第34話 夏季休暇 その5

「ついに表立って動き始めたな」

裏路地を引退するも別組織で復帰した、木村という男を守る仕事を終えた仮次がその報告のため裏路地の本部を訪れると資料室のような部屋に通された。

その部屋は四方を山のように積まれた資料に覆われている。地震が起きたら部屋の中にいた人間が埋もれるのは確実だろう。

仮次は資料が入った段ボール箱に座っている。

部屋の主である宮木雄一は資料に半ば埋もれるように鎮座する机の上に胡坐をかいて酒を呷っている。

「仮次。お前も飲むか」

仮次が黙って首を振るのを見もせずに酒を注いだグラスを押し付ける。

「前祝いだ。」

仮次はそばにあった資料の山の上にグラスを置く。

慎重に置かなければ資料の山は崩れそうだった。

「で、どうする」

「あいつらは【裏路地経由で依頼を受けた】と虚偽の証言をした。そうだな。」

「ああ。」

「つまり裏路地を奪った俺ではなく『裏路地』に喧嘩を売ってくれたということだ。

 今までは前代表と現代表の内輪揉めだったから大手を振って潰すことはできなかったが、今回の件であいつらを外敵として排除する名目が立った。」

宮木は携帯端末を起動する。

「本間。例の件、忠誠度が高い殺し屋を対象に先行して布告しろ。」

宮木は返答を待たずに端末を投げ捨てるとグラスを持ち上げると中身を干す。

「やっと、やっとあの時逃した連中を始末できる......」

椅子の背もたれに体重を預けると背後の資料の山が崩れる音がした。

「仮次、当然お前にも仕事を振るぞ。それから安城家にもデカいのを回すから窓口になるか担当者を寄越せ。」

「もう兄貴が手配してるはずだ」

ドアがノックされる。

「入れ」

宮木の投げやりな返事の後、半開けのままのドアから秘書の本間が覗く。

「安城家の遣いが来ておりますが」

「あァ。応接室に、いや面倒だ。ここに通せ」

眉を顰めた本間は部屋をさっと見回してため息をつきドアを閉める。

「ちょっとは片付けたらどうだ」

「この部屋は爺どもから分取った時点でこの有様だ。

俺が片付けるなんざ御免被るね」

宮木がグラス二杯分の酒を干したあたりで50才ほどの中年男性、山城が本間に連れられて部屋に入ってくる。

仮次は足元にあった書類を読みながら軽く右手を掲げる。

「山城です。安城家の裏路地方営業担当です。

お呼びと聞きました。宮木雄一様。

仮次さんもお元気そうで。」

「ふん。呼んじゃあいねえよ。座れ」

山城は崩れかかった書類の壁にもたれる宮木、書類の山に器用に腰掛ける仮次、散らばった書類で足の踏み場もない床、そして呆れた顔をしている裏路地秘書を順に見やり咳払いを一つ。

「いえ。私はこのままで。」


安城家は武門の家であり昔から主にその肉体を盾にした護衛の仕事を請けていたが、銃刀法(銃砲刀剣類所持等取締法)の施行からはより一層その傾向は強まり殺す側の仕事はごく小規模になっている。

山城は安城家の経理部門の人間ではあるが、安城家全体を把握している人間としてこの場に派遣された。

30分もすると山城と宮木の商談は締めの段階に入っていた。

「ではこれらの護衛任務と排除任務は安城家で請けさせていただきます」

『排除任務』とは他の仕事の邪魔にならないよう特定の人間を近づけさせない任務で、対象を殺害することもあれば場合によっては一定時間の監視で事なきを得ることもある

山城がタブレットを操作すると重要人物のリストに次々とチェックマークが入っていく。

「お前らの下部組織はどうだ。請けさせられそうな奴はいるか」

「下部組織...というか知り合いの家でしたらこちらならば前代表と揉め無さそうなので大丈夫でしょう」

「前代表と政治的にやり合いたくないだと?俺から仕事をもらう身分でよく言えるな」

「小さい家には死活問題ですからね」

青筋を立てる宮木にも引くことなく堂々と肩を竦めて見せる。

「ケッ。で、そいつらとの交渉にどれくらいかかる」

「一両日中には」

「よし。じゃあ行け。」

「ちょっと待ってくれ。」

今日のところは話は終わったと山城を部屋から退室させようとする宮木を止める。

「なんだ仮次。仲介料ならやらねえぞ」

「金はいい。依頼を一つ貰えるか」

電源を落としかけたタブレットを仮次の指がササッと操作する。

「これだ」

画面の中央には大学生ほどの年の女性が映っている。

「ああ。この雑魚の排除任務か?お前も好きだな」

わざとらしく下卑た笑みを浮かべる宮木を無視して言葉を続ける。

「それを俺の娘に回してくれ」

宮木の顔から笑みが消え、声にはかすかに怒気が混ざる。

「お前、始めからそのつもりだったな?家の者を寄越したのは手続きをスムーズにするためだろう」

「木村への刺客を尋問した結果を通信でなく、わざわざ直接伝えに来たのはそうだが山城さんが来たのは偶然だ」

「カッ。俺にそれを信じろと?」

まあいい、と言い宮木はグラスに酒を注ぐ。

「しかし雑魚とはいえお前の娘には無理だろう」

「バックアップに俺が付く」

「この仕事にお前レベルの殺し屋は割けねぇことくらいわかるよな」

「金は通常通りでいい。なんなら俺のバックアップ分は無しでもいい」

宮木は何か言いたそうに口を開くが、一度酒を飲み深呼吸する。

「料金の不自然な変動は余計な疑いを招きかねなん。

バックアップは安城家で付けろ。その上でお前は依頼関係なくバックアップに付け。

それなら許可する」

「契約関係にない殺し屋が絡むのも問題になるんじゃないか」

「昔、爺共は新人の育成の時にやってるのを黙認していた。

文句言いだしたらそこをつついてやるさ」

グラスに残った酒を啜った宮木はドアを手で示す。


「本当にいいのでしょうか」

もう入っていないのか、逆さに振った酒瓶を放り投げる宮木に本間が話しかける。

「何がだ」

「あの依頼です。安城家本家に任せるならともかく初任務もこなしたことのない少女を、」

「誰にだって初任務はあるだろうが。だいたい、非公式だが安城家の仕事に出ていたという話も聞いたことがある」

「しかし」

「本間ァ」

「!」

思わず姿勢を正す本間。

「安城仮次を破格の値段で雇った。それだけの話だ」

本間は部屋の隅に転がった酒瓶を拾い上げ、一礼して部屋を出る。

年端もいかない少女を実力の見合わない任務に付けるという、上司と安城家の殺し屋の判断が正しいとは思えなかった。

しかし、安城家の内部情報にも明るい交渉担当がその件には口を出さなかったことを鑑みて、この件について考えることをやめることにした。

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