第19話 合宿

「ケッ。

 やってんなァ鯉口ィ!」

プールサイドに現れた男、宮木雄一はキラキラと輝く日差しに似合わない陰鬱な空気を放っていた。

撫で付けた黒髪に血色の悪い唇、喪服にも見える黒いスーツ。

強い日差しのためかフレームの赤いサングラスをかけているが全く似合っていない。

「いいサングラスじゃない。」

しかし振り向いた鯉口美穂はそのサングラスを褒めて見せる。

「周りの人があなたの陰鬱な目を見せなくて済むわ。」

そう言って笑う鯉口を宮木は腹立たしげに睨む。

それに構わず鯉口はプールのほうに向き直る。

「それで何の用?見ての通り合宿中なんだけど」

「裏切り者のお前に裏路地の保養所であるこの施設の使用許可を出したのは俺だぞ。

 それに将来俺の駒になる奴らだ。見るくらい構わねぇだろ」

「青田買いのつもり?

 それに裏切り者、裏切り者って......もう五年も前のことじゃない。」

「何年経とうが裏切り者だよ!

 俺が裏路地の全権を握った暁には訓練校をもっと大きくして裏路地をこの国、いや、世界一の組織になる礎として運営するつもりだったんだ!」

宮木の震える右手が懐の拳銃に触れる。

「で、一線を退いた殺し屋たちの天下り先にする、と。」

「食い詰めた殺し屋ほど手に負えないものはないんだよ。

 それをお前、規模はそのままで裏路地の職員、教師を全員首にしやがって!」

「結局のは私だからいいじゃない。」

「お前が死んだらどうする。ワンマンじゃあ後が続かねぇ。

 誰か一人残してりゃあ継続もできるだろうに。教師役の殺し屋どももそうだ。

 現状はほとんどお前のコネでやりくりしてるじゃねえか」

「裏路地を大改革した雄一のセリフじゃないと思うわよ。

 じゃあ話すけど、次の人材には考えがあるから大丈夫。

 私ほどじゃないけど実力があって、

 私ほどじゃないけどコネがあって、

 私ほどじゃないけど......いいのがいる。」

「マジだろうな」

「まあ安心してなよ。

 少なくとも私とそいつが訓練校を運営する限り、優秀な卒業生ばっかりになるから」

「フン。何か一つヘマをしてみろ。お前には死んでもらうからな」

「私を殺せる人間がいればの話だけど。

 ほら、そんな話より今年の生徒たちはどう?」

鯉口は宮木に双眼鏡を手渡す。

「どれどれ......あの大柄な男は」

「横田熱男君。一般人出身だけど柔道とボクシングをやってたみたいで筋肉量、運動神経は上位だね。ちょっとおバカそうにしてるけど覚えも悪くないし素直な子よ」

「殺人に忌避は?」

「まだ試すわけにはいかないからわからないけど、多分大丈夫だと思う。

 リング禍を礼賛するような言動もあったし。ただ知り合いは殺せないタイプかもね。」

「ふん......あれが西東の娘か」

「西東家の娘の半裸を見ても動揺一つないのは流石だね。

 運動神経は下の上だけど布槍術っていうマイナー武術の使い手で、意表を突いた動きが得意だしここぞというところでいい動きをする。

 西東家の稼業だけじゃなくて殺し屋としても十分楽しみな子ね」

「西東とはいえ分家だろう?双葉家だったか。

 ふそう......布槍術は西東家の資料では見たことがないからそっちの武術だろう」

「よく知ってるね。」

その言葉を無視して宮木はますます双眼鏡の先に夢中になる。

「男はなかなか粒ぞろいだな......あいつは筋肉の付き方がおかしい。メジャー武術ではなさそうだ......

 おい鯉口!双眼鏡持っとけ!」

「はいはい......昔からこうなんだから。

 本間ちゃんも大変そう......」

宮木は鯉口が持つ双眼鏡を覗いたまま、携帯のボイスメモをオンにする。

懐からメモ帳を取り出し、しゃべりながらひたすらペンを動かす。

「今すぐ実践投入できそうなのが男子二人、女子一人。

 残りの女子はオペレーターの経験をさせて......

 筋肉の付き具合が足りない数人はどこかに放り込むか。

 安城にいくらか仕事を回して契約するのもいいな

 ......あれはだめだな。殺し屋としても使えそうだが、望んだ職業ではなさそうだな。

 何回か使って、関連企業か裏方に回してやるか。」

それから十数分、宮木の独り言とペンを走らせる音が響く。

「終わった?」

「ああ、もういいぞ。」

宮木は携帯とメモ帳を仕舞う。

「いや、あれはどこだ?仮次の娘。」

「あの子なら......」

プールに浮かべた足場の上で安城家の部下と組み手をする朝日を指差す。

「あれか......おお......ふんふん......なるほど......いいなぁ......いいぞ」

「ま、まさか......雄一!あの子はああ見えて高校生なの!あなたロリコンでしょう!」

「あれは養子だったな。一般人出身と聞いているが」

「反応してよ。

 そう。数か月前まで一般人だった。」

「嘘だろ?あの筋肉達磨と戦えてるじゃねぇか」

「その筋肉達磨さんたちとほぼ毎日鍛えてるみたいだからね。

 はっきり言って訓練校でも上の下はあるわね」

「惜しむらくは体格か......」

「あの体格にも利点はあると思うけどね。」

「それはそう......というか使い道が多い分得かもしれん」

「使い道って......本当にロリコンなの?仮次に殺されるわよ」

「黙れ」


揺れる足場の上で、朝日は戦っていた。

「フン!」

まともに食らったら2mは吹き飛ばされそうな掌底を横に跳んで避けるがバランスが取れずに転んでしまう。

足場が揺れるたびにプールの水面が波を立てる。

思わず床にしがみついてしまう。

それもそのはず、朝日が今しがみついている足場の端は水の代わりにプールにたまっている粘性の液体に濡れ、滑りやすくなっている。

「そっちから来ないならこっちから行きますよっ!」

ブーメランパンツを履いたマッチョが朝日に向かって駆ける。

四つん這いになっている朝日を狙って低い掌底を繰り出すマッチョ。

マッチョがその最後の一歩を踏み出す瞬間、朝日は両手で足場を下に押す。

必然、足場は大きく傾き端にいる朝日は液体を大きくかぶることになるがその滑りを使い、腹ばいになって足場の上を滑る。

まだバランスの取れていないマッチョの足元を通過して後ろに回ると半回転し、跳び上がってマッチョの腰にタックルを食らわせる。

食らわせる、はずだった。

マッチョはタックルが直撃する瞬間四つん這いになり頭突きを回避した。

足場が揺れてバランスが取れていない様子そのものが演技だったのだ。

そして朝日が頭上を通過する瞬間、数秒前の朝日と同じように跳び上がり、朝日の足の裏に強烈な平手打ちを食らわせる。

跳び上がった衝撃で足場が揺れるどころかほぼ半回転する。

そして自らの脚力にマッチョの力を加えられた朝日は勢いよく足場の外に跳んでいき、バシャァーーン!という音とともに大きな水柱を上げる。


「おーおー安城のマッチョはえげつねぇな」

「粘性のあるプールを歩かせて足腰をいじめた後、揺れる足場での組手。

 これで足腰の訓練と重心をコントロールする訓練ができる。」

「プール清掃が高くつく......のは織り込み済みだろうな。お前のことだ。」

「まあね。」

「しかし厳しすぎ.....というより難しすぎるだろう。

 訓練になる難易度なのか?」

「あの子たちなら大丈夫よ。」

「まあ俺の知ったことじゃないが」


「はぁぁぁああーーー」

布団にダイブする朝日。

「大変な一日だった......」

目を覚ました時に真上にあった太陽が粘性の液体が流れるプールでの歩行訓練、揺れる足場での組手を3セット繰り返した頃には西の空と水平線を赤く染めていた。

簡素な入浴とビュッフェスタイルの豪華な食事を済ませた生徒たちは男女別に布団が敷き詰められた大部屋に案内された。

「明日の起床は8時とします。遅くしてあるのでゆっくり休みなさい。体を育てるためには運動だけでなく休息も大きなファクターです」

それだけ言い残すと鯉口は部屋を出て行った。

「もう動けない......私ここでいい?」

恵は臙脂色の館内着を脱いで黒い下着姿になると出入口に一番近い布団に潜り込む。

「ちょっと......なんで脱ぐの!?」

「だって私寝るときはいつも......」

その言葉とともに布団の中からさっき恵が身に着けていた下着が吐き出される。

「ちょっ......」

「せめて下着はつけて寝なよ」

「そうだよ。よ」

生徒たちが口々に言うが、恵の小さな寝息が聞こえてくるとそれぞれ布団の上でストレッチしたり寝たりし始める。

それを見て朝日も布団に改めて横になる。

目を閉じた数秒後には朝日の意識はまどろみ始めた。

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