかに震えていた。
「いいわ。とりあえず言ってみなさい。受けるかどうかはそれからよ」
「......まあいいか。頼み事っていうのは......」
鯉口が話す間にバーカウンターの清掃が行われ、徳利と御猪口が追加で一つずつ置かれる。
「施設の利用追加申請、ね。
わかったわ。今日のうちに受理しておく。
でも、」
「?」
鯉口は煩わしくなったのか徳利の注ぎ口に直接口をつけて傾けている。
「プールやフロアを借り切った時と同じように、代表と直接交渉すればよかったんじゃない?殺されるリスクを負ってまで私と交渉しなくても......」
「無いものを考慮する必要がある?」
「っ......!」
御猪口を持つ本間の手に力が入る。
「それはまあ冗談として、雄一が数人の生徒に目を付けたからよ。
直接交渉したら引き換えに実地研修と称して引き抜かれかねない。
そして気づいたらそのままプロデビュー、となりかねない」
「でも、プロの殺し屋としてデビューできるならそれでいいじゃない」
鯉口は首を振る。
「今は彼らが一流になるための準備期間なの。
今引き抜かれたら二流、三流の殺し屋になって裏路地で飼い殺しになるのが目に見えている。」
鯉口は店員を呼び、徳利を振る。
「......裏路地を敵に回して、殺し屋としてのキャリアを捨ててまで訓練校を支配下に置いた理由は謎だったけど、なるほど。そっちの才能もあったわけね。」
「雄一のプランも悪くないけど、訓練校は引退したお歴々の姥捨山にするには貴重だわ。
だからこそ私は......」
店員が持ってきた徳利を持つ手が止まるのを本間は見逃さなかった。
「......」
何も言わない本間の目線に気づいて徳利を置き代わりに水の入ったグラスを持つ。
「私はあなたたちを裏切った。」
グラスを口から離し口に含んだ氷を二つ、掌に吐き出す。
「じゃあね。施設の利用申請はお願い」
鯉口は本間の返事を待たずドレスの裾を翻すと歩き出す。
5メートルほど歩いたその時、柱の陰に潜んでいた金髪の男が出口に向かう鯉口の背後に忍び寄る。
男が手に持っている高周波振動ナイフはナノレベルで刀身を動かし続けることで元の切れ味を持続させるものである。
本来ならば持ち運びが不可能な機械がなければ実現できないそれを小型化する技術を裏路地をはじめとする裏組織はいち早く手にしている。
男はナイフのスイッチを入れ鯉口の首の後ろに突き刺そうとするが、のどのあたりに冷たい感触がしたと思った次の瞬間には床に倒れていた。
「がっ......ぐがっ......!」
男は自分が呼吸困難になっていることにようやっと気づいた。
男は首を絞めている何らかの物体を除去しようとのどをかきむしるが息苦しさは解決しない。
「3流には過ぎたおもちゃだと思わない?」
鯉口は床に落ちたナイフを慎重に拾い上げ、スイッチを切る。
「技術の発展はとどまることを知らないからね。」
いつの間にか鯉口のそばに立っている本間がナイフを受け取り、懐に仕舞う。
「それにしても使い手がこれじゃあね......さて、」
鯉口が男の首元にしゃがみこもうとした瞬間、背後から同型のナイフを手に持ったやせ型の男がとびかかるが本間の蹴りを腹部に食らい弾き飛ばされる。
「おっ。ナイス。」
男が床に落としたナイフをまた懐に収め、金髪の男に向き直る。
「私がいなくても大丈夫だったでしょう。それより、この男に何を?」
「見えなかった?」
鯉口は親指が見えるように右拳を本間に向けると親指を勢いよく弾く。
ピチン!という音とともに本間は眉間に軽い衝撃を感じた。
「なるほど。氷の指弾」
本間のつま先に融けて小さくなった氷が落ちる。
「当たり。大して威力は出ないけど、氷は滑るからね。後ろ手で喉を狙えば一人くらいはね。」
鯉口は簡単に言うが咥内を狙うだけでも難しいのにそれをノールックで行う鯉口の戦闘能力の異常さは本間の目から見ても以上というほかはない。
「ほら、さっさと起きた!」
鯉口は仰向けになった男の胸と腹の間に右足でストンピングを食らわせる。
「ぐあっ!」
口から吐き出された氷をさりげなく左のヒールで踏み砕くと男の襟元をつかむ。
「私に何の用?」
「ぐっ......」
「美穂、こっちで引き継ぐわ。どう考えても裏路地の裏切り者を私刑しようとしてる連中でしょう」
本間はスーツ姿の男女を5人ほど従えている。
「旧体制の者かそうでないかはこっちで調べて教えるわ。」
鯉口は男の襟元を離し埃をはたくように手を叩く。
「いや、別にいいわ。興味ないし」
ひらひらと手を振りながら今度こそ地下カジノから姿を消す。
「さあ皆!この2人を収容してください」
鯉口も本間もこの2人の身元は見当がついている。
組織の代表の秘書と離れた瞬間の犯行であることから、敵対組織の人間でも裏路地の人間でもない。
なぜなら前者なら本間を殺そうとしない理由がなく、後者なら本間が知らないわけがないからである。
つまり残る理由は、
個人的に鯉口に恨みがある人間
裏路地の旧体制派閥の人間
に絞られる。
「どうか......」
どうか願わくば、個人的な恨みであって欲しいと本間は願った。
しかし殺し屋に願いや祈りなど似合わない上殺し屋の願いなど叶いはしないのが世の常である。
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