第9話 安城家 その1 


週末、朝日は仮次が運転する車の後部座席で窓の外の景色を見ていた。

5人もの殺し屋からナイフ、合気道、素手格闘などの授業を立て続けに受けたせいか体の各所が痛んでいる。

住宅街から大通りに出た後、郊外へ20分ほど走ったところに安城家本邸はあった。

開け放たれた門をくぐり、駐車場に車が止まる。

「着いたぞ」

朝日は嫌そうな顔でしぶしぶ車から降りる。

「さーて、とりあえず道場の方覗いてみるか」

朝日は屋敷の中に入っていく仮次の後ろをついていく。

玄関で靴を脱ぎ中庭を左手に見ながら板張りの廊下を進んでいく二人。

しばらく歩くと仮次は歩みを止め、扉を開ける。

『道場』とだけ書かれた立札が目に入る。

道場では筋骨隆々の男たちが殴り合っていた。

「止めぃ!」

2mほどの筋肉の塊のようなスキンヘッドの男が声を上げると、

男たちは攻撃の手を止め血をぬぐいながら道場の壁まで歩き、壁を背にして立つ。

仮次は礼もせず扉をくぐり道場の中心をずかずかと進んでいき、大男の前で止まる。

あっけにとられているうちに置いて行かれた朝日は礼をして小走りで仮次の後ろにつく。

「これはこれは。仮次さん。」

「よう岩岡。調子はどうだ」

「見てのとおりですよ」

岩岡と呼ばれたスキンヘッドの大男はポージングを決めながら笑う。

「おや、そちらのお嬢さんは......」

「ああ。俺の娘だ」

「は、はじめまして」

朝日は筋骨隆々の男たちに囲まれて委縮している。

そんな少女に岩岡はにこやかに右手を差し出す。

「初めまして。安城家家臣、肉体指南役岩岡衛です」

「あ、安城朝日です」

朝日は握手に応える。

大きな手だが柔らかく握るよう細心の注意を払っているように朝日には思えた。

「それで仮次さん、今日はどういったご用事で?

 お嬢さんの訓練ですか」

「バカ野郎。こんなところに娘を置いていけるかよ。ただの挨拶だよ」

「それは残念。女性の美しさを損なわない筋肉の付け方を研究中なのですが」

「ああそう、じゃあな。朝日、ここを出るぞ」

「は、はい」

「ああ、朝日さん。あなたには素質がある。また近いうちにお会いしましょう」

仮次が扉を閉める。

「今のが安城家家臣の武力の要だ。じゃあ次は夕姉さんのところにでも」

「仮次さん」

二人が振り返ると道場の扉が開き、横になった岩岡の顔と目が合う。

「当主に会いましたらたまには道場に顔を出すように言ってください」

「......言うだけだぞ。」


また少し歩き、たどり着いた扉を仮次が開ける。

朝日が気づいたことだが仮次は基本、ノックもしないし扉を開けるときに声をかけない。

家だからそうなのかそれとも単に無礼なのか。そう朝日が考えているうちに仮次は部屋に入っている。

朝日は小走りで後を追った。

その部屋は普通のオフィスのような造りで、奥に大きな机と手前に二つの机がありその机の上はパソコンと書類が占拠していた。

席に座っていた50才ほどの中年男性は仮次のほうを向いた。

「ああ、仮次君。ひさしぶり」

「山城さん。お久しぶりです。今日は娘の挨拶に。」

ノータイムで扉を開けた男とは思えない態度であいさつする仮次。

「安城朝日です。」

「これはどうも。山城です。」

「山城さん、夕姉さんはいつものところに?」

「ああ、ついでにこの書類を持って行ってくれるかい?」

山城は一抱えある書類を仮次に手渡す。

「はいはい。朝日。そこの扉を開けてくれ。」

仮次が顎で指した先、大きい机の奥には引き戸があった。

その扉を開けると中は四畳半の座敷になっており中央には春だというのに炬燵が鎮座している。

そして一人の女性が炬燵に手足を入れ顔を天板に横倒しにし、寝息を立てている。

髪は長くおそらく腰か太ももに届くほどはあるだろうか。端正な顔立ちだがよだれを書類に垂らしている。

「夕姉。」

仮次が声をかけるが起きる気配はない。しかたなく書類を床に置き、壁のボタンを押す。

天井が開き紐で吊られた鍋が勢いよく落下し、女性の頭に直撃し同じスピードで天井に戻っていく。

「うう~痛ーい」

女性が後頭部をさすりながら起きた時には鍋は天井裏に戻っており、天井も元に戻っている。

「夕姉、久しぶり。」

「ああ、仮次。どうしたの室長室にまで入って。」

「どこの監査室長室に炬燵があるんだ。ほぼ私室じゃないか」

「あ、あの」

「あ、この子が朝日ちゃん?」

「ああそうだ」

女性は服を正し咳払いをする。

「んんっ。初めまして。安城家監査室室長、安城夕子よ。

 できれば夕姉、そうでなければ夕姉さん、だめなら夕子さんと呼んでね。」

「無理せず夕子おばさんでもいいぞ」

「仮次。」

「初めまして。ゆ、夕子さん」

「こちらにおいで」

夕子は横に少しずれ、自分の隣に座るように促す。仮次をちらりと見ると我関せずというような顔で扉のそばの壁に寄りかかっていた。

夕子は朝日の頭を抱え込むように抱きしめた。

「朝日ちゃん。仮次と一緒にいてあげてね。」

「えっ?」

「朝日。そろそろ時間だ。兄貴に会いに行くぞ」

「は、はい。」

朝日は立ち上がる。

「朝日ちゃん。またね。」

夕子のささやきに返事をする前に朝日は部屋を出ることになった。

扉の横には雑な字で『監査室』と書かれた紙が貼ってあった。


階段を上がってすぐにある一際大きな扉を両手で開け部屋に入る仮次。

「おお!仮次。我が弟よ」

執務机から立ち上がり両手を広げるのは安城竹継。

「仮次。ドアを開ける時には、」

仮次の癖を指摘する長髪で夕子に似た女性は安城一夜。

「実家以外ではそうするさ母さん。」

竹継と握手しながら答える仮次。

「じゃあ仮次のお嬢様に会わせてもらおうかな」

「はいはい。朝日。入っていいぞ。」

仮次の声を受け扉を開け中に入る朝日。

竹継の顔を見た瞬間、朝日は一瞬体を竦ませたがそれを隠すように振る舞った。

二人の視線を受けながら仮次の隣まで進む。

「初めまして。安城朝日です。」

「安城家当主、安城竹継です。よろしく。」

安城竹継と名乗るうさんくさい笑みを浮かべた男は

先ほど道場で見た男たちと比べて強そうには見えない。

「安城一夜です。二人の母です」

どう見ても30代前半にしか見えない。

「新しい暮らしはどうだい?訓練校では?」

「特に不自由はありません。同級生もいいひとばかりです」

「そうかそうか。仮次。訓練はしてるのか」

「毎晩夕食後にな」

「朝日ちゃん大丈夫?無理やりやらされてない?」

「いえ。むしろ私から望んでです」

竹継は微かに憐れむような笑みを浮かべ、それを取り消すように母親に話題を振った。

「安城家の人間として申し分ないと思うが、どう思う」

一夜は終始憐れむような表情を隠すことなく話を聞いていたが、

長男が肯定的な意見を言っているのを見て吹っ切れたかのように笑顔を見せた。

「ええそうね。やや前時代的なところもあるけど、それもいいアクセントだわ。」

「ん、そう。じゃあこれからよろしくね。朝日ちゃん。」

竹継は右手に持っていたおどろおどろしいナイフをしまう。

朝日はその時初めて竹継がナイフを持っていたことに気づいた。

「趣味が悪いぞ兄貴」

「悪い悪い。最近は前線に立たないから腕がなまってないか確認をな」

竹継が堂々とナイフを持っていたにも関わらず、朝日はそのナイフを認識できなかった。


その日は安城家の屋敷に泊まっていくことになった。

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