第47話 ラボ
清潔さには匂いがないはずだが、確かに清潔な匂いがした。
「んん...ここは...?」
目を覚ました朝日が体を起こそうとするが、体が動かない。
腕と足を動かそうとするがどちらもびくともしない。
首と眼球を動かしてなんとか自分の体を見る。
両腕両足は素材不明のベルトで固定され、それぞれに点滴のチューブが繋がれている。
胴体にもベルトが巻かれており腰を動かそうとしても身を捩るくらいしかできない。
「ら、ラティーマ!」
......
ラティーマの返事はない。
が、ラティーマの代わりに返答するように、朝日を囲むように配置されたモニターやPCの電源が一斉に付く。
「!?
これは一体......」
「起きたか」
機械と機械の隙間から現れたのは白衣を着た小学生ほどの背丈の女性だった。
いや、顔だちも子供のようなあどけなさを感じるため、どちらかと言うと口調と表情が変わっている女子小学生と言った方が正しいだろうか。
脇に抱えていたタブレットの電源を入れる。
「ほぉ。うんうん。」
「だ、誰?それよりこれを解いて...」
「上手く適合できたみたいで何よりだ。
君の体に入ってるナノマシンだが最近不具合が見つかってね。アップデートが必要だったんだ。
治験は十分やったと思っていたんだが......運用段階でしか見つからない不具合もある、ということだな」
朝日の話を聞かずに一方的にまくしたてる少女。
「ああ、不具合と言っても体に影響するものじゃないから安心したまえ。
アフターサービス...いやアフターケアか。」
タブレットを操作しながら周りのモニターを忙しなくチェックしている。
「それは、」
「何の不具合か、具体的には話すことはできないんだ。すまないね。」
ドンドンドン!
ドアを激しく叩く音に朝日の体がビクッ!となる。
「!」
音の大きさからして大きい大人の男性がいるのだろうか。
なんとか顔を動かして音のした方向を見るがモニターの隙間から奥は暗くて何も見えない。
「ふ〜ん?兄さん達じゃないみたいだね」
白衣のポケットに手を入れて歩き出す少女。
「ちょっと...!これを外して...!」
「大丈夫。すぐ終わるからさ」
白くて小さい人影が闇に消えた瞬間、ドアが開く音がする。
不思議と物音はなかった。
しかし濃い血の匂いが戦闘と死を朝日の嗅覚に訴えかけてくる。
数秒後、ドサ、と体が床に倒れる音が聞こえてくる。
「くっ...ラティーマ...」
モゾモゾを体を捩るが拘束は固く、抜け出せそうもない。
体格の小さい先ほどの女性が殺されている想像は身動きが取れない状態にある朝日にとってあまりに良くないものだった。
しかしモニターを押し退けるのは小さい女性の手だった。
「ふぅ〜。
やっぱり本職じゃない俺だと兄さん達みたく鮮やかには行かないね」
白衣の右腕あたりにベッタリと返り血を浴びた状態で戻ってきた少女は手をウェットティッシュで拭くと白衣を脱ぎ捨てる。
「さて、君の用事は済んだから帰って貰いたいんだが......見ての通りこの辺りは治安が悪くてね。
悪いが迎えが来るまでもう少しだけここで待っていてくれないか」
「......分かりました。それと、」
「!
そうだな。」
女は机の引き出しから取り出したそれを朝日の胸の上に放り投げる。
「ラティーマ!」
「『起動しろ』」
少なくとも日本語でも英語でもない女の言葉に呼応するようにラティーマが震える。
『マスター...?』
「ラティーマ。拘束を解いてやれ。俺にはその時間もないようだ
思ったより早い。」
背を向けた少女は引き出しから取り出した書類を鞄に入れると机に備え付けられた赤いボタンのカバーを外す。
『ドクター、待ってください!』
ボタンが押される。
「安城朝日、ラティーマ。また会おう」
高笑いが闇の中へ消えていく。
ラティーマは自らの蓋を開くと加工用の小さな刃物は付いたアームを伸ばす。
『マスター。ベルトを切断しますので動かないでください』
「動けないから大丈夫
それよりさっきの女の人は?知ってるみたいだったけど」
『私はドクターと呼んでいました。
私を造った、親のような人間です』
「えっ...
じゃあいい人?」
『善人ではありません
右腕の拘束は無力化しました。』
「あ、ありがとう」
ラティーマを手に取り左腕と両足のベルトを切断しにかかる。
『善人ではありませんが意味のない悪事を働く方でもありませんので、マスターに害のあることをしたわけではないとは思います』
「そう...とりあえず安心。」
『......いや、ドクターがそう思っているだけで実はやらかしている可能性もあります。いずれにしろここから脱出した後は病院での検査が必要でしょう』
「わかった。まずここから出る。
それにしても......」
『何かありましたか?』
「何でもない。」
久しぶりに親に会えたラティーマにどんな気分か聞こうとしたが、やっぱりやめておく朝日であった。
監禁されていたドアを開けた先でばったり会った安城家の部下と合流して安城家本家屋敷に向かう。
精密検査のためである。
朝日が捕えられていた部屋の機械は内部が焼き切られておりデータも全て破棄されていた、と聞かされた。
手がかりを失った朝日の体はなぜか力が漲っていた。
「藪の居場所がわかった」
安城竹継は地図が表示されたタブレットに煙草の煙を吹きかける。
「仮次、大丈夫か。寝てないだろ」
研究所で朝日が何者かに誘拐されたのが4日前、発見されて安城家本家に保護されたのは12時間前のことだった。
「何時間か寝た。問題ない」
「話を聞かないのはよく似た親子だよ」
呆れた顔でソファの斜め後ろに立っていた部下を見て頷く。
「昨日、隠れ家があるビルに入ったことが確認されています。それ以降ビルへの出入りはありません。
入手した設計図から地下階がないことがわかっていますのでおそらくまだ中にいるかと」
部下がタブレットに触れ、周りのビルに印を付けていく。
「監視員はこの位置で配置。命令があり次第突入もできます。」
「どうする仮次?お前行くか?」
安城仮次ではなく現場の状況を説明していた部下の男の肩がピクリと動く。
安城家で低くない地位にいる彼には分かるが、安城家はこの一件に尋常ではない時間と労力、つまり金を費やしている。
数年前に出奔し最近戻ってきた当主の弟に対して含むものは無いが、安城家の金を食い潰していることに無頓着な様子には流石に眉を顰めている。
「...いや、研究所の時と同じになるかもしれない。
冷静でいられるかわからん」
「フン。確かにそうかもな
仮次が捕らえたあれはどうしている」
部下の方を振り返る竹継。
「はい。薬で眠らせています。
しかしあれは一体...」
「......」
「しっ、失礼しました!」
部下の男が部屋から退出したのを確認すると仮次が口を開く。
「数年前に資料でだけ見たことがある。
遺伝子改造で他の生物の形質を引き継いだ生物を作り出す研究だ」
「俺も似たようなものを見たな。
ただ、人間以外の生物同士でも成功しなかったはずだが」
「竹光ならやれてしまうかもしれないな」
「いや、あいつならやれるだろう。
あれの体を見ただろう?
とんでもない密度の筋肉、鋭い足の爪。
おそらく大型の肉食獣のDNAが仕込まれている。それでいて見た目は20代の女性そのもので知性は6歳児レベル。」
「流石の俺も無傷とはいかなかったな」
「混ぜっ返すな。かすり傷だろう」
机の引き出しから取り出した酒をグラスに注ぐ竹継。
「飲め。そして寝ろ。
あれは竹光が作った生き物。となれば安城家当主として保護対象だ。」
仮次は震えた手でグラスを受け取り、ゆっくりと口元に運ぶ。
「大丈夫だ。あれの遺伝子学上の父親が誰だとしても気にするな。
安城家の、保護対象だ。お前のじゃない。」
ゆっくりと諭すように言葉を紡ぐ兄。
「......」
ぐい、とグラスを思い切り傾け喉に琥珀色の液体を流し込む。
「ありがとう。兄貴」
部屋を出て安城家本家にある自分の部屋に戻る仮次の背中を見送る竹継。
竹継はタブレットを起動する。
画面には研究所の地下で仮次と戦い捕えられた生物から採取した血液と細胞片の解析結果があった。
「竹光......いつからこれを......」
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