第27話 はじめてのしゅうげき(終幕)
『よくやった。藤虎和之は殺しておけ』
その少し嬉しそうな安城仮次の声は、安城朝日の背筋を凍らせた。
今日は数えきれないほどナイフを人に投げ、血を流させた。しかしそれにより戦意か意識を失った男たちは拘束したのみでもう少しすれば仮次から連絡を受けた裏路地の職員が回収し、おそらく死なない程度に手当をするだろう。
伊達メガネに仕込まれたカメラからの映像で朝日の動きが止まったのを察して仮次が言葉を続ける。
『怪我なく拘束するにはそいつは強すぎる。早くするんだ』
いずれはその日が来るとは思っていた。
朝日は眼鏡のつるを一瞬触り、天井を見上げて深呼吸する。
その様子から何か感じたのか藤虎は観念したように仰向けになる。
右掌に刺さったナイフを抜こうとする様子もない。
朝日はゆっくりと藤虎に近づき、足がワイヤーに絡まっていることを確認して腹の上にまたがる。
ワイヤーで回収したナイフのうち一本を両手で握りしめ、振り上げる。
疲労のせいか、腕が震える。
「はぁ......はぁ......うぐっ...」
歯を食いしばり震えを止めようとする。
なぜか息が苦しくなる。
それらを止めるために朝日はナイフを振り下ろす......
「葵......」
藤虎の唇の端から誰かの名前が溢れ出る。
ナイフは藤虎の耳を掠めて床に突き刺さる。
朝日は藤虎から飛び退き、尻をついたまま壁まで後ずさる。
「くぅっ!」
震える指で眼鏡を外して床に置くと、右拳で何度も叩き潰す。
破片が手に刺さり血が流れる。
「はぁ...はぁ...はーーー。
ふぅ。」
息を整えると床に放ったままの日本刀を持って立ち上がる。
再び藤虎に近付くと足の間の空間に日本刀を当て、ワイヤーを切断する。
「うおっ?ぐううっ!」
部屋の奥に刀を放り捨て、藤虎の右掌に刺さったままのナイフを回収する。
「逃げてください。それもこの町から。」
それだけ言ってさっきまで藤虎が座っていたソファに座る。
訳もわからず藤虎の目は朝日と日本刀を行き来するがそれも数秒のことだった。
「ま、まぁ情けでも何でもいいが、俺を殺さないってことでいいんだな?」
「はい。その代わり早く消えてください。それも遠くへ。」
「わ、わかった。この街を出る。
そこの鞄だけこっちに投げてくれ。」
朝日は疑いもせずに机の残骸の近くに落ちていた鞄を放り投げる。
拍子抜けしたように鞄を掴み取った藤虎は鞄に手を入れる。
「ただ、貸し借りは嫌いでな。」
藤虎は左手に握った銃の引き金を引く。
弾は朝日の顔の横を通り過ぎて壁に命中する。
朝日は座ったまま動かない。
「これで命の貸し借りはなしだ。」
そう言うと銃を朝日が座るソファに放り投げて部屋から駆け出す。
銃撃に全く反応しなかった朝日は腕の震えが止まらずにいた。
殺せなかった訳ではない。
朝日は藤虎の一言が娘の名前であると直感した。
その瞬間、目に映る全てを壊してしまいたくなる衝動に襲われて腕に力が入りナイフは外れた。
少なくとも朝日はそう考えている。
そうでなければならなかった。
【いざ安城仮次を殺すときも手が止まってしまうのでは】
その疑問は安城朝日にとっては危険すぎた。
しかし状況が気持ちの整理とは関係なく進行することも朝日には分かっていた。
もうすぐ伊達メガネの故障に気付いた仮次から何らかのアクションがあるはずだからである。
もう少しで気持ちの整理がひと段落しそうな時、男の鼻歌と共に階段を登る音が聞こえる。
安城仮次でも、さっき逃した男でもない。
階下にいる負傷した男たちを見ながらも鼻歌を歌う男。一般人ではおそらくないだろう。
朝日はソファに捨てられたままの拳銃を懐にしまいゆっくりと立ち上がり右手にナイフを持つ。
トントンとドアがノックされる。
朝日はそれには答えず、ナイフを握りなおす。
再びノックの音が響くが一向に返事がないためかドアが向こうから開かれた。
「あ、なんだ。開いてるじゃないか」
そこに立つ男は濃紺スーツに灰色のネクタイ、肩にはゴルフバッグと今から
接待ゴルフに行く会社員のような服装だった。
だからこそ戦闘で荒れ果てた部屋やナイフを構える少女に動じない様子から感じられるただ者でなさを強調している。
「ふ~ん。なるほどなるほど。」
男は顎に手を当て、部屋を見渡すと、朝日に話しかけてくる。
「ねぇ君。この男、見なかった?
藤虎和之っていうんだけど」
男が手に持つ写真にはさっき殺し合い、逃がした男が映っていた。
「さっき逃げていきましたよ」
「うんうん。だろうね。で、君は彼を仕留め損ねた新人の殺し屋かい?」
「一応、所属は『裏路地』ですが...」
嘘は言っていない。
朝日たちは『裏路地』の実質的な下部組織である訓練校の生徒だ。
「『裏路地』かぁ~」
面倒そうな男の表情を見て確信した。
この地区には現在、殺し屋は監視役しか存在しないはず。
しかし訓練校の実習が行われることを知らず、標的の写真を持ち歩いている。
間違いなく『殺し屋』。
それも『裏路地』に所属していない殺し屋......!
「ンまぁ居ないならしょ~がないか。じゃ、」
「ちょっと待ってください」
朝日はナイフをしまい、ドアノブに手をかけた男を呼び止める。
「取引をしませんか?
私は、彼がどこに逃げたのか心当たりがあります」
もちろんハッタリだ。この町から逃げたことしか知らないし、
彼が朝日の言う通りにしたかも定かではない。
男はドアノブから手を離すと朝日の方に向き直る。
「へぇ~。興味があるね。
で、代わりに何が欲しい?金かな?」
「一手、手合わせを。」
朝日が今望むものは殺す覚悟と殺す手段。
殺す覚悟の難しさはさっき思い知った。
殺す手段を手に入れるのも難しいはず。
今朝日の目の前にいるのは『殺しても問題ない』、『自分が殺せないほど強い相手』。
殺す手段、力を手に入れるのに絶好の相手と言えるだろう。
「いいけど、君を殺したら情報は手に入らないよね。」
「ちょうどいいハンデでは?」
これもハッタリだ。その程度のハンデではこの男には勝てないだろう。
「わかった。じゃあ」
始めよう、と男が言い切る前に、朝日はナイフを投げ終わっていた。
「おおっと」
男が盾にしたゴルフバッグに次々とナイフが突き刺さる。
「先輩として言うけど楽しむ隙が無いとこの職業はやっていけないよ?」
ナイフが開けたゴルフバッグに空けた穴に指を入れてぶちぶちと破り、穴を大きくするとそこから木刀を取り出す。
「仕事に木刀は要らないけど、持って来ておいてよかった。
やっぱりどんな時も楽しまないとね。」
朝日が続けて投擲したナイフを一本キャッチし、残りを木刀で弾き落とす。
「ん?おお、ワイヤーか。
いいねぇ。
アンティークな技術...いや、ただの回収用か。
飛び道具は工夫が要るよねぇ」
男はキャッチしたナイフを手で弄ぶ。
その隙に朝日は両手に持ったナイフ八本を同時に投擲する。
狙いはざっくり胴体につけたうえで半分は男の周囲にランダムに散らすよう心掛ける。
「?
ああ、なるほど。わざと狙いを甘くしてるね。」
しかし男はあえてその全てを木刀で全て右に弾く。
藤虎も決して弱くはなかったが、この男と比べると酷く見劣りするように思える。
「そろそろ降参する?それとも、俺の腕前も見たい?」
「はぁ...はぁ...よろしければ。」
「よし。腕や足の一本は覚悟してね。」
男が初めてまともに木刀を構える。
「自己紹介がまだだったな。
小戸田流、小戸田武明だ。以後よろしく。」
小戸田はすり足で朝日に近づくが、そのスピードはとてもすり足とは思えない。
一呼吸で距離を詰めた小戸田の木刀が朝日の右手を叩く。
「痛っ!」
木刀の勢いに逆らわずに腕を曲げて衝撃を逃がすが、持っていたナイフを落としてしまう。
左に跳んで距離を取りながら太腿に取り付けたホルダーのスイッチに触れると、小型のモーターが作動しワイヤーを巻き取る。
それと同時に背を向けたまま後ろ手にナイフを投擲する。
後ろを振り向くが効果がないことは振り向く前から承知している。
しかし追う足は少し鈍った。
朝日は合宿でのことを思い出した。
朝の練習の時に一度だけ話したアロハシャツの外国人の男のナイフ投げ、彼曰く格上を殺す投げナイフ。
朝日は投げナイフを一本だけ右手に持つと、右腕を上げて肘を思いきり曲げて力を溜める。
背中の右側と上腕部の筋肉が熱を持つのを感じた瞬間、ナイフは放たれた。
今まで投げた中で最高速のナイフ。
「おおっと?」
しかしそのナイフも木刀の持ち手の部分であっさりと受け止められた。
しかし受け止めた方も無事ではなく大きくひびが入った持ち手は使い物にならず、貫通した先端が右掌にわずかに刺さっていた。
「はは。その体格からこの威力か。なかなか面白いね。
君はあれかな?たまにいる、肉体の限界を超えちゃえる奴。」
朝日はそれに返答する余裕もなかった。
小戸田の言う通り限界を超えた肉体の駆動は朝日の身体にダメージを負わせていた。
右手でナイフを持とうとするが手に力が入らずホルダーから掴み上げられない。
「ん~。殺さずに、ってのが難しいね。君はそれほど弱くないみたいだし。」
小戸田が下段に構え、腰を大きく落とす。ほとんど地に伏せたようなその体勢は、
四本足の獣を想起させる。
腰を落としたその体勢のまま朝日に向かって走る。
その足の動きはすり足でさっきより早い。
迎撃のためのナイフを構える時間もなく、朝日の右目に短く持った木刀の切っ先が突き付けられる。
「っ!?」
「小戸田流『擦走』の破、『地滑』。
なぁ?降参でいいんじゃないか。」
小戸田は立ち上がり肩に木刀をかつぐ。
「......わかりました
藤虎は......
!」
観念したように演技していた朝日は血相を変え窓から離れた入口の方に走る。
「?」
小戸田は少し驚いた。今更足の速い自分から逃げられるはずがないのはわかっているはずの少女が逃げようとしている。
いや、俺からではない?
後ろを振り返った小戸田は八本のナイフが外から窓に刺さっているのが見えた。
「しまった!」
ゴルフバッグの方に跳び、中から真剣を取り出し鞘を投げ捨てる。
その瞬間窓は割れ、安城仮次が部屋に飛び込んでくる。
「おいおい。ここが何階だと思ってんだ?階段を使え。」
「ここが何階かは問題じゃない。朝日がここにいること。それが問題だ。」
「お?見たことあるタイプのナイフと使い方かと思えば、
お前の弟子かぁ仮次ちゃんよ~」
小戸田は日本刀を両手で下段に構えている。
「娘だ。」
「ヘッ。どっちでもいいがハッタリで交渉するなと教えてやりな!」
「朝日。」
仮次は小戸田を無視して朝日に話しかける。
「本職相手のナイフとワイヤーの使い方を見せてやる。」
仮次は両手に数えきれないほどのナイフを構える。
「油断大敵だぜぇ!」
小戸田の足を狙った攻撃をその場で跳んで避ける。
「自分から空中へ跳ぶとは、鈍ったな?」
手首を返し刀の切っ先が上を向き、そのまま上方向への攻撃に移る。
「ロック。」
と思いきや、小戸田の腕は地面に磁石で引き寄せられているかのように動かない。
「なるほど。このナイフ、いつ投げた?」
見ると小戸田の腕の周囲の床に十本以上のナイフが刺さっており、
それぞれのナイフから延びるワイヤーが蜘蛛の巣のように絡み合い腕を床に固定していた。
「誰が教えるかよ。」
「あっそ。」
小戸田はペン回しのように指で日本刀を一回転させる。
「ま、切っちまえば問題ないな」
「器用な真似をするな。
ロック。」
今度は小戸田の左足が固定される。
「ほいほい」
小戸田の一振りで左足に絡みついたワイヤーが張りを無くし床に散らばる。
「ロック」
その隙に小戸田の右足と左腕が固定される。
固定された手足を見て小戸田はため息をつく。
「う~ん。キリがないなぁ。
でも、携行できるワイヤーの量にも限りがあるよね。」
「試してみるか?」
仮次は両手にナイフを構えると、天井の四隅にそれぞれ8本ずつナイフを投擲する。
8本の内7本は壁や天井に刺さり蜘蛛の巣のようなワイヤーの網を作り出し、残りの一本はその巣を作った蜘蛛のように網からワイヤーで垂れ下がる。
「伊豆流『絡新婦』の破、『浄蓮』
お前が1つの巣から逃れる間に2つ、3つの巣がお前を捕える。」
小戸田は仮次の目をしばらく見つめると肩をすくめ、日本刀を手放す。
日本刀はワイヤーに引っかかり宙吊りになる。
「閉所でワイヤー使いと戦った俺のミスだな。」
そう言うと拘束されていない右手をだらりと下げる。
濃紺のスーツの袖から細長い何かが重力に従い滑り出てくるのを仮次は見逃さなかった。
「くそっ!」
仮次の手からナイフが放たれる前に、小戸田はそれを手にした。
それは細身で刃紋もなく金属にすら見えないが日本刀の形をした真っ黒い物体だった。
「依頼抜きのお楽しみもいいけど自由は惜しいんでね!」
床に押し当てると抵抗がないかのように刺さり、一振りで床材を丸く切り抜く。
同時にワイヤーの拘束から逃れ、床に空いた穴から階下に逃れる。
「じゃあ仮次ちゃんと娘ちゃん。またな~」
仮次の投げたナイフは一瞬届かず、小戸田が逃げ去った穴の周囲に刺さった。
「くっ。まあいい。ま、別チームが行くだろう。
朝日、怪我は、」
朝日が狙っていたのはこの瞬間だった。
小戸田と戦っている時に自分に仮次が背を向けた時すら我慢していた。
戦っている間でもなく、自分の技を誇示している時でもない。
とどめを刺す瞬間、もしくは戦闘が終わり気が緩む瞬間。
懐から取り出した拳銃を取り出して構え、引き金に指をかける。
(これで終わる......!)
「ロックだ。」
朝日の右手の人指し指に力が入る直前に、拳を作っていた仮次の右手が開かれる。
それと共に朝日の右手の指すべてが真っすぐに伸ばされ、その結果拳銃は朝日の手から落ち、床に転がる。
朝日の右手の指一本一本にまとわりついたワイヤーは部屋の四隅に張ったワイヤーのクモの巣を介して仮次の右手に収束されていた。
「さっきも言ったな。これが伊豆流『絡新婦』の破、『浄蓮』だ。
何かが部屋の中で動けば空気が振動し糸を揺らす。
糸が揺れれば吊るしたナイフが揺れる。
巣を張った時点でこの部屋は俺の支配下だ。」
「い、いつの間に私の指にワイヤーを......」
「部屋に飛び込んだ時からだ。拳銃を持っていることはわかっていたからな。」
仮次は部屋の隅に行き、しゃがみ込むと壊れた伊達メガネを手に取る。
「通信機は壊したはず!」
「そっちの音声はずっと聞こえていた。もちろん眼鏡を壊してからも。だ」
仮次はブリッジの部分にナイフを当てて両断すると断面を見せる。
「耳にかける部分の盗聴器...送信機だけを壊して油断したな。
そっちはダミーで本命はこっちだ。」
朝日はがっくりと肩を落とし床に腰を下ろすが右腕だけは宙に吊られているせいで手を挙げているように見える。
「藤虎のことは気にするな。なに、機会はいくらでもある」
朝日はそのまま気を失い、目が覚めた頃には定期試験は終わっていた。
頭を逃がしたとはいえ暴力団の事務所を壊滅させた朝日が獲得したポイントに他の生徒たちが追いつくことはなかった。
そして忘れられない夏休みが始まる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます